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航空工学者の私は、この家ではいらない子だった第1話

この話は約2799字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。

私の名前は、高橋千紗(たかはし ちさ)。

祖母が亡くなったあと、私は両親に引き取られ、田舎から天城市へ引っ越した。

そこで初めて、一歳年下の妹・高橋結衣(たかはし ゆい)がいることを知った。

母の高橋真由美(たかはし まゆみ)は、私の手を握ると優しく笑って言った。

「千紗はお姉ちゃんなんだから、ゆいちゃんには譲ってあげるのよ。ね?」

私は小さくうなずいた。この家では、「お姉ちゃん」でいることが私の役目だと理解した。

その頃から、家族の中で一番後回しになるのは、いつも私だった。

それから数年後、弟の高橋陽斗(たかはし はると)が生まれた。

家族が増えるたび、私の居場所は少しずつ狭くなっていった。

大学二年の夏休み。

私は大学から久しぶりに実家へ帰った。

けれど、家の前で足が止まった。玄関のドアには、いつの間にかスマートロックが取り付けられていた。

そのことを私に知らせてくれた人は、一人もいなかった。

スマホはもう電池が切れていた。誰にも連絡できないまま、私は午後二時から夜十時まで、玄関先で家族の帰りを待ち続けた。

夜十時を過ぎて、ようやく帰ってきたのは、父の高橋恒一(たかはし こういち)、母の真由美、結衣、そして陽斗だった。

四人は大きなスーツケースを引きながら、旅行の思い出話に花を咲かせていた。おそろいのTシャツ姿の四人が、ひどく楽しそうに見えた。

その輪の中に、私の居場所だけはなかった。

玄関先に立ち尽くす私を見つけると、父は驚いたように目を丸くした。しばらく気まずい空気が流れた。

私の指紋を登録しようとして、登録画面を開いた父は、小さく舌打ちした。

「ったく……利用者登録は五人までか。もう追加できないな」

母はまるで大したことではないと言うように肩をすくめた。

「じゃあゲスト登録でいいじゃない。千紗が帰ってくるたびに、登録し直せばいいでしょ」

呆然とする私を見て、陽斗が悪びれもせず笑った。

「結衣姉ちゃんがね、ポチの鼻紋も登録したんだよ。

ほら、ポチも家族でしょ?だから、もういっぱいだったんだ」

犬のポチでさえ、この家では大切な家族だった。それなのに、私は最後まで「ゲスト」のままだった。

この家を出ていく理由としては、それだけで十分だった。

その夜、私は政府の機密プロジェクトへの参加申請書を提出した。

この家で、私の帰りを待つ人はいない。

だから、私はもうこの家に未練はなかった。

* * *

「そうだ、お前、今回は何日くらいいるんだ?」

父はスマホを操作しながら、スマートロックのゲスト登録をしていた。

「ゲスト権限は一週間までしか設定できない。とりあえず一週間だけ登録しておく。期限が切れたら俺に言え」

母は私の手を取り、指紋センサーへ指を当てさせた。

けれど、一度、二度、三度。

右手の指を一本ずつ替えてみても、認証は失敗したままだった。

「なんであんただけ認証できないの?」

母は少し苛立ったように眉をひそめた。

「ゆいちゃんも、はるちゃんも、一回で終わったのに」

母は昔からそうだった。

結衣には「ゆいちゃん」、陽斗には「はるちゃん」。

けれど私だけは、一度も愛称で呼ばれたことがない。

いつだって「千紗」か、「あんた」。それだけの違いなのに、幼い頃の私は、その呼び方の中にある小さな距離を、ずっと感じていた。

「左手でやってみて」

言われるまま親指を当てても、結果は同じだった。

母は私の手をぱっと放すと、うんざりしたようにため息をついた。

「もう、ほんと手がかかるわね。あとは自分でやって」

私は自分の手のひらを見つめた。

十歳になるまで、私は祖母と二人で田舎暮らしをしていた。

体の弱い祖母に代わって、畑を耕し、草を刈り、豚の世話をするのは、いつも私の役目だった。

祖母が亡くなり、この家へ引き取られてからも、それは変わらなかった。

姉だからという理由で、家事はいつも私の役目だった。食器を洗い、テーブルを拭き、床を磨く。毎日のように洗剤や水へ手を浸し続けた。

指紋が擦り減ったのか。それとも、手にできたタコのせいで認証できないのか。

今となっては、もう私にも分からなかった。

「ぼーっとするな」

父が急かすように言った。

「認証できなかったら、いちいち開けに来られないからな。あとで締め出されたなんて文句言うなよ」

私はポケットからティッシュを取り出し、手の汗を丁寧に拭った。

そして息を整え、もう一度センサーへ指を強く押し当てた。

ピッ。

電子音が鳴り、スマートロックが無機質な音声で告げた。

「ゲスト登録が完了しました」

それを聞くなり、父はスマホをポケットへしまい、私を見ることもなくリビングへ向かって歩いていった。

リビングでは、四人が旅行のお土産を楽しそうに仕分けしていた。

父の取引先にはお茶。母の職場には名産のお菓子。親戚には飾り物。

スーツケースの半分以上がお土産で埋まっていたが、それでも、私のためのものは一つもなかった。

私はかすれた声で尋ねた。

「……どこへ行ってきたの?」

どうして、私だけ知らなかったんだろう。

けれど、誰一人として答えなかった。

結衣はスマホを手に、母へ体を預けながら楽しそうに笑っていた。

「ママ見て!この家族写真、すごくよく撮れてるでしょ?」

父も画面をのぞき込み、目を細めた。

「ほんとだ。結衣、ポーズ考えるの上手いな」

画面に写っていたのは、四人だけ。それでも、みんなはそれを「家族写真」と呼んで笑い合っていた。

そのとき、陽斗が鼻をしかめた。鼻先を手でぱたぱたとあおぎながら私を見た。

「そういえばさ、千紗姉さん。

さっきから言おうと思ってたんだけど、お風呂入ってきたら?なんか汗くさいよ。自分じゃ気づいてないの?

女の人なのに、僕よりだらしないじゃん」

母もすぐに口を挟んだ。

「ほんとよ。あんた、田舎で覚えた生活習慣を、この家にまで持ち込まないでちょうだい」

七月の焼けつくような暑さの中、冷房もない廊下で、私は八時間以上、家族の帰りを待ち続けていた。

汗は止まらず、髪は頬にも首筋にも張りついていた。それでも、その場を離れることはできなかった。

入れ違いになってしまうのが怖かったから。

でも、帰ってきた四人は、誰一人として私のことを気に留めなかった。

私を見ても、「暑かったでしょう」と声をかける人はいなかった。「お腹空いてない?」と気遣う人もいなかった。

ただ返ってきたのは――「汗くさい」、その一言だけだった。

私は何も言わず、風呂へ向かった。

そのとき、ポケットのスマホが小さく震えた。

画面には、佐伯教授からのメッセージが表示されていた。

【今回の政府機密プロジェクトは特別な条件がある。参加すると生活も大きく変わるから、家族ともよく話し合ってから決めてほしい】

私はすぐに返信した。

【ありがとうございます。家族と相談して決めます】

けれど、それは嘘だった。

私は、誰にも相談するつもりなんてなかった。

この家で最後まで「ゲスト」だった私に、誰かの許可なんて必要なかった。

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