結婚式三日前、婚約者は初恋の男に誓った第1話 軽井沢の花嫁
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結婚式前日、僕は式場のキャンセル届に署名した。
窓の向こうでは、途中まで組まれていたガーデンアーチの解体が、すでに始まっていた。
担当プランナーの須藤さんが、ためらいがちにこちらを見た。
「水城様がお戻りになるまで、待たなくてよろしいんですか」
「待ちません」
「ですが、おふたりの結婚式は明後日ですよ」
ペンを置いた。
「玲奈は忙しいんです」
自分でも驚くほど、穏やかな声が出た。
「昨日、軽井沢で初恋の相手に『誓います』と答えたばかりですから」
* * *
結婚式まで、あと三日。
その朝、僕は急きょ軽井沢へ向かうことになった。
同僚が熱を出し、ホテルの植栽検査を代わりに担当することになったのだ。
僕の勤める景観設計会社は、水城グループが軽井沢に開業する新ホテルの外構・植栽設計を担当している。
そのホテルでは、婚約者の水城玲奈がブランド企画を担当していた。
玲奈は一週間前から現地にいる。
プロモーション映像の撮影が長引いているらしく、昨夜届いたLINEも短かった。
『今日も遅くなる。先に寝てて』
玲奈と付き合って、七年。
激しい喧嘩をするような恋人同士ではなかった。
少なくとも、互いを尊重し合えていると思っていた。派手さはなくても、この穏やかな日々が結婚後も続くと信じていた。
新幹線の中で、玲奈にメッセージを打った。
『今からそっちへ行くことになった』
けれど、送信する直前で消した。
撮影中に気を遣わせる必要はない。
検査を終えたら、そのまま東京へ戻ればいい。
そう思っていた。
西棟の確認を終え、チャペル脇の庭へ回ったとき、ガラス扉の向こうから拍手が聞こえた。
白いドレスを着た玲奈の向かいに、黒いタキシード姿の男が立っている。
神谷蒼真。
玲奈の初恋の相手で、今回のプロモーション映像を手がけるディレクターだ。
チャペルには、参列者が十数人いた。
最初は、ホテルのプロモーション映像を撮っているのだと思った。
ふたりが新郎新婦を演じているのも、撮影の演出にすぎない。
そう自分に言い聞かせた。
けれど、チャペルの隅に置かれたカメラは、一台も回っていなかった。
最前列では、玲奈の母親がハンカチで目元を押さえている。
その姿を見た瞬間、胸の奥がすっと冷えた。
司式者が、ふたりに問いかける。
「新郎・神谷蒼真さん、新婦・水城玲奈さん。おふたりは、これから先、互いを大切にし、ともに歩んでいくことを誓いますか」
「誓います」
蒼真は迷わなかった。
続いて、玲奈の番になる。
三日後、僕と結婚するはずの人。
七年間、隣にいた人。
玲奈は目を潤ませ、幸せそうに笑った。
「はい。誓います」
拍手が起こり、ふたりは指輪を交換した。
蒼真が玲奈の頬に触れる。
玲奈はゆっくり目を閉じた。
気づけば、右手を強く握りしめていた。
これは……撮影のための芝居なんかじゃない。
爪が手のひらに食い込み、握りしめた拳には血管が浮いていた。
それでも、声を上げることも、扉を開けることもできなかった。
結婚式のことを聞くたび、玲奈は決まってこう言った。
『湊に任せる』
『白い花なら、何でもいいよ』
けれど今、彼女が抱いているのは、スズランと白いバラのブーケだった。
付き合い始めた頃、玲奈は「いつか結婚するなら、絶対にこの組み合わせがいい」と言っていた。
横浜で挙げる僕たちの式にも同じ花を提案したとき、玲奈は首を傾げた。
『季節外れなら、無理しなくていいんじゃない?』
試食会にも、最後の打ち合わせにも来なかった。
仕事が忙しいのだから仕方がないと、何度も自分に言い聞かせた。
忘れていたわけじゃない。
その願いを叶える相手が、僕ではなかっただけだ。
僕はチャペルに入らなかった。
仕事用のタブレットを取り出し、検査記録として庭からチャペルを一枚だけ撮った。
ガラス越しの祭壇と、指輪を交換するふたりが画面の端に写り込んでいた。
そのまま、予定どおり検査を終えた。
仕事だからだ。
軽井沢駅のホームで、スマホが震えた。
横浜の式場からの自動通知だった。
『高瀬湊様 水城玲奈様
ご結婚式まで、あと三日となりました』
あと三日。
でも玲奈はもう、別の男に愛を誓っていた。
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