狂気御曹司に囚われた身代わりに第3話
この話は約1738字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
真夜中、外から車の音が聞こえた。玄関の扉が勢いよく開き、哲弘が青ざめた顔の星来を支えながら入ってきた。
星来の視線が私を捉えた。その瞳には、あからさまな挑発と勝ち誇った輝きが宿っている。
「星那、来い」哲弘の声は疲れているものの、命令の響きを帯びている。
私はゆっくりと歩み寄り、背中の傷がまだ疼いている。
昼間、星来にわざと突き飛ばされて、テーブルの角にぶつけた痛みがまだ消えずに残っている。
けれど、体の痛みよりも心の痛みのほうが、はるかに重かった。
――今度は、彼らにどんな嫌がらせをされるのだろうか。
星来は小さく咳き込み、涙を滲ませながら哲弘の肩に寄りかかった。
「星那……先生が言ってたの。私の体は弱いから、冷やさないように気をつけないと……そうしないと、将来、もしかしたら……」
言葉を途中で切り、彼女の視線が私の襟元に落ちた。
そこには、赤い紐で結ばれたお守りジュエリーが隠されている。それは、私が児童福祉施設に預けられたときに唯一残されたものだ。
かすれて読めない「星」の字が彫られており――それが、家族を探す唯一の手がかりだ。
星来が優しく微笑んだ。「執事から聞いたの。星那、小さい頃からずっと身につけてる古い宝石があるって?少しの間だけ、貸してもらえないかしら?」
体がびくりと強張り、私は無意識のうちに襟を押さえた。
哲弘の目が冷たく光った。「出せ」
「……だめ。これは、私のものよ」声が震えている。私は初めて断った。
「ただの宝石だろう。星来が必要としてるんだ、渡せ」哲弘の声が私の言葉を遮った。
「お前の出自を忘れるな。お前のものか?お前の全ては、俺が与えたものだ」
星来は形だけの制止の言葉を口にした。「やめて、哲弘。星那に無理を言わないで……きっと、大切なものなんでしょう?」
しかし、その瞳に浮かんでいるのは、隠しきれない嘲笑と愉悦だ。
――福祉施設の夜。私は枕の下に隠した宝石を握りしめ、毎晩泣いていたことを思い出す。
過去の記憶はぼんやりとしているのに、この宝石だけは、何よりも大切だ。
いつか、本当に私を愛してくれる家族や運命の人に出会えるかもしれないと、そう信じてきた。
しかし今、全ての希望が崩れ去った。
私は何度も夢で見た、この宝石を頼りに家族を見つけることを。
そして、哲弘は私の救いだと思っていたのに、他人を助けるために私の唯一の希望を奪おうとしている。
「渡さない」私は歯を食いしばった。
哲弘の表情が凍りついた。次の瞬間、彼の手が伸びてきて、私の首元にある赤い紐を乱暴に掴んだ。
「調子に乗るな!星来に何かあったら、お前が責任を取るんだぞ!」
赤い紐が食い込み、宝石が肌に冷たく触れた。
星来の笑みと哲弘の怒りが重なって見えた瞬間――私の胸の奥で、何かが完全に壊れた。
哲弘の手が宝石に触れようとしたその瞬間、私は勢いよく身を引いた。
――みんなが私を追い詰めるっていうの?
私は赤い紐を引きちぎり、宝石を掌に強く握りしめた。涙が頬を伝い、星来を見て微笑んだ。
「欲しいんでしょ?でも、あげないよ」
手を振り上げ、床に叩きつけた。パリンと乾いた音が響き、宝石は粉々に砕け散り、その破片が哲弘のズボンの裾に散った。
「星那!正気か!」哲弘が怒鳴り、私の肩を乱暴に掴んで激しく揺さぶった。
頭の中がぐらぐらと揺れ、耳鳴りがした。それでも私は、床に散らばる宝石の欠片を見つめて微笑んだ。
「彼女が欲しがったから……あげなかっただけ。壊れたなら、誰のものでもない」
星来は私の言葉を聞いて泣き始めた。「哲弘、私……そんなつもりじゃなかったの。星那がこんなに私を嫌ってるなんて、知らなかった……私の体はもう……」
哲弘の怒りが爆発し、乾いた音を立てて平手が私の頬を打った。
私は頬に熱が走り、焼けるような痛みを感じ、口の端から血が滲んだ。鉄の味が舌に広がった。
「恩知らずめ!」哲弘は割れた宝石を指差し、その目には嫌味が溢れている。
「今日から地下室に行け。反省するまで、出てくるな」
私は熱く感じる頬を押さえ、床に散らばった宝石の欠片を見つめた。胸の中が空っぽになっていくのを感じた。
――お守りジュエリーを失い、家族を探す希望も失い、逃げ出す可能性さえも失った。
この世に、私を繋ぎとめるものはもう何ひとつ残っていない。
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