約束を破った俺は、離れ去った君に会えない第1話
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新婚の夜、夫である加藤幸太(かとう こうた)に電話がかかってきた。
幸太はすぐさまベッドから飛び起きると言った。「真奈美が駄々をこねていてね、様子を見てくる」
私は白くなるほど強く、幸太のシャツの裾を掴んだ。「今夜は新婚の夜だよ、本気で出ていくの?」
幸太はシャツのボタンを掛けながら、面倒くさそうに吐き捨てた。「真奈美は、俺がいないと眠れないんだ」
喉にガラスの破片が刺さったような苦しみを覚え、私は声を震わせた。「幸太、妻は私よ」
「妻、だと?」
幸太は鼻で笑うと、私の顎を強く掴んで見下ろした。「家財を差し出してまで、俺と結婚したかったんだろう?欲しい名分は手に入ったんだ、他に何が不満だ?
そんなに不満なら、俺の妻になりたい女は他にいくらでもいる。
よく考えておけ。離婚しても、慰謝料なんて一円も払わないからな」
一刻も早く松尾真奈美(まつお まなみ)の元へ駆けつけようとドアを叩きつける幸太の背中を見て、私は手をだらりと下げた。体はそのまま、冷え切った布団の中へと滑り落ちていく。
「分かったわ、もう何も言わない」
枕の下から末期胃がんの診断書を取り出し、記された日付をそっと指先でなぞった。
もう、これでいい。
あなたが、いつか後悔しなければいいのだけど。
* * *
新婚の夜、夫である加藤幸太(かとう こうた)に電話がかかってきた。
幸太はすぐさまベッドから飛び起きると言った。「真奈美が駄々をこねていてね、様子を見てくる」
私は白くなるほど強く、幸太のシャツの裾を掴んだ。「今夜は新婚の夜だよ、本気で出ていくの?」
幸太はシャツのボタンを掛けながら、面倒くさそうに吐き捨てた。「真奈美は、俺がいないと眠れないんだ」
喉にガラスの破片が刺さったような苦しみを覚え、私は声を震わせた。「幸太、妻は私よ」
「妻、だと?」
幸太は鼻で笑うと、私の顎を強く掴んで見下ろした。「家財を差し出してまで、俺と結婚したかったんだろう?欲しい名分は手に入ったんだ、他に何が不満だ?
そんなに不満なら、俺の妻になりたい女は他にいくらでもいる。
よく考えておけ。離婚しても、慰謝料なんて一円も払わないからな」
一刻も早く松尾真奈美(まつお まなみ)の元へ駆けつけようとドアを叩きつける幸太の背中を見て、私は手をだらりと下げた。体はそのまま、冷え切った布団の中へと滑り落ちていく。
「分かったわ、もう何も言わない」
枕の下から末期胃がんの診断書を取り出し、記された日付をそっと指先でなぞった。
もう、これでいい。
あなたが、いつか後悔しなければいいのだけど。
ドアを激しく閉める音がして、壁のウエディングフォトがガタガタと揺れた。
布団に残った幸太の温もりを感じ、心臓が切り裂かれるほど痛んだ。
しばらく、動くことができなかった。
スマホが振動した。真奈美のSNSの通知だった。
写真の中で幸太は、真奈美のために甲斐甲斐しく海老の皮を剥いている。【幸太さんだけが分かってくれる】という言葉と共に。
幸太も、瞬時に「いいね」を押していた。
海老の皮を剥くその手元を見て、当時の記憶が蘇った。
昔は金もなく、満足に食事すらできなかった。
特売の冷凍海老が、私たちにとって一番のご馳走だった。
幸太はいつも私のために海老の皮を剥いてくれていた。
それでも幸太は「お前を苦労させているから」と言って、笑っていた。
「この手は、お前だけのためにある」と誓った幸太だった。
「ずっと一緒」とか、「起業に成功したら必ずプロポーズする」とも言ってくれた。
まさか、その誓いがこんなにも早く破られるなんて。
幸太が起業してから3年が過ぎた頃、私はバイト先に向かう途中で、高価なネックレスを真奈美に贈る彼の姿を見てしまった。
私は我を忘れて問い詰めた。
幸太からは「真奈美は若くて魅力的だ。男で好きにならないやつはいない」という、冷酷な言葉が返ってきただけだった。
信じられなかった。あんなに私を大切にしてくれた男が、どうして他の女に心を移せるのだろう。
天罰が下ったのだろうか。幸太の会社はトラブルで資金が底を尽き、苦労して立ち上げた事業は、一夜にして消え去った。
再び、一文無しの青年へ逆戻りした。
プライドが邪魔して真奈美を頼れなかった幸太は、なんとうちに跪いて頭を下げてきたのだ。
玄関先で泣きつく幸太と、医師から渡された末期胃がんの診断書を見比べた。
3日目に跪く幸太を前に、私はある契約を持ち出した。
「私の不動産を売却するわ。代わりに、法的な妻にして」
幸太は苦虫を噛み潰したような顔をした。たぶん、真奈美がなるはずの妻の立場に、私がいるのが気に入らないんだろう。
しかし、幸太には他に道がなかったのだ。破産して終わりたくなければ、私の提案をのむしかなかった。
窓から吹き付ける冷たい風で、我に返った。
自分を嘲笑うように笑ったが、流れる涙は末期胃がんの診断書に落ち、滲みが大きく広がった。
治療を受けなければ、余命はあと3か月だと告げられている。
せめて、幸太の慰めの一つでもあれば救われたかもしれない。
でも無理なのは知っている。幸太には、私が仮病を使って嫉妬しているようにしか見えないはずだ。
夜中の3時、幸太が戻ってきた。
真奈美の香水と、酒とタバコの匂いが漂ってくる。
眠れずに待っていた私が幸太を見ると、目が合った。
幸太は眉をひそめて、上着をソファに放り投げる。「なんで起きてるんだ?そんな冷めた目で見んな」
真奈美と関係を持ってからというもの、幸太は私のためには何もしてくれなくなった。
それにもう、慣れてしまっていた。
「松尾さんは落ち着いたの?」静かに尋ねる。
「ああ。真奈美は胃が痛いって弱っているんだ。行ってやらなきゃ、可哀想だろ」
「胃が?幸太、私も胃が痛いの」
幸太は動きを止め、軽蔑の笑いを浮かべた。「直美(なおみ)、そのくだらない嫉妬にはウンザリだ。真奈美は本当に苦しんでるんだよ」
幸太が近づいてきて、私を冷酷に見下ろす。
「結婚したからって、調子に乗るな。お前はただ肩書きが欲しくて家財を差し出しただけだろ。大人しくしていろ」
3年間愛し続けたこの男の顔を見上げる。
「もし、本当に余命わずかだって言ったらどうする?」
幸太は肩を震わせて笑い出した。
「死ぬ?こんな図太いお前が死ぬわけない。死にたいならよそで死ね。俺の新居が汚れる」
幸太がバスルームへ行くと、シャワーの音が響いていた。
私は診断書を折り畳んで、マットレスの下へ押し込んだ。
信じないのなら、棺桶に持っていくだけだ。
バスルームから、腰にバスタオルを巻いた幸太が出てきた。
私を無視して、まっすぐ書斎に向かう。
「今日は書斎で寝る。お前も頭を冷やせ」
私は幸太の背中に声をかける。「幸太。3か月経ったら、離婚しよう」
幸太は歩みを止め、皮肉な笑みを見せて振り返る。
「離婚?お前がこの富が手放せるはずがないだろ?もうそんな芝居は聞き飽きた」
「本気よ」と私は言った。
幸太が戻ってきて、私の肩を激しく掴んだ。
「直美、脅すのも大概にしろ。お前が泣きついてまで俺と結婚したんだろ?今更なんだ。
誰がお前のような、つまらない女を欲しがるっていうんだ?」
幸太の冷たい目線の中に、最後のかすかな望みも消えていった。
そうだ。余命が残り少ない女を欲しがる男なんて、いるわけがない。
部屋から幸太を押し出してドアを閉めると、私はベッドに倒れ込んだ。
胃が、切り裂かれるように痛む。
水一杯を自分で汲む力も残っていなかった。
激しい病の痛みが、体を絶えず苦しめていた。
それが、私の新婚の夜の全てだった。
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