私の幸せ、もうあなたと割り勘しません第3話
この話は約1677字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
ふたりで気に入っていたものの、まだ売買契約までは交わしていなかった新居の購入を取りやめるために、私は不動産会社へ向かった。
応対に出てきた担当者は、驚きを隠せない様子だった。
「与那嶺様、こちらの物件は杉森様と1か月以上ご検討いただいていましたよね。来週には売買契約の予定でしたが……」
「購入はやめます」
「何か条件面で気になることがございましたか?でしたら、もう一度こちらでご相談を――」
「結構です。結婚しないことになったので」
私は購入申込みを取り下げる手続きを済ませ、そのまま不動産会社をあとにした。
日差しが、目に痛いほどまぶしかった。
スマホが小さく震えた。
知佳から、自撮り写真が届いていた。
ブライダルサロンの大きな鏡の前で、細かな刺繍がふんだんに施された豪華なドレスを身にまとっている。
その後ろには、ソファに座ってスマホに目を落とす陸の姿が写り込んでいる。
添えられたメッセージはこうだ。
【凪さん、これどうですか?陸くんは肌の色に合ってるって言ってくれたんですけど、ちょっとお高くて】
私は写真を拡大する。
ドレスの値札が、半分だけのぞいていた。
24万円。
できるだけ費用を抑えようと、私は16万円の一番安いウェディングドレスを選んだのに、ブライズメイドのドレスのほうが高いなんて……
私は返信せず、そのままスマホをマナーモードに切り替えた。
30分ほどして、陸から電話がかかってきた。
私は通話ボタンを押す。
「今どこにいるんだよ。知佳と1時間も待ってるんだぞ」
その声には、はっきりと不満がにじんでいた。
「ちょっと用事で出てるの」
「ドレスの試着より大事な用事って何だよ。知佳は午後からヨガ教室なんだぞ」
「そんなに忙しいなら、ふたりで決めればいいじゃない」
「凪、すねるにしても時と場所を考えろよ」
陸は大きく息を吐いた。
「ふぅ……わかった。お前が来ないなら、俺が決めとく。
さっき、知佳がブライズメイドのドレスを選んだんだ。24万。
高すぎるとは思ったんだけど、あいつがどうしても気に入ったみたいでさ」
電話の向こうで、彼は一拍おいた。私の反応を待っているらしい。
私は何も言わなかった。
「じゃあ、こうしよう。この代金は結婚式の総予算に入れる」
彼は自分の案を切り出した。
「つまり、このドレスはふたりで12万ずつ負担するってことだ」
私は思わず笑ってしまった。笑った拍子に、胃がきりきりと痛む。
「彼女が気に入って、あなたが買う。なのに、どうして私が半分出すの?」
「知佳は俺たちのブライズメイドなんだから、これも結婚式の費用だろ!」
彼は一歩も引かない。
「ブライズメイドなんて頼んだ覚えはないし、24万のドレスもいらない」
「ふん、話にならないな」
陸は鼻で笑った。
「喧嘩する気はない。支払いはもう済ませたから、帰ったら12万送っとけよ」
「陸、私は送らないから」
「どういう意味だよ」
「言葉どおりの意味よ」
その夜、陸は夕飯を食べに帰ってこなかった。
外で友達と飲んでくる、と短いメッセージが1通届いただけだった。
私はひとりリビングのラグに座り込み、引き出しの中の細々したものを整理していた。
奥のほうから、古いスマートウォッチが出てきた。
付き合って3年目、彼の誕生日に贈ったものだ。給料の半月分以上をつぎ込んだ品だった。
だが、彼が身に着けてくれたのは、たった3日だけだった。
バンドが蒸れるし、運動すると手首が締めつけられるから、というのがその理由だった。
その翌月、知佳が彼に機械式の腕時計を贈った。
彼はそれを、まる4年も着け続けたのだ。
私はスマートウォッチをゴミ箱へ放り込み、また引き出しの奥を探った。
やがて指先に、ひやりとした金属の首輪が触れた。
むぎの首輪だった。
むぎは2年前、マンションの前に捨てられていたのを、ふたりで拾ってきたゴールデンレトリバーだ。
拾ったときにはパルボウイルスにかかっており、今にも息が絶えそうだった。
私は毎晩、夜通し動物病院で付き添い、20万円以上かけて、ようやくあの子を助けたのだ。
あのとき、陸はこう言った。
「犬はお前が勝手に助けたんだろ。治療費、俺は払わないからな」
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