研究より弟子を選んだ夫と離婚第1話
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川崎賢斗(かわさき けんと)と、子どもを持たない結婚生活を始めて5年目。思いがけず、私のお腹に小さな命が宿った。
勇気を振り絞って妊娠を告げた私に、賢斗は驚くほど平坦な声で答えた。
「俺の研究計画に、子育てを組み込む余裕はない」
そう言って、迷いもなく中絶を勧めた。
私はお腹の子への未練も悲しみも胸の奥に押し込め、彼の言うとおりにした。
ところが心まで冷え切るような療養生活を送る中、彼は教え子と人目も憚らず抱き合っていた。
やがて、その教え子が大きなお腹を抱え、家にやってきた。
* * *
前日に陽性を確認した妊娠検査薬を差し出した時、川崎賢斗(かわさき けんと)は鏡の前でネクタイを締めているところだった。
最近の賢斗は「研究が忙しい」と何日も家に帰らず、広い家には、ほとんど私、川崎なつめ(かわさき なつめ)ひとりしかいなかった。昨夜も帰宅は深夜で、話す間もなく眠り込んでしまった。
「妊娠したの。1ヶ月だって」
口にした途端、胸の奥で小さな波紋が広がった。
賢斗の手が止まる。鏡越しに視線がぶつかった。
「……どうして妊娠なんてしたんだ」
私も不思議だった。子どもを望まない彼に合わせ、毎回欠かさず避妊していた。だからこそ、すべての確率をすり抜けて宿ったこの子は、授かるべくして授かった奇跡ではないかと思ったのだ。
「私、この子を産みたい」
彼は検査薬を一瞥しただけで、軽くため息を吐いた。
「なつめ、困らせるな」
胸の奥が、すっと冷えた。彼はいつも、聞き分けのない子どもをあやすような口調で私の願いを退ける。
唇を動かしたが、言葉は出なかった。
彼はネクタイの結び目を整えると、手を伸ばして私の髪を撫で、額に軽く口づけを落とした。
「まだ早いうちに堕ろしてくれ。俺の研究計画に、子育てを組み込む余裕はない」
声はすぐ耳元から聞こえているのに、まるで水中にいるように思考が遠のいていった。
分かっていたはずだった。
結婚する時、賢斗はこう言ったのだ。
「なつめ、俺はこれからの人生を研究に捧げる。あそこには、生涯追い続けたいものがある。お前と過ごす時間は少なくなる。それでも、一緒にいてくれるか?」
恋に浮かれていた私は、彼を一途な人だと思っていた。けれど結婚5年目の今、あの熱はいつの間にか静かに冷めきっていた。そんな孤独な日々の中で授かったこの子に、私はかすかな光を見たのだ。
その希望の光を、彼は何のためらいもなく消そうとしている。
子どもは研究の邪魔になる。彼にとっては、それだけだった。
今、目の前に立つ、相変わらず大人びて落ち着いた彼を見て、私の心は初めて揺らいだ。
「ひとりで行けるだろう?」
中絶に、ひとりで行けということだろうか。
無理に笑い、せめて一緒に来てほしいと言いかけた。
「悪い、研究室でまだやることがある。先に行くよ」
私は何も言い返せず、何度も頭の中で練った言葉を飲み込んだ。
彼は足早に去っていった。引き止める間さえ与えてくれないほど、あっという間だった。
あとに残された私は、その場に立ち尽くしたまま、そっとお腹を撫でた。
……
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