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灰になった妻は、遠い空の下で新しい愛を知る第3話

この話は約2456字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。

その夜、邸宅には一晩中煌々と明かりが灯っていた。

医師や看護師、使用人たちが慌ただしく行き来し、皆が舞来につきっきりだった。

和葉はベッドに横たわったままその騒がしさを聞いているうちに、3年前のことを思い出した。

包丁で少し指を切っただけなのに、暁人はまるで和葉が不治の病にでもかかったかのように取り乱し、夜中に家庭医を呼びつけたうえ、手当てまで自分でやると言って聞かなかった。

「ただのかすり傷よ?」

あのとき、和葉は苦笑するしかなかった。

けれど暁人は彼女の手を取り、傷口にそっと口づけた。

「いや。お前は、髪の毛1本だって欠けちゃいけないんだ」

あのときと同じ気遣いを、今の暁人は別の女に向けている。

和葉は寝返りを打ち、枕に顔を埋めた。涙が布地を濡らしていく。それでも唇を噛みしめ、声だけは漏らさなかった。

そうして一晩じゅう泣き続け、空が白み始めたころ、和葉は心の中で静かに自分に言い聞かせた。涙が涸れたら、今度こそきっぱり手放そう、と。

翌朝、階下へ降りると、暁人がダイニングテーブルで根気よく舞来に朝食を食べさせていた。

「これ、どうしても食べられなくて……」

舞来が甘えた声を出す。

「あとひと口だけ。な?」

暁人の声には、和葉がよく知る甘やかすような響きがあった。

「お腹の子のためだからと思ってくれ」

和葉は無表情のまま、ふたりのそばを通り過ぎようとした。

顔を上げた暁人は、和葉の額にかさぶたになった傷があることにようやく気づき、慌てて立ち上がった。

「和葉、その額、どうしたんだ?」

和葉は皮肉げに口の端を上げた。

「あなたが突き飛ばしたんでしょ?」

暁人ははっとして、ようやく昨夜のことを思い出したらしい。その顔に後ろめたさがよぎる。

「あっ……悪かった。昨日は頭に血が上ってて……薬を塗ってやるよ」

和葉が断ろうとした矢先、舞来が口を挟んだ。

「この朝ごはん、どれもあまり食欲がわかなくて……和葉さんの作る長芋の雑炊がすごく美味しいって聞いたんですけど、作ってもらえませんか?」

暁人は明らかに言葉を失った。喉仏が上下する。

「和葉……」

やがて、彼は口を開いた。

「頼めないか」

見えない手に、心臓をきつく握りしめられたようだった。

長芋の雑炊……

その言葉は鈍い刃物のように、和葉の記憶を無理やり切り開いた。

暁人が会社を継いだばかりのころ、接待続きで胃を壊したことがあった。

そんな暁人を見ていられず、和葉は病院の栄養士に相談し、胃に負担のかからない食事の作り方を教わったのだ。

初めて作ったときは鍋の底を焦がしてしまい、塩辛すぎて苦みを感じるほどだった。それなのに彼はひと口も残さず平らげ、和葉を抱きしめて言った。

「これからは、俺にだけ作ってくれないか」

それから腕はどんどん上がったけれど、和葉は本当に、暁人のためだけに作り続けてきた。

それを今、暁人は別の女のために作れと言う。

和葉はふいに笑った。その口元には、言いようのない皮肉がにじんでいた。

誓いの言葉なんて、口にしたときはどれほど真剣でも、結局は風化していくものなのだ。

和葉は黙ってキッチンに入り、鍋にだしを張って火にかけた。温まったところでご飯を加え、刻んだ長芋を入れて弱火でゆっくり煮ていく。

立ち上る湯気に目がしみる。それでも涙は一滴もこぼれなかった。

やがて雑炊がほどよく煮え、やさしい香りがあたりに広がった。

和葉は器によそって舞来の前に置くと、そのまますぐに立ち去ろうとした。

「和葉……」

暁人が思わず呼び止めた。その声には、後ろめたさがにじんでいた。

だが舞来がすかさず彼の袖を引っ張る。

「星山社長、この雑炊、すっごく熱いですけど……」

暁人の意識はたちまちそちらへ移り、身をかがめて舞来の雑炊に息を吹きかけ始めた。

いや、いい。

暁人は心の中で自分に言い聞かせた。どうせ1か月後には和葉と再婚するんだ。そのときに、たっぷり埋め合わせをすればいい。

深夜。和葉がようやく眠りについたころ、寝室のドアが荒々しく蹴り開けられた。

目を開けると、暁人のボディーガードたちが戸口に立っていた。

「奥様、失礼いたします。社長のご指示で、病院までご同行願います」

何が起きたのかわからないうちに、和葉は両腕を抱えられ、ベッドから引きずり出された。

病院の廊下は、目に刺さるほど白かった。手術室の前に立つ暁人の顔は、恐ろしいほど険しく曇っていた。

和葉の姿を見ると、暁人は複雑な目を向けた。

「どうして雑炊に毒なんか入れた?」

和葉にはわけがわからなかった。

「……どういうこと?」

「何度も言っただろう。俺は舞来のことなんて好きじゃない」

暁人は怒りを押し殺した声で言った。

「子どもが生まれれば、俺たちは元に戻れるんだ。どうしてあと少し我慢できなかった?」

そこでようやく和葉は理解した。舞来が毒にあたり、彼は自分を疑っているのだ。

「……っ、私じゃない」

彼女の声が震えた。

「どうして彼女に何かあるたびに、私のせいだって決めつけるの?」

「当たり前だろ!今日、彼女がまともに口にしたのは、お前の作った雑炊だけなんだぞ!」

暁人が声を荒らげた。

「それでどうやってお前を信じろって言うんだ!」

胸を裂かれるような痛みに、和葉が口を開きかけたそのとき、エレベーターの扉が開き、暁人の両親が慌ただしく駆けつけてきた。

パンッ!

平手打ちが和葉の頬を張った。よろめいて後ずさった和葉の口の端から、血がにじむ。

「この恐ろしい女!」

暁人の母、星山美郷(ほしやま みさと)が金切り声を上げた。

「子どもが産めないだけならまだしも、うちの孫まで殺そうとするなんて!」

暁人の父も、怒りを隠しきれなかった。

「ここまで卑劣な真似をした以上、家のしきたりに従って、けじめをつけてもらう。仏間で正座させろ」

暁人は眉をひそめ、何か言いかけた。

「今回罰しなかったら、次はあなたの子を手にかけるかもしれないのよ!」

美郷が鋭く言い放つ。

暁人は黙り込んだ。苛立たしげに壁にもたれかかると、引きずられていく和葉を冷ややかな目で見送った。

その瞬間、和葉の胸は引き裂かれるように痛んだ。

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