私のかわいい息子は、夫の初恋をママと呼んだ第1話
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松井湊(まつい みなと)と結婚して7年目。松井楓(まつい かえで)は、息子の松井健太(まつい けんた)の無邪気な一言を、偶然聞いてしまった。
「パパ、どうして僕のママは渚さんじゃだめなの?」
楓は思わず固まった。
「渚さん」って吉田渚(よしだ なぎさ)……湊の初恋の相手?
聞き間違いだろうか。そう思って声をかけようとした瞬間、一台の車が物凄いスピードで健太に向かって突っ込んできた。
楓は考えるより先に、とっさに健太の前に飛び出し、その体を突き飛ばした。
ドンッ。
凄まじい衝撃に襲われ、楓はその場で意識を失った。
目が覚めると、病室のベッドの上だった。湊と健太の無事な姿が目に入り、楓は胸をなでおろした。
「大丈夫だよ」と、そう二人に声をかけようとした時、ふと事故の前に聞いた健太の言葉が頭をよぎった。
楓は何かに駆られるように、ぼんやりとした表情を作って、二人を見つめた。
「すみません……今、何も思い出せないのです」
ベッドの前に立っていた二人は、楓の言葉を聞いて目を大きくして、慌ててナースコールを押した。
一通りの検査を終え、医師は診断結果を告げた。
「頭部を強く打った影響で、一時的に記憶が混乱しているのでしょう」
医師が病室を出た後でも、楓は何もわからないという表情を保ち続けた。
「どうして私は事故になんて……それに、あなたたちは誰ですか?」
湊は眉をひそめ、何かを言おうとした。だがその前に、興奮を隠しきれない幼い声が、彼の言葉を遮った。
「楓さんは、うちの家政婦だよ!」
* * *
松井湊(まつい みなと)と結婚して7年目。松井楓(まつい かえで)は、息子の松井健太(まつい けんた)の無邪気な一言を、偶然聞いてしまった。
「パパ、どうして僕のママは渚さんじゃだめなの?」
楓は思わず固まった。
「渚さん」って吉田渚(よしだ なぎさ)……湊の初恋の相手?
聞き間違いだろうか。そう思って声をかけようとした瞬間、一台の車が物凄いスピードで健太に向かって突っ込んできた。
楓は考えるより先に、とっさに健太の前に飛び出し、その体を突き飛ばした。
ドンッ。
凄まじい衝撃に襲われ、楓はその場で意識を失った。
目が覚めると、病室のベッドの上だった。湊と健太の無事な姿が目に入り、楓は胸をなでおろした。
「大丈夫だよ」と、そう二人に声をかけようとした時、ふと事故の前に聞いた健太の言葉が頭をよぎった。
楓は何かに駆られるように、ぼんやりとした表情を作って、二人を見つめた。
「すみません……今、何も思い出せないのです」
ベッドの前に立っていた二人は、楓の言葉を聞いて目を大きくして、慌ててナースコールを押した。
一通りの検査を終え、医師は診断結果を告げた。
「頭部を強く打った影響で、一時的に記憶が混乱しているのでしょう」
医師が病室を出た後でも、楓は何もわからないという表情を保ち続けた。
「どうして私は事故になんて……それに、あなたたちは誰ですか?」
湊は眉をひそめ、何かを言おうとした。だがその前に、興奮を隠しきれない幼い声が、彼の言葉を遮った。
「楓さんは、うちの家政婦だよ!」
楓は、健太の言葉に絶句した。用意していた次のセリフが、喉の奥に引っかかって出てこない。
こわばった表情で、自分が命がけで産んだ我が子を見る。楓は信じられない思いで、その言葉を繰り返した。
「家政婦……」
「うん、そうだよ」健太は即答した。「じゃなきゃ、どうしてパパと僕がずっとここにいるの?うちの家政婦だから、特別に面倒を見てあげてるんだよ」
楓は何も言わず、健太の顔をじっと見つめた。その表情から、少しでも冗談めいた色を見つけ出そうと必死だった。
次の瞬間には、「ママの嘘なんてお見通しだよ」と、健太が笑って飛びついてくることを期待した。
しかし、その期待は裏切られた。健太は真剣な顔で、湊の袖を引っ張りながら言った。
「ねえ、パパ。楓さんは僕を助けてくれたんだから、ご褒美をたくさんあげてね」
あまりの出来事に、楓は全身の力が抜けていくのを感じた。
命をかけて守ったこの子にとって、自分は、ただの家政婦でしかなかったなんて……
じゃあ、健太にとっての「ママ」は、一体誰なの?もしかして、渚?
胸の奥が、ちくりと痛んだ。楓は唇を強く噛みしめ、息子に問いただしたい衝動を必死に抑えた。
彼女は、それまでずっと黙ったままの湊に視線を移した。
息子の心に自分がいないことは、もうこれで分かった。なら、結婚して7年になるこの夫の心の中には、果たして自分の居場所があるのだろうか。
楓と視線が合うと、湊は目を逸らしただけで、彼女に一言もかけず、健太を連れて病室を出て行った。
楓の心が、どこまでも沈んでいくようだった。
なにも否定しなかった。それがすべての答えなのだろう。
体中の痛みをこらえながら、楓はベッドを降りた。そして、病室のドアに体を寄せ、聞き耳を立てた。
ドア隙間から、廊下の様子が見えた。湊が健太の前にしゃがみ込み、怒りを抑えた声で尋ねた。
「健太、どうして家政婦だなんて嘘をついたんだ?」
健太は口をへの字に曲げ、不満そうな顔をした。
「だって、渚さんに僕のママになってほしかった。渚さんと一緒にいる時は楽しいのに、ママと一緒だと怒られてばっかで嫌だから。
それに、渚さんはピアノがすごく上手なんだよ。それに比べてママは、1日中うちにいるだけで、何も面白くないじゃないか」
渚に母親になってほしいと、健太自身の口から聞いてしまった楓は、全身の力が抜けていくのを感じて、ずるずると床にへたり込んだ。
やっぱり……聞き間違いじゃ、なかったんだ。
健太は、そんなにも渚のことが好きだったのか。自分を家政婦扱いしてまで、渚を母親にしたかったなんて。
渚の名前を聞いた途端、湊の怒りは少し和らいだ。それでも、表情は険しいままだった。
「そうだとしても、嘘をつくのはよくない」
「だって、ママは今、何も覚えてないんだよ。自分が誰かなんて、わかってないじゃん」健太は湊の大きな手にすがりついて甘えた。「聞いて、パパ。渚さんも、僕のママになりたいって言ってたんだ。せっかくのチャンスなんだから、本当にお願い!
パパだって、渚さんといる時に楽しそうにしてたじゃん。この嘘は、パパにとってもきっといいことなんだよ。誰も傷つけないし、ママが記憶をなくしてる間だけでいいから!」
湊は、健太の言葉に心が動いたようだった。ゆっくり考えた後、とうとう頷いた。
「わかった。でも、1週間だけだ。1週間後には、ママの記憶が戻らなくても、渚を『ママ』と呼ぶのはおしまいだ」
湊の許しを得て、健太は嬉しそうに飛び跳ねた。
「やったあ!じゃあ、今すぐ渚さんのところに行って、このことを教えてあげようよ!」
そう言って、健太は嬉しそうに湊の手を引いて歩き出した。
二人は、事故にあったばかりの楓のことを、もう気にしていないようだ。
遠ざかっていく足音を聞きながら、楓はなぜか笑っていた。大粒の涙が次から次へと頬を伝って、床に落ちていった。
ほんの出来心で試しただけなのに。まさか、それで夫と息子の本音を知ってしまうなんて。
結婚して7年の夫も、大切に育ててきた息子も、自分のことなんてどうでもよかったんだ。
幸せな家族だと思っていたのは、自分だけ。全ては、笑えない冗談で片づけられた。
その時、静かな病室に、スマホの着信音が鳴り響いた。
電話は、医薬科学研究所からのものだった。
「楓さん、考えはまとまったかい?例のプロジェクトの件なんだが」
楓は、スマホの待ち受けにしている家族3人の写真に目を落とした。その瞳は、感情が抜け落ちたように虚ろだった。
「はい、参加させてください」
静かな病室に、楓の声が響いた。か細いながらも、その声には強い決意が込められていた。
「ただ、プロジェクトが始まる前に、私の過去に関する情報をすべて消してもらいたいんです」
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