父と子は元カノしか愛せない?私が離婚したら、なんで二人とも発狂した?第2話
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紗夜の手は空を切り、肘が固い床にぶつかって、思わず息を呑むほどの痛みが走った。
だが、理久は無表情のまま彼女を見つめ、一切の焦りも見せなかった。
彼は、紗夜が命がけで出産した我が子だというのに......
目の前で母親が倒れ、苦しみながら床に横たわっている姿を見ても、まるで何の感情も湧かなかった。
紗夜の胸の奥が、まるで目に見えぬ手で鷲掴みにされたように苦しくなり、呼吸すらできなかった。
このとき彼女はようやく気づいた。
理久は、目元こそ自分と少し似ているものの、それ以外は父親の文翔にそっくりだったのだ。
冷酷で、無情で、すべてが彼と同じだった。
紗夜の目に、つんとくる痛みが広がり、視界がぐるりと揺れて、暗闇に落ちた。
そのまま彼女は、意識を失った。
最終的には、使用人が救急車を呼び、紗夜は病院に運ばれた。
――
再び目を覚ましたとき、鼻先に漂ってきたのは消毒液の匂いだった。
「消化器機能の乱れによる急性胃炎ですね」
医師はそう診断し、食生活に気をつけるように、そして過度な思考やストレスを避けるよう注意を促した。
紗夜はうなずいたが、その顔色はどこか青白かった。
「奥様、旦那様に連絡をお入れしましょうか?」
使用人が遠慮がちに尋ねてきた。
実際使用人は、怖くて電話できないのだった。
長沢家の人間は皆知っている。
文翔は紗夜のことを少しも好いてはいないということを。
だが、それでも紗夜はれっきとした「長沢家の正妻」なのだ。
「大丈夫よ。少し休めばよくなるから」
紗夜は微笑んでみせた。
「あなたも休んでいいわよ」
その笑顔は、使用人の目には「強がり」としか映らなかった。
小さくため息をついて、彼女は病室を後にした。
部屋には紗夜ひとりだけが残った。
ベッドに戻ろうとしたそのとき、病室のドアの前に小さな影が現れた。
理久だった。
「理久?」
思いがけない訪問に驚いた紗夜だったが、すぐに思い出されたのはさきほど、自分が激痛で床に倒れたときに、彼が無表情のまま遠ざかった、あの光景だった。
彼は母親である自分に、まったく心を寄せていないのではないかという疑念が、どうしても胸をよぎる。
だが......
「お母さん」
理久はぽつりとそう言った。
その声は幼く、柔らかく、どこか愛らしささえにじむものだった。
たった一言で、紗夜の中のわだかまりはふわりと溶けていった。
彼女はほっとしたように微笑みかけた。
「心配しないで、お母さんは大丈夫よ」
優しくそう声をかけ、手を差し伸べる。
大切な、かわいい我が子を抱きしめたい――
そんな想いでいっぱいだった。
紗夜は知っていた。
理久は長沢家の本邸でずっと厳しく育てられてきた。感情の表現が苦手なだけ。
本当は、彼の心にも母である自分の存在があるはずだと。
だからこそ、たとえ文翔にどれだけ嫌われようとも、理久のためならすべてを耐えるつもりだった。
彩と文翔が再婚して、彩が継母になれたら、理久がどれほど辛い思いをするか。
上流階級の家庭では、継承権を巡ってどれほどの争いがあるか、紗夜はよく知っていた。
彼女が守りたいのは、ただ一人――
この子だった。
そう思いながら、理久を見つめる目には、穏やかで強い愛情が宿っていた。
だが、その手がようやく理久の肩に触れようとした、その時。
「お母さん、パパと離婚してくれない?」
理久は小さな顔を上げて、真剣な目で彼女を見つめて言った。
紗夜の手が、空中で止まる。
まさかまだこんなに幼い子が、自分たち夫婦の破綻を見抜いていたというの?
なぜそんな考えに至ったのか、まったく理解できなかった。
紗夜は彼の頭を撫でながら、優しく尋ねた。
「どうして?」
きっと、子ども特有の不安から来る発言なのだと思い、さらにやさしく言った。
「理久、怖がらなくていいのよ。お母さんは離婚なんてしないから......」
けれど、理久はこう返した。
「でも、お母さんがパパと離婚してくれないと、竹内おばさんがぼくのママになれないよ」
紗夜は一瞬、呆然とした。
「......なんですって?」
耳を疑った。
聞き間違いであってほしかった。
だが、理久はもう一度、同じ言葉を繰り返した。
「ぼく、お母さんに離婚してほしい。そうしたら、竹内おばさんがパパと結婚して、ぼくのお母さんになれるから」
幼いはずのその言葉が、なぜか刃物のように鋭く、紗夜の心に深く突き刺さる。
「竹内があなたのお母さんに?じゃあ、私は......?」
その声は、感情を抑え込んでいたために、かすかに震えていた。
実の息子が、他の女を「お母さんにしたい」と言う。
そんな現実を、どうして受け入れられるだろうか?
理久はうつむき、指をいじって黙り込んだ。
また、あの無言の状態に戻ってしまった。
紗夜はその様子を見つめ、ある疑念が頭をよぎった。
おかしい。
理久が、自分からこんなことを言うはずがない。
彼女は反射的に理久の肩を掴み、問い詰めた。
「理久、教えて。誰かに、こう言うように言われたの?」
理久は黙ったまま。
紗夜の眉間に皺が寄る。
「誰が脅したの?お母さんに教えて」
それでも彼は口をつぐんだまま。
紗夜の不安と焦りが高まり、思わず声を荒げた。
「理久、お願いだから何か言って......!」
すると理久は突然泣き出し、大声で訴えた。
「お母さんなんか嫌い!うわーん!竹内おばさんがいい!竹内おばさんがママになってよー!!」
紗夜は愕然とした。
「紗夜、何をしている」
冷たい声が病室に響く。
振り向けば、文翔の長身の姿がドア口に立っていた。
紗夜の目に一瞬、戸惑いの色が浮かぶ。
この時間、彼は彩のところにいるはずでは?
まさか、わざわざ自分のために......?
紗夜は希望をかけて彼を見上げた。
しかしその直後、彼の後ろから彩が姿を現し、優しい声で言った。
「深水さん、大丈夫ですか?」
その瞬間、紗夜の目に宿った光が、ふっと消えた。
やはり、思い違いだったのだ。
彼が自分のために来るはずがない。
彩よりも大事にされるなんて、ありえないことだった。
理久は父親の姿を見るなり、泣きながら駆け寄り、ズボンの裾を掴んで叫んだ。
「パパ!お母さんが意地悪するの!お母さんなんか嫌い!ぼく、竹内おばさんがいい!!」
その一言一言が、まるで針のように紗夜の心に突き刺さっていく。
呼吸するだけで、痛みが走った。
「理久」
文翔は眉をひそめ、威厳ある声で言った。
「何でもかんでも騒ぎ立てるな。躾がなってないぞ」
その声に、理久はぴたりと黙り、目を赤くしてすすり泣いた。
「文翔、理久はまだ子供よ。そんなこと言わないで」
彩が親しげに文翔の名を呼び、理久に優しく手を差し伸べた。
「理久、もう大丈夫よ。おばさんのところへおいで」
「理久!」
紗夜も焦って手を伸ばす。
「お母さんのところに......」
夫は彩に譲ってもいい。
でも、自分のたった一人の息子だけは、絶対に譲れない。
血のつながった、この子だけは......
必死にそう願いながら、紗夜は理久を見つめた。
だが、理久は紗夜を一瞥し、そして彩を見たあと......
そのまま、彩のもとへと歩いて行った。
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