私が愛したのは、面影だけだった第1話
この話は約2629字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。
貧しい家庭で育った学校一のイケメン、三宮遊助(さんのみや ゆうすけ)を「囲って」もう4年。船越真里亞(ふなこし まりあ)は髪の1本に至るまで大切に慈しんできた。
あらゆる伝手を使って全国で腎臓のドナーを探し回り、死神の手から彼の母親の命を取り戻したこともある。
西京市の名門お嬢様学校に手を回し、妹を入学させ、立派な令嬢へと磨き上げた。
さらには惜しみなく大金を注ぎ込んで起業を後押しし、遊助を新進気鋭の実業家へと押し上げてみせたが……
* * *
結婚式を目前に控えたある日、真里亞は思いがけない光景を目にする。遊助の幼馴染である南沢園子(みなみざわ そのこ)が彼に縋りつき、儚く泣き崩れていたのだ。
「遊助さん、真里亞さんのこと好きじゃないって知ってるの。ずっと私のことを想ってくれてたことも。あの頃、私たちあんなに仲が良くて……あと一歩で付き合うところだったのに。
でも、おば様が病気になって、優花里ちゃんも学校に通えなくなって、追い詰められて真里亞さんの恋人になるしかなかったんでしょ?
あの人はもう何年もあなたを縛りつけてきた。今のあなたはもう成功して、昔とは違うんだから、どうして無理して結婚する必要があるの?
私、あの人があなたと結婚するなんて絶対に許せない。本当に結婚するつもりなら、私、今日ここから飛び降りるから!」
30階建てのオフィスビル。その高さを見ただけで、遊助の母、三宮福子(さんのみや さちこ)と妹の三宮優花里(さんのみや ゆかり)は青ざめ、慌てて遊助を説得し始めた。
「遊助、園子は私が小さい頃から見てきた子よ。ずっと将来はうちのお嫁さんになる子だと思ってきたの。あの子を裏切るなんてできないでしょう!」
「そうだよお兄ちゃん、真里亞さんと別れてよ。園子はあんなにお兄ちゃんのこと好きなんだから、あたし、園子にお義姉さんになってほしいの」
「ねえ、何か言ってよ遊助さん!今のあなたなら真里亞さんから逃げられるはずなのに、どうして別れないの?
それなのに結婚までするなんて!まさか……あの人のこと好きになったの?もしそうなら、私、死んでやるわ!」
その混乱した空気の中、遊助はただ黙り込んでいた。
いつまで経っても答えが返ってこないことに、園子の感情はついに限界に達し、身を翻して飛び降りようとした。
その瞬間、遊助は咄嗟に園子の手をつかんだ。低く沈んだ声で言った。
「……わかった。結婚はやめだ」
園子の顔にぱっと喜びが広がる。
「やっぱり遊助さんの心には私がいたのね。じゃあ、式当日に姿を消してほしいの。真里亞さんに恥をかかせてやりましょう。長年あなたを縛りつけてきた仕返しよ」
その言葉に、その場にいた全員の顔色がわずかに変わった。
遊助がすぐには頷かないのを見て、園子はまた目を赤くした。
「遊助さんもあの人のこと嫌いなんでしょう?これさえ約束してくれたら、もう二度と馬鹿な真似はしないから」
我に返った福子と優花里も、そこに加わって説得を始めた。言葉の端々に滲むのは、式から逃げてしまえばいい、それが真里亞へのいい薬になる、という思いだった。
遊助は眉を寄せたまま、何を考えているのか誰にも分からなかったが、やがて重い口を開き、頷いた。
福子と優花里の顔がぱっと輝き、園子もほっと息をつくと、涙に笑みを滲ませながら胸に飛び込んだ。
「これで約束ね。真里亞さんが絶望する顔、早く見てみたいわ」
その一部始終を、真里亞は見ていた。だがその場に踏み込むことはせず、何食わぬ顔で階段を下りていく。
車に戻ると、後部座席にしばらく座り込み、やがて母に電話をかけた。
「……やっぱりお母さんの言う通りだった。遊助がどんなに優馬に似てても、優馬じゃない。この結婚、やめるわ」
「はぁ……優馬が亡くなってもう何年も経つのに、あなたはずっと身代わりを探し続けてる。遊助を囲って、思い出を懐かしむだけならまだいい。でも本当に結婚するなんて、そこまでする必要ないでしょう」
母のため息を聞きながら、真里亞は静かに視線を止めた。車窓の向こうに、遠い昔の光景を見ているかのように。
物心ついた頃から、隣に住む2つ年上の少年、藤牧優馬(ふじまき ゆうま)を知っていた。幼馴染として、あどけない子供の頃から淡い恋心を抱く年頃まで、いつも一緒にいた。
幼い頃から反抗的で、誰もが手を焼く小さな悪魔だった真里亞に対し、優馬は周囲でも評判の、穏やかで品のある少年だった。どんな厄介事を起こしても迷わず後始末をし、いつも庇ってくれた。
真里亞もまた、生涯でもっとも熱く、もっとも真っすぐな想いのすべてを注ぎ、彼のお嫁さんになるのだと心に誓っていた。
優馬の22歳の誕生日、ふたりは婚姻届を出しに役所へ行く約束をしていた。だが朝から晩まで役所で待っても、優馬は現れなかった。届いたのは、道中で交通事故に遭い、亡くなったという知らせだけだった。
その日を境に、世界は暗闇に沈んだ。現実を受け入れられず、狂ったように面影を探し続けた。
どこか似た横顔、澄んだ瞳、優しい声。優馬の面影を少しでも宿す人なら、誰であろうと近づかずにはいられなかった。
そして4年前、バーでアルバイトをしていた遊助と出会った。体つきも顔立ちも優馬に驚くほどよく似た青年を一目見た瞬間、真里亞は彼を自分のそばに繋ぎ止めようと決めた。
家庭の事情を調べ上げ、金銭を条件に交渉し、恋人という立場を手に入れた。それ以来、もう他の代わりを探すことはなかった。
周囲の誰もが、本当に恋をしたのだと思っていた。だが真里亞だけは知っていた。遊助の顔に重ねて見ていたのは、ただ優馬の面影だったということを。
すべて分かっていながら、自ら作り上げた幻に溺れていた。現実と幻想の境目を見失いかけるほどに。
だが今しがたの茶番を目の当たりにして、ようやく目を覚ました。
身代わりは、所詮身代わりでしかない。
真里亞は掠れた声で言った。
「お母さん、数日したらアイルランドへ行くわ。向こうに永住して、一緒に暮らしましょう」
そして残りの人生を、優馬を偲ぶことに捧げよう。
電話を切った後、ひとりで新居に戻ると、デザイナーが100着を超えるウェディングドレスを用意して何時間も待っていた。だが凝った意匠の純白のドレスの数々を見ても、もう何の興味も湧かない。気だるげに手で制した。
「もう選ばなくていいわ。この結婚、やめにするから」
次の瞬間、扉が開いて遊助が姿を現した。瞳は澄み、冷たい光を湛えている。
「何を言ってるんだ?」
縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)