私は空へ、あなたは後悔の中へ第3話
この話は約2282字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
「私がいなくなったあと、分からなくなるんじゃないかって思って」
その言葉に怜は眉をひそめる。「数日離れるだけだろ?別になんてことないよ」
怜は遥が消え去る可能性など、微塵も考えていないようだ。
その事実に気づき、遥は唇を小さく震わせて何かを言いかけた。
しかし、結局は言葉を飲み込み、俯いて荷物の整理を続ける。
怜もワイシャツの袖をまくり、一緒に片付け始めた。
しばらく片づけていると、遥が捨てようとしているものが自分に関連する物ばかりだと気づき、思わず声をかけた。
「これ、俺の高校時代のバスケウェアだろ?なんでお前が持ってるんだ?それに、南都大の資料も溜め込んでたみたいだけど、本当はそこに進学したかったのか?このラブレターも、お前が書いたやつ?」
もう全てを手放そうと決めていたため、遥はかつての恋心についても、ありのままを平静に答えることができた。
隠し事などせず、正直にひとつひとつ答えていく。
「バスケウェアはあなたの友達から6万円で買い取ったし、元々は医学部志望だったけど、あなたと一緒にいたくて航空大学校に変えたの。その手紙は若い頃に書いたやつなんだけど、渡せなかっただけ」
怜の全身に衝撃が走った。
まさか、遥が高校時代から自分に好意を寄せていたなんて……
しかし、それほど大切に保管してきた思い出の品を、なぜ今さら捨てる必要があるのだ?
腑に落ちない思いで遥に尋ねようとしたその時、ふと彼女の左手に目が留まった。「婚約指輪はどうしたんだ?」
遥は顔色一つ変えずに嘘をつく。「飛行機が揺れた時に、無くしちゃったみたい」
何もついていない遥の薬指を見て、なぜだか怜は言いようのない違和感を覚えた。
怜は片付ける手をとめ、遥の手を取り部屋を出た。
「新しい指輪を買いに行こう」
何度か断った遥だったが、怜の意志は固く、そのまま店へ向かうことになった。
店に到着すると、店長は怜を見るなり熱烈な態度で出迎えてきた。
「神谷さん、お久しぶりです。4年前、10種類もの指輪をご注文されて、毎年ひとつずつ持ってプロポーズするんだっておっしゃっていたのに、その後連絡も取れなくなってしまったので、忘れてしまわれたのかと思っておりましたよ!」
4年前といえば、怜が視力を失う前年。
怜はあの頃から既に、汐里へのプロポーズを考えていたらしい。
たとえ家が反対しようと、汐里が決断を先延ばしにしようと、そして、どれだけの困難が待っていようと……彼はずっと汐里と一緒になる未来を諦めていなかったのだ。
遥は黙ったまま、店員から視線を外す。
一方、怜は少し焦りを滲ませた様子で遥に説明した。「過去の話だから、気にしないで」
「本当にもう過去のことなの?」逆に問い返す遥。
怜は遥の言っている意味が分からなかった。「えっ?」
遥は首を振り、そのまま俯いてケース内の指輪を眺める。
この婚姻関係を手放すことを決めた今、婚約指輪など、自分にはもう必要なかった。だから、遥はどの指輪にも難癖をつけて、空腹を言い訳に店を離れ、レストランへと向かった。
テーブルにつくと、怜は10品ほど注文した。
どれも、身内の食事会で汐里が好きだと話していたメニュー。
遥は無言で海鮮が並ぶテーブルを眺めていた。
ここ数年ずっとそうだったので、今更驚くこともない。
食事が終わると、二人は隣り合うことなく、前後になって個室を出た。
店の出口に向かって歩いていると、後ろを歩いていたカップルが、何が理由か分からないが激しい口論を始め、もみ合いになったのち、一人が遥にぶつかった。
体勢を崩した遥はよろけ、そのまま大理石のテーブルの角に額を強く打ち付けた。
傷口から血が溢れ出し、彼女の服と床を真っ赤に染めていく。
痛みで息を呑んだ遥は、とっさに怜の姿を探した。
しかし、彼はすでに出口付近まで歩みを進めており、携帯で誰かと会話をしている。
「彼氏と喧嘩したって?本当に別れるのか?分かった。今からすぐに行くよ」
怜の声には、明らかな期待が滲み出ていた。
通話を終えた怜が振り返った。笑みが浮かんでいたその瞳が、血まみれの遥を捉えた瞬間、凍りつく。
駆け寄ってきた怜だったが、何を思ったのか、急にその足を止めた。
彼が見せた一瞬の迷いに、遥は手を固く握りしめる。
遥は助けに来たスタッフに手を貸してもらい、痛みを堪えて立ち上がる。「忙しいなら、行っていいよ。私は大丈夫だから。病院くらい一人で行ける」
その一言が免罪符となったのか、怜はほっとした表情を浮かべ、車の鍵を遥に渡すと、急ぎ足で去っていった。
その遠ざかる後ろ姿を見ながら、遥は親切な人が渡してくれたハンカチで傷口を塞いだ。
ヒリヒリとした痛みが広がり、視界が涙で滲んだが、歯を食いしばり、こみ上げるつらさを飲み込む。
涙は一滴もこぼれなかった。
病院で傷を処置してもらった後、遥は薬を受け取り家に帰った。
1週間の休みを取り、部屋に籠もる。
その間、怜が戻ってくることは一度もなかった。
しかし、インスタで更新された汐里の投稿を見て、遥は彼が今も汐里に付き添っていることを知っていた。
汐里に寄り添い海岸沿いを散歩し、汐里のために花火を上げる。さらには、手料理を汐里に食べさせ、着ぐるみを着てのサプライズ。全ては汐里を笑顔にするために……
最後の一枚まで見ると、遥は携帯を閉じ、胸の前で手を合わせた。
目を閉じ、27歳になった自分自身を祝う。
「遥、誕生日おめでとう。この1年、仕事が上手くいって、全てが私の願い通りになりますように。
離婚が成立したら、もう一生、怜には会うことがありませんように……」
そして、そっと目を開け、卓上のキャンドルを吹き消した。
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