航空工学者の私は、この家ではいらない子だった第3話
この話は約2636字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
数日後、両親の知人たちが何人か家へ遊びに来ていた。
私はキッチンで果物を洗いながら、リビングから聞こえてくる話し声が、自然と耳に入ってきた。
「恒一さん、本当に恵まれてるよな」
客の一人が感心したように言った。
「結衣は県内でも有名な大学に通ってるし、陽斗はまだ小学生なのに、科学コンテストで入賞したんだろ?育て方が違うなあ」
父は照れくさそうに笑った。
「いやいや、結衣も陽斗も、自分で頑張ってるだけさ。親が何かしたってわけじゃないよ。
……でも、千紗だけは昔から言うことを聞かなくてな。家から通える大学にしろって言ったのに、わざわざ北浜市まで行ってさ。
しかも、飛行機だかロケットだか、そんなような学科なんだ。俺には何の役に立つのか、さっぱり分からん」
私が専攻していたのは、航空宇宙推進工学だった。
佐伯教授はよく言っていた。
「君たちが造るのは、ロケットの心臓だ」
私たちの仕事は、ロケットエンジンや推進システムを支えることなのだと。
その言葉を、私はずっと誇りに思っていた。
けれど父の中では、名前すら覚える価値のない学科だった。
食事が始まると、向かいに座っていた女性が笑いながら私へ声をかけた。
「千紗、北浜市で一人暮らしなんでしょう?毎月どれくらいで生活してるの?
うちの娘も今年から北浜市の大学に通うのよ。
都会は何かとお金がかかるでしょう?どれくらい渡せばいいのか悩んじゃって」
「えっと……」
答えようとしたその瞬間、母は私の皿に海老を一尾のせながら、先に口を開いた。
「ゆいちゃんには月8万円渡してるの。
女の子には、ちゃんとお金をかけてあげないとね。足りない思いをさせたくないから、たまにお小遣いも送ってるのよ。
ちょっと物を買ってもらったり、優しくされたくらいで、変な男について行ったら困るでしょう?」
結衣は頬をふくらませ、甘えるように母の腕に抱きついた。
「もう、ママったら……この前だって、タブレット買ってくれるって言ってたじゃん。今学期だって、ちゃんと奨励金取ったんだから」
母は笑いながら結衣の頭をなでた。
「もう、ほんとゆいちゃんは甘え上手なんだから。近いうちに一緒に買いに行きましょうね」
私は何も言わなかった。ただ、今にも充電が切れそうなスマホへ目を落とした。
それは父が5年間使い、買い替えたあとに私へ回ってきたものだった。
私はそれをさらに2年間使っていた。
少し操作しただけですぐ動きが重くなり、バッテリーもほとんど持たない。
それでも、新しいものを買う余裕はなかった。私が毎月もらっていた生活費は、2万円だけだったからだ。
結衣と私、二人を大学へ通わせるだけでも大変だった。そのうえ、陽斗の塾代までかかっていた。
だから私は、姉として我慢するのが当たり前なのだと、ずっと思っていた。
向かいに座っていた女性は、思わず声を弾ませた。
「結衣、奨学金ももらったの?本当に優秀なのね」
結衣は少し照れくさそうに笑った。
「そんな大したものじゃないですよ。学内の奨学金ですし、まだまだです」
その言葉に、母は嬉しそうに目を細めた。
「この子ったら、ほんと謙虚なのよ。学内の奨学金とはいえ、2万円ももらえたのよ。
うちでは初めてじゃないかしら?少なくとも、千紗は一度ももらったことなかったものね」
陽斗は目を輝かせながら身を乗り出した。
「僕も将来、結衣姉ちゃんみたいに奨学金取る!」
父は笑いながら陽斗の頭をぽんと撫でた。
「期待してるぞ」
食卓は終始、笑い声に包まれていた。
私は皿の上の海老をそっと取り分け、足元で待っていたポチへ食べさせた。
私は海鮮アレルギーで、食べると全身に赤い発疹が出た。
痒みで夜も眠れなくなるほどだった。
それでも母は、そのことを今でも覚えていなかった。
スーツケースの中には、航空宇宙人材育成特別奨学金の認定証が入っていた。
全国でも限られた学生しか選ばれない給付型の奨学金だった。
けれど、それを取り出す気にはなれなかった。どうせ、誰も見ようとはしないのだから。
昔から、そうだった。
志望者内で上位1%の成績で大学に合格したときも、両親は私の合格祝いを開かなかった。
母は少し困ったように笑いながら言った。
「ゆいちゃん、一年後に受験でしょう?今あんたのお祝いなんかしたら、あの子だって気を遣うし、プレッシャーにもなるじゃない。
だから、もう少し待ちなさい。ゆいちゃんも大学に受かったら、そのとき二人まとめてお祝いしてあげるから」
私は黙ってうなずいた。
そして翌年、結衣も大学へ進学した。
両親はホテルに会場を借り、大勢の親戚や知人を招いて盛大に合格祝いを開いた。
私はせめて、高校の先生方をご招待したいとお願いした。
けれど母は困ったように眉を寄せた。
「今日はゆいちゃんのお祝いなんだから、先生を呼ぶのは、また別の機会にしなさい」
父も当然のように頷いた。
「そうだ。今日は結衣が主役なんだからな」
そういうことなんだ。結衣が主役なら、私は前に出てはいけない。
この家では、それが当たり前だった。
ようやく客が去った。
私は食器を洗い、床を拭き、一通り後片付けを終えると、ソファにもたれかかって酔いを覚ましていた父に声をかけた。
「お父さん、ゲスト権限を更新してほしいんだけど」
父は薄く目を開け、「ああ」と気のない返事をした。
その横では、結衣と陽斗がゲームをしながら賑やかにはしゃいでいた。
聞こえていなかったのかと思い、私はもう一度声をかけた。
父は面倒くさそうに眉をひそめると、ポケットからスマホを取り出した。
「分かったよ。また一週間延長しとけばいいんだろ」
スマホを操作しながら、父は何気なく尋ねた。
「そういえば、お前今回はずいぶん長くいるな。今年はバイトしないのか?」
私は答えようとした。
けれど父は、私の返事を待つことなく、小さくため息をついた。
「もういい歳なんだから、少しは家計の足しになることでもしろ。いつまでも家でぶらぶらしてないでさ」
私は唇を噛んだ。目を閉じた父をしばらく見つめ、それから静かに背を向けた。
翌朝。
洗面所へ向かおうとすると、父がこめかみを押さえながら私を呼び止めた。
「千紗、昨日はちょっと飲みすぎた」
父は気まずそうに視線を逸らした。
「言い方が悪かったな。別に、お前を追い出そうって意味じゃない」
私は小さくうなずいた。
「分かってる」
分かっていた。あれは酒の勢いで漏れた本音だった。
私は、これまでの長期休暇と同じように、外でアルバイトをしているべきだった。
この家には、私の居場所なんて最初からなかったのだ。
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