私が一番じゃない恋は、もういらない第1話
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映画が終わったあと、私・橘綾菜(たちばな あやな)は駐車券の精算をしに自動精算機へ向かった。
ほんの3分もかからなかったはずなのに、車のあったところへ戻ると、彼氏・周防朔(すおう さく)の車はすでに駐車場を出たところだった。
助手席には親友の水野寧々(みずの ねね)が座っていて、私の折りたたみ傘は後部座席に置きっぱなし。
駐車場の外では、激しい雨が白い壁のように降りしきっていた。
そのとき、スマホが震えた。
【寧々、胃がひどく痛いらしいから、先に病院へ送ってくる。俺のことは待たなくていいから、自分でタクシーを拾って帰ってて】
私は駐車場に立ったまま、朔の車のテールランプが見えなくなるまで見送った。
今回ばかりは、どうしてまた私を置いていったのかと問い詰める気にもならず、私はそっとスマホの画面を消した。
* * *
雨はいつまでも止まなかった。
映画館は新しく開発された街の中心部からかなり離れたエリアにあり、さらには、公共交通機関もあまりないため、配車アプリを開いても、順番待ちはかなりの人数がいた。
以前の私なら、きっとすぐに朔へ電話していただろう。そして、一度出なければもう一度かけ、それでもつながらなければ、きっと運転中なのだと自分に言い聞かせていたはずだ。
でも、その日は何もしなかった。
終電に乗って2回乗り換え、電車が通っていない駅から家までの最後の区間は、コンビニで買ったビニール傘をさして20分歩いた。
祖母の家に着く頃には、ズボンの裾までびしょ濡れになっていた。
祖母はまだ起きていて、私が鍵を開ける音を聞くと、老眼鏡をかけたまま寝室から顔を出す。
「綾菜ちゃん?こんな時間にどうしたの?」
靴を脱ぎかけた手が止まる。
「おばあちゃんに会いたくなっちゃって」
祖母は嬉しそうに笑った。
「まあ、口がうまいんだから」
祖母はそのまま台所へ向かった。私は玄関にしゃがみ込み、濡れた靴を見つめているうちに、なぜか泣きそうになった。
朔と付き合って4年。
この4年間、私は彼を待つことにすっかり慣れていた。
仕事が終わるのを、会議が終わるのを、図面の修正が済むのを、出張から帰ってくるのを……そして、寧々と一緒に現場を見終わるのも、何度もかかってくる「大事な電話」が終わるのも、いつだって待っていた。
私がもう少し我慢すれば、彼もきっと時間を作ってくれる。ずっとそう思っていたから。
すると、朔からメッセージが届いた。
【家に着いたか?】
その30分後、もう一通。
【寧々、急性胃炎だった。今、点滴を受けてる】
私は返信しなかった。
すると、ほどなくして3通目が届いた。
【明日の朝、仕事に行く時にさ、お前の店の塩ベーグルを二つ作ってくれないか?寧々、しばらく脂っこいものは食べられないらしいから】
画面をしばらく見つめてから、私はふっと笑ってしまった。
彼はようやく、私の仕事を思い出したらしい。
私はパティシエだ。正確に言うと、ショッピングモールにあるチェーンのベーカリーで働くケーキ職人で、普段はデコレーションやスイーツ作りを担当している。
朔や寧々の周りにいる建築家やデザイナーの友人たちから見れば、私の仕事はたいしたスキルもいらないものなのだろう。
彼らが建物の外観や人の動線、建材の納まり、コンペの企画案について話す一方で、私が考えるのは生クリームの泡立て具合や、チョコレートをテンパリングする温度のことばかり。
朔は昔、冗談めかして私を「橘シェフ」と呼んでいた。でも、いつの間にかこう言うようになった。
「お前、ケーキ作ってるだけだろ?」
彼に悪気はない。少なくとも、今までの私はずっとそう自分に言い聞かせてきた。
私は一言だけ返す。
「作れない」
すぐに彼から電話がかかってきたけれど、私は出もしないでそのまま切った。
またかかってきたから、今度はマナーモードにする。
すると、祖母が温めたお汁粉を持ってきてくれた。
「朔くんと喧嘩でもしたの?」
「ううん。ただ、ちょっと疲れちゃって」
祖母はそれ以上何も聞かず、ただ私の頭を優しく撫でてくれた。
「じゃあ、今夜はもう寝なさい。考えるのは、ぐっすり眠ってからでいいんだから」
私は俯いて、祖母の手作りのお汁粉を飲んだ。しかも、私のために少し甘さ控えめに作ってくれている。
そういえば朔は、もうずいぶん長いこと、私の好きな食べ物なんて聞いてくれなくなっていた。
翌日、私はいつも通り出勤した。
9時を少し過ぎた頃、朔がやって来た。昨夜と同じ黒いコートを着ていて、目の下にはうっすらとクマができている。
「なんで電話に出ないんだ?」
「忙しかったから」
「昨日の夜は?」
「寝てた」
彼は眉をひそめた。私がこんなに素っ気ない態度を取るとは思わなかったのだろう。
「寧々は一晩中病院で寝てたんだ。医者から、しばらくはあっさりしたものしか食べちゃダメだって言われてる」
私はうなずいた。
「そう」
彼は数秒ほど待ってから口を開いた。
「ベーグルは?」
私はようやく顔を上げ、彼をまっすぐ見つめた。
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