裏切りの果てに、最高の景色を第3話
この話は約1903字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
会社の命運を懸けた年度最重要プロジェクトのコンペ会場は、溢れんばかりの熱気と喧騒に包まれていた。
私は目立たない壁際の席に身を潜め、最前列の中央に陣取る理仁と花音を冷ややかに見つめていた。
仕立ての良いスーツを完璧に着こなした理仁は、髪一本乱さぬ隙のない装いで、隣に座るクライアントに余裕の笑みを浮かべて話しかけている。
その隣に座る花音は、まばゆいほどの白いパンツスーツに身を包んでいた。以前の清純な雰囲気は影を潜め、完璧に作り込まれたメイクも相まって、いっぱしのエリート然とした佇まいを見せている。
理仁を見つめる彼女の瞳には、隠しきれない崇拝と情熱が宿っていた。
談笑するその姿は、傍目には非の打ち所がない理想のパートナー同士に見えるだろう。
やがてプレゼンテーションが始まった。
花音が臨海都市再生計画のプレゼンターとして、悠然と登壇した。
彼女は深く一呼吸置くと、自信に満ちた声でその設計思想を語り始めた。
「今回の臨海都市再生計画、その核心となるのが、独自に考案したグリーンコリドーの設計です。
それは都市の慢性的な渋滞に阻まれたエリアを跨ぎ、分断された緑地を再び繋ぎ合わせる緑の生命動脈となるのです……」
その言葉、その一言一句。かつて幾晩もの徹夜を重ね、私がコーヒーを啜りながら理仁の耳に流し込み、叩き込んでやった内容そのものだった。
かつての私は、それを夫婦の「魂の共鳴」だと信じて疑わなかった。
だが、今ならわかる。あれは私の独り芝居に過ぎず、彼は獲物を狙う最も執念深い盗賊だったのだ。
プレゼンは大成功だった。スクリーンに映し出された完成予想図に、会場から感嘆の声が漏れる。
鳴り止まない拍手の中、司会が登壇した。
「見城さん、素晴らしい発表をありがとうございました。それでは、質疑応答に移ります」
その時、最前列にいたクライアント側の重鎮が、静かに手を挙げた。
栄金グループの一条社長。業界では「一切の妥協を許さない」ことで知られる、研ぎ澄まされた審美眼の持ち主だ。
「見城さん、少しいいですか」一条社長が口を開いた。
「このプロジェクトは我々にとっても要となるものです。それを新人に委ねるのは、いささか博打が過ぎるのではないですか?前の吉田さんが手掛けた『水都の門』は業界の模範でしたが、今回、彼女を外してまで新人を起用した理由を伺いたい」
核心を突く鋭い問いに、花音の表情が一瞬で強張った。
彼女はすぐにかろうじて平静を装い、そして助けを求めるように、客席の理仁に視線を送った。
理仁は彼女を安心させるように小さく頷いて微笑むと、悠然とした仕草で手元のマイクを手に取った。
「一条社長、ご質問ありがとうございます」
彼はゆっくりと立ち上がると、会場全体を悠然と見渡し、最後に花音へと視線を留めた。その眼差しには、誇らしさが満ちていた。
「私の妻、吉田心晴は、確かにこの分野において円熟したプロフェッショナルです。
しかし、建築には常に『新しい息吹』が必要だと私は考えております。花音の案には、経験だけでは決して補えない、圧倒的な想像力と躍動感があるのです」
彼は一呼吸置き、用意していた「とどめ」の言葉を放った。
「あえて申し上げるなら、心晴のデザインは円熟した『完成品』です。ですが、花音には……」
彼は花音を慈しむように見つめ、熱のこもった声で言った。
「理屈を超えた、天性の煌めきがあります」
一瞬の静寂の後、会場には先ほどよりもさらに熱狂的な拍手が巻き起こった。
公の場で妻を切り捨て、一介のインターン生を持ち上げる。
それも、これ以上ないほど残酷な比較を用いて。
私の世界から音が消え、ただ胸の奥で心臓が鈍く、重苦しく打ち鳴らされる音だけが響いていた。
一条社長は片眉を上げたが、それ以上は何も言わずに腰を下ろした。
「……久我社長の新人への並々ならぬ自信と期待が伺えますね。それでは会場の皆様、ほかにどなたか、ご質問のある方はいらっしゃいませんでしょうか?」
司会者の問いかけに、会場は静まり返った。
共同経営者である理仁がここまで太鼓判を押した以上、もはや異論を挟む余地などない――誰もがそう確信していた。
壇上の花音は、隠しきれない優越感と勝利の悦びに浸りながら深々と一礼した。
私は手元のスマホをしまい、人々が再び拍手を送ろうとしたその刹那、ゆっくりと立ち上がった。
派手な動きではなかったが、全参加者の視線が瞬時に私へ集中した。
司会者が戸惑った声を上げる。「……あちらの、ええと……失礼ですが、どちら様でしょうか?」
理仁の顔から、先ほどまでの余裕の笑みが消え、無残に凍りついた。
花音がこちらに向ける眼差しにも、どす黒い警戒の色が混じり始める。
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