結婚式三日前、婚約者は初恋の男に誓った第3話 招かれたカメラマン
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結婚式二日前の夜八時過ぎ。
玄関の鍵が開いた。
「ただいま」
玲奈がキャリーケースを引いて帰ってきた。
いつもと変わらない笑顔を、僕に向けた。
「湊の顔を見たら、やっと帰ってきたって感じがする」
昨日、蒼真に向けていた笑顔とは違う。
あのときの玲奈は、恋をしている女の顔だった。
「軽井沢、どうだった?」
「大変だった。朝から夜まで撮影ばっかり」
「ホテルのチャペル、きれいだった?」
玲奈の動きが、一瞬だけ止まった。
「見てないよ。仕事で行ったんだから、そんな余裕ないって」
「そう」
玲奈は小さく息を吐いた。
左手の薬指に、細い白い跡がある。
外したばかりの指輪の跡。
僕は何も言わなかった。
それでも胸の奥には、捨てきれない期待が残っていた。
鞄の中には、名前を書けなかったキャンセル届が入っている。
あの紙に署名する前に、一度だけ、玲奈の口から本当の気持ちを聞きたかった。
「玲奈」
「なに?」
「本当に、僕と結婚したい?」
玲奈は目を瞬かせ、困ったように笑った。
「何それ。マリッジブルー?」
「答えて」
自分でも驚くほど、低い声が出た。
玲奈はしばらく僕を見つめ、それから、当たり前のことを言うように答えた。
「結婚したいよ。七年も一緒にいたんだよ?」
「僕のこと、本当に好き?」
「好きに決まってる。私が結婚したいのは、湊だけ」
言葉だけを聞けば、信じられたかもしれない。けれど玲奈は、話している間も左手をさりげなく背中へ回し、指輪の跡を隠すように指を握り込んでいた。
「式の準備、終わってる?」
「全部終わってる」
「さすが。湊に任せておけば安心だね」
以前なら、その言葉を信頼だと思えた。
今は違う。
玲奈が信じているのは、僕の気持ちではない。何をしても僕は離れないという、自分に都合のいい思い込みだ。
玲奈は冷蔵庫からペットボトルの水を取り出すと、思い出したように振り返った。
「そうだ。ひとつお願いがあるんだけど」
「何?」
「明後日、蒼真も来ることになったの」
「招待客として?」
「ううん。結婚祝いに、式の様子を撮ってくれるって」
玲奈の声が明るくなる。
昨日、玲奈と指輪を交換したばかりの男。
その男が明後日には、カメラ越しに玲奈が僕へ愛を誓う姿を撮る。
それを玲奈は、結婚祝いと呼んだ。
ついさっき「私が結婚したいのは、湊だけ」と言ったばかりなのに、玲奈は蒼真を僕たちの式へ招こうとしている。
言葉と行動が、何ひとつ噛み合っていなかった。
「外部スタッフの事前申請が必要だよね。蒼真の名前、追加しておいてくれる?」
「わかった」
それ以上、何も言わなかった。
「ありがとう。やっぱり湊に頼むと話が早い」
そのとき、玲奈のスマホが鳴った。
画面には『蒼真』と表示されている。
玲奈はスマホを伏せた。
「撮影の確認だと思う。あとでかけ直すね」
夕食後、玲奈は寝室へ入った。
玲奈が声を抑えて笑っているのが、閉じたドア越しに聞こえた。
「うん。当日もお願いね」
「大丈夫。湊は何も気づいてないから」
最後の一言だけ、はっきり聞こえた。
「好きに決まってる」と答えたときと、同じ声だった。
胸の奥にかろうじて残っていた期待が、音を立てて崩れた。
七年を手放せずにいた僕の未練も、そこで消えた。
通話が終わるのを待って、スマホを開いた。
須藤さんとのLINEを開き、短く打ち込んだ。
『先ほどの件ですが、明後日の式をキャンセルしてください。僕の意思です』
送信ボタンを押す指は、もう止まらなかった。
ほどなく既読がつき、須藤さんから返信が届いた。
『承知しました。明朝、キャンセル届をお持ちください。到着しだい手続きを進めます』
続けて、空きの見つかった翌日午後の単身引っ越し便を、その場で予約した。
予約完了の画面を閉じた。
玲奈はまだ、僕が何も気づいていないと思っている。
けれど、何も気づいていないのは玲奈のほうだ。僕はもう、玲奈との未来を片づけ始めていた。
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