瓦礫に沈んだ命第2話
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医療テントの中は薄暗く、消毒液の匂いに土の生臭さが混じり合っていた。
看護師が温かいタオルで浩之の顔を拭っている。その手つきは驚くほど優しい。
だが、タオルが浩之の唇に触れた瞬間、彼女の手がぴたりと止まった。
「先生!ちょっと来てください!」看護師の声に緊張が走る。「この子の口の周り、どうしてこんなに赤いんでしょう。内臓出血の可能性は?」
私は浩之の傍らに浮かび、ひび割れた唇と、そこにこびりついた刺すような暗赤色を痛ましく見つめていた。
行人は近くで自分の腕の擦り傷の処置を受けていたが、その声を聞くと眉をひそめ、こちらへ歩み寄ってきた。
彼はウェットティッシュを一枚引き抜き、浩之の口元を乱雑に拭った。
「おやつでも食べ散らかしたんだろう」
低い声で、そう断じる。
ティッシュが擦れるたび、乾いた血痕が浩之の埃まみれの頬に広がった。
浩之は痛みに顔を歪めて身をよじり、小さな手で行人の手首を押し返しながら泣き叫ぶ。
「拭かないで!これ、ママがくれたイチゴジュースなの!」
悔しさに赤く染まった浩之の目尻を見て、私は思い出していた。
激痛と息苦しさに耐えながら、無理に微笑み、彼にそう告げたあの瞬間を。
「いい子ね。これはママが出した魔法のイチゴジュースよ。世界中で浩之だけが飲めるんだから」
私の愛しい息子。
彼は、本当にそれを信じてくれたのだ。
行人の動きが一瞬止まる。
だが次の瞬間、怒りの火はさらに激しく燃え上がった。
「知世のやつ、子供をいくつだと思ってるんだ。いつまでこんなものを与えてるんだ?地震が起きても息子を助けに来やしない。無責任すぎるだろう」
そのとき、行人のポケットのスマートフォンが突然震え出した。
着信表示を一瞥すると、彼はテントの入口まで歩き、声をわずかに落として電話に出る。
私は音もなく、その傍らへと漂った。
受話口の向こうから、親密さを滲ませた女性の声が聞こえてくる。
「行人、奥さんとはまだ連絡がつかないの?病院に聞いたんだけど、奥さん、出勤の報告もしてないみたいで」
副隊長の松本晴子(まつもと はるこ)だった。
「放っておけ」
行人の声には、ひとかけらの温度もなかった。
「死にやしないさ。どうせどこか安全な避難所にでも隠れて、怖くて出てこられないんだろう。医者のくせにな」
私は思わず、自嘲の笑みを漏らした。
やはり彼の目には、私は命が惜しくて息子を見捨て、職務すら放棄する人間に映っているのだ。
「パパ……」
浩之が弱々しく呼びかけた次の瞬間、突然、体を激しく折り曲げて吐き出した。
地面いっぱいに広がる暗赤色の液体。
むせ返るような血の臭いが、瞬く間に小さなテントの中を満たした。
行人は数歩で駆け戻り、ぐったりした浩之を抱き上げて怒鳴る。
「医者はどこだ!」
私は浩之の上空に浮かび、この上ない恐怖に震えていた。
けれど、絶望の中で見守ることしかできない。自分には、もう何もできない。
駆けつけた医師が素早く診察を終えると、その表情が険しく変わった。
「重度の脱水症状、および急性ストレス障害です」
医師は地面の嘔吐物へ視線を落とし、行人を見上げる。
「胃の中に食べ物は一切入っていません。これは、すべて……血液です」
行人は呆然と立ち尽くした。
彼は浩之の青白い小さな顔を見つめ、無意識に口をこじ開けようとする。
「舌でも噛んだのか?」
医師は静かに首を振り、それ以上は何も言わなかった。
経験豊富なベテラン医師は、すでに何かに気づいていたのかもしれない。行人を見つめるその瞳には、言葉にできない複雑な色が宿っていた。
彼が口を開こうとした、そのとき――
一人の救助隊員が汗だくのままテントへ飛び込んできた。
「隊長!幼稚園エリアの廃墟……すべての瓦礫撤去が完了しました!」
荒い息をつきながら、報告を続ける。
「遺体は……発見されませんでした」
浩之を抱く行人の腕が、ぴたりと硬直する。
安堵の光が一瞬、彼の瞳をかすめた。
だがそれはすぐ、深い嫌悪へと塗り替えられた。
彼は口角を吊り上げ、鼻で笑う。
「やっぱりな。しぶとい女だ」
私はテントの天井近くを漂いながら、安堵と軽蔑の入り混じった彼の横顔を見つめていた。
ええ、そうね。見つかるはずがないわ。
校舎が崩落した瞬間、私の足元の地面も裂け、私はさらに深い地の底へと埋まってしまったのだから。
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