荒れていく彼の心を見送って第2話
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その日、大河の会社へ行った。
乗り込んだエレベーターの中で、望美と鉢合わせた。私の顔を見るなり、彼女は太陽のようにまぶしい笑顔で手を差し伸べてきた。
「こんにちは。本間望美と申します。上田社長の秘書をしております」
臆する様子も微塵もない、堂々とした自然な振る舞いだった。
彼女はフロアのボタンを押すと、一歩引いて私の隣に並んだ。
しばらくして電話が鳴り、彼女が出た。
「大河さん?うん、あの人、お昼はだいたい食べないんですよ。コーヒー一杯で済ませちゃって。もう慣れました。わかった」
通話を切って、望美は私に向けて微笑んだ。
「お昼を届けにいらしたんですか?」
ちょうどエレベーターのドアが開いたが、私は答えなかった。
社長室に入ると、大河は書類に目を落としたまま、顔も上げなかった。
持参した弁当箱をデスクの上に置く。
「お昼、ちゃんと食べてないの?」
「忙しいと、ついな」
すぐに望美がノックして書類を持ってきた。弁当箱をちらりと見て、くすりと笑いながら言う。
「さすが、気が利きますね。大河さんが肉じゃがを食べたいって言ったら、もうちゃんと作っていらっしゃるなんて」
大河に肉じゃがを取り分けようとした手が、宙で止まった。
大河は黙って食べ続け、その間、一度も顔を上げなかった。
望美が出ていくと、社長室には二人だけになった。
「あの子、大河のことよく知ってるのね」
「誰が?」
「本間さん。お昼を食べないこと、コーヒーしか飲まないこと」
大河は箸を置いた。
「実里、彼女は秘書だよ。俺のことを把握しておくのは、仕事のうちだ」
「そう」
「また変なこと考えてるのか。俺の心の中にいるのはお前だけだ」
わざとらしいほど大きなため息をひとつついて、大河は俯いたまま食べ続けた。
その夜、大河は22時まで残業した。書斎にお菓子を持っていくと、デスクのスマホの画面が光っていた。望美からの、自撮り写真の通知だった。
大河は私が見ている前でスマホをひっくり返して、画面を下にして伏せた。
「仕事の件だ」
「聞いてないわ」
お菓子を置いて、書斎を出た。
ドアノブに手をかけたまま、私はそこで一瞬だけ立ち止まった。
――大河は、呼び止めなかった。
……
週末、「記念日の埋め合わせ」だと言って、大河はレストランに連れていってくれた。
席に案内されるとき、スタッフがにこやかに言った。「上田様、いつものお席ですね」
窓際から2番目のボックス席。一度や二度ではないのだろう。
腰を下ろして、向かいの空いた椅子をしばらく眺めた。
「ここに、誰かを連れてきたことある?」
グラスに水を注ぎながら、大河の手が一瞬止まった。
「クライアントを連れてきたことはあるよ。どうして?」
「別に。いい席ね、と思って」
手を洗いに席を立った大河が戻ってきて、私の皿に彼のステーキを取り分けてくれた。
「ねえ、大河。私たちの間に、もう一人いるみたいな気がすることがあるの」
彼の手が、一瞬止まった。それから、また何事もなかったように動き出した。
「何それ、急に。誰のこと言ってるんだ?」
「なんでもない。ただ聞いてみただけ」
大河は黙々と私の好きなコーンを入れてくれた。
食事を終えて店を出ると、大河のスマホが光った。
彼は少し体を傾けてメッセージを返した。画面が視界の端をちらりと掠めた。
望美からだった。【大河さん、また明日ね】
大河は絵文字だけで返して、画面をロックし、そのままごく自然に私の手を取った。
「行こう」
引かれるままに歩いた。うつむいて、繋がれた手をじっと見つめる。
街灯が地面に影を落とし、私たちの影が前後に長く伸びていた。
ふと、18歳のあの夜を思い出した。初めて手を繋いだとき。
あのころは目を閉じるだけで、心の中は大河の顔でいっぱいだったのに。
そっと目を閉じて、彼の手首に触れた。
……やっぱり二つの顔があった。一つは私で、もう一つは望美。
どちらも、まったく同じくらいの大きさで。
大河が振り返った。「どうした、立ち止まって」
「なんでもない」と答えて、また歩き出した。
大河は、繋いだ私の手をぎゅっと握り直した。
何も変わらない、昔と同じ温もりで。
引かれるままに歩いた。
でも私にはわかっていた。
もう、同じじゃない……
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