箱入り娘が去ったあと、御曹司たちは後悔に狂った第1話
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界隈ではみんな知っていた。私は上原家の、ほんの少しでも嫌な思いをすると耐えられない箱入り娘だと。
集まりでは上座に座り、酒は温いものしか飲まず、少しでも気に入らないことがあれば幼なじみにその場を片づけさせる。
そんな私の前に、あの落ちぶれた令嬢が帰国した。
彼女は男に頼らず、たった一人で起業し、ビジネスの世界に果敢に切り込んでいく、荒々しいまでの美しさをまとっていた。
やがて、幼なじみたちは私のわがままにうんざりし始めた。
幼なじみたちが出資を引き揚げて、その令嬢のプロジェクトに乗り換えたときも、私を慰めてくれたのは婚約者だけだった。
「気にするな。あいつらはみんな、強い者に媚びる連中だ。俺はこれからもずっと、お前を大事にしてやる」
けれど、会員制クラブの片隅で私は見てしまった。
あれほど傲慢だった婚約者が、まるで給仕のように卑屈な姿で、その令嬢の靴についた酒の染みを拭いていた。その目には、私が一度も見たことのない狂おしいほどの執着が宿っていた。
「頼むから、一度でいい。俺を見てくれ。そうしてくれるなら、結婚なんてやめる。だめか?」
私は家に帰って祖父に言った。
「おじいさま、A国の海外支援の案件、私が行くわ。
それに、あの縁談も受ける。もう二度とあの人たちの顔を見なくて済むなら」
* * *
界隈ではみんな知っていた。私は上原家の、ほんの少しでも嫌な思いをすると耐えられない箱入り娘だと。
集まりでは上座に座り、酒は温いものしか飲まず、少しでも気に入らないことがあれば幼なじみにその場を片づけさせる。
そんな私の前に、あの落ちぶれた令嬢が帰国した。
彼女は男に頼らず、たった一人で起業し、ビジネスの世界に果敢に切り込んでいく、荒々しいまでの美しさをまとっていた。
やがて、幼なじみたちは私のわがままにうんざりし始めた。
幼なじみたちが出資を引き揚げて、その令嬢のプロジェクトに乗り換えたときも、私を慰めてくれたのは婚約者だけだった。
「気にするな。あいつらはみんな、強い者に媚びる連中だ。俺はこれからもずっと、お前を大事にしてやる」
けれど、会員制クラブの片隅で私は見てしまった。
あれほど傲慢だった婚約者が、まるで給仕のように卑屈な姿で、その令嬢の靴についた酒の染みを拭いていた。その目には、私が一度も見たことのない狂おしいほどの執着が宿っていた。
「頼むから、一度でいい。俺を見てくれ。そうしてくれるなら、結婚なんてやめる。だめか?」
私は家に帰って祖父に言った。
「おじいさま、A国の海外支援の案件、私が行くわ。
それに、あの縁談も受ける。もう二度とあの人たちの顔を見なくて済むなら」
祖父の上原万夜(うえはら ばんや)は、決然と背を向ける私を見つめたまま、老いた手を震わせて引き留めようとしたが、結局その手は宙に浮いたままだった。
「詩織ちゃん、本当にいいのか?あそこはやばい国だ。それに西園寺家の、あの悪魔みたいな男の縄張りだぞ」
私は振り返らなかった。背を向けた瞬間、涙が床に落ちた。それでも声だけは、不思議なほど静かだった。
「おじいさま、もう決めたの。ここを離れて、あの人たちにもう会わずに済むなら、どこだっていい」
書斎を出ると、私は冷たい壁にもたれ、そのままずるずると床に崩れ落ちた。
頭の中には、三十分前にクラブで見たあの光景が何度もよみがえっていた。
今日は私の二十三歳の誕生日だった。
例年どおりなら、今夜は都でも指折りの盛大な集まりになっているはずだった。
私は上原家の小さなお姫さまで、陸山景吾(りやくや けいご)に手のひらで大事に守られてきた、壊れ物のような存在だった。
なのに今夜、個室はひっそりと冷えきっていた。
私はオートクチュールのドレスをまとい、まるで笑いものみたいに上座に座ったまま、一時間、二時間と待ち続けた。
グループチャットは、しんと静まり返っていた。
幼なじみの高杉賢治(たかすぎ けんじ)、澤本航平(さわもと こうへい)、それに婚約者の景吾――誰一人として何も言わなかった。
そして私は、SNSで日向鈴(ひなた すず)の投稿を見つけた。
背景は同じクラブの別の個室。添えられていたのは、たった二文字だけだった。
【勝者】
写真の端には片手が写っていて、その腕には、私が景吾に贈ったパテックフィリップが巻かれていた。
私はドレスの裾をつかみ、気が狂ったようにその個室へ駆け出した。
扉の前に立つと、中からどっと笑い声が聞こえてきた。
「陸山さん、相手は我らが日向鈴様だぞ。ちゃんときれいに拭けよ」
「そうそう。この染み、入り込んだらこの靴はもう終わりだぞ」
半開きの扉の隙間から見えたものに、私は血の気が凍りついた。
普段なら、私が少し眉をひそめただけで大騒ぎするあの男が。
私を心のいちばん大切な場所に置いていると言っていた景吾が。
今、片膝をついていた。
彼の手には高価なシルクのハンカチが握られていて、鈴のハイヒールについた酒の染みをひどく慎重に、ひどく卑屈に拭っていた。
その仕草は、まるでこの世に二つとない宝物でも磨いているみたいだった。
鈴はソファにもたれ、ワイングラスを揺らしながら、気だるげで少しうんざりした目をしていた。
「もういいわ、陸山。芝居はやめて」
景吾は顔を上げた。その目には、私が一度も見たことのない熱に浮かされたような執着と狂気があった。
「鈴、頼む。たった一度でいい、ちゃんと俺を見てくれ。靴を拭くことくらい何だ。結婚だってやめる。だめか?あの泣いてばかりの箱入り娘には、もうとっくにうんざりしてるんだ」
ぱたん、と。
私の手からプレゼントの箱が落ちた。
あれは景吾がずっと欲しがっていたカフリンクスだった。デザイナーに半年もかけて頼み込み、ようやく手に入れた一点物だった。
個室の空気が、一瞬で凍りついた。
その場にいた全員の視線が、いっせいに私へ突き刺さった。
私の蒼白な顔を見て、景吾の目に一瞬だけ動揺が走り、反射的に立ち上がろうとした。
けれど、鈴の意味ありげな笑みを含んだ視線とぶつかった途端、その動揺はたちまち冷たさと嫌悪に変わった。
彼は眉をひそめ、冷えきった声で言った。
「どうして来た?ちょうどいい。お前にもはっきり言っておきたいことがある」
私は唇をきつく噛みしめ、血の味を感じた。
「景吾、今日は私の誕生日よ」
景吾は鼻で笑い、汚れたハンカチを無造作にテーブルへ放り投げた。
「誕生日?上原詩織(うえはら しおり)、お前いくつだよ。誕生日だからって、世界中が自分のために回るとでも思ってるのか?
少しは鈴を見習えよ。もっと自立しろ。いつまでも乳離れできない子どもみたいに振る舞うな」
賢治も口を開いた。その声には、いら立ちしかなかった。
「詩織ちゃん、俺たちだって好きで言ってるわけじゃない。鈴は帰国したばかりで、起業のプレッシャーも大きいんだ。俺たちが少しくらいそばにいてやって、何が悪い?お前も少しは空気を読めよ」
航平も同調するように言った。
「その通りだ。前はお前がまだ子どもだったから甘やかしてただけだ。でも今となっては、完全に甘やかしすぎたな。少しのつらさにも耐えられないようじゃ、この先どうやって陸山家の女主人になるんだ?」
私は、かつて一生守ると誓ってくれた人たちを見つめた。
いつからだったのだろう。
鈴が帰国した、その日からだ。
彼女は高級車には乗らず、バイクにまたがる。紅茶ではなく強い酒を飲み、温室で花を愛でるのではなく、商売の世界で血路を切り開く。
彼女は野に咲く薔薇で、私は温室育ちの蘭だった。
だから、私の甘さは罪になり、私の涙はわざとらしさになった。
私は深く息を吸い、爪が掌に食い込むほど拳を握りしめた。
「つまり、これがあなたたちからの誕生日プレゼントってことなのね?」
景吾はうんざりしたように手を振った。
「騒ぎに来たなら、さっさと出ていけ。みんなの気分を台なしにするな」
鈴は眉をわずかに上げ、冷ややかな声で言った。
「上原さん、陸山社長もあなたのためを思って言っているのよ。温室育ちの花は、やっぱり嵐には耐えられないもの」
その瞬間、私の中で何かがぷつりと完全に切れた。
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