母は養妹を救い、実の娘を見殺しにした第3話
この話は約2102字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
父と離婚したあと、母は一人で私を育てた。
私は幼い頃から体が弱かった。
外科医として将来を嘱望されていた母は、私の世話をしやすいよう、わざわざ小児科の医局へ移ったほどだった。
拓海は隣の家に住んでいて、子どもの頃からいつも私を守ってくれた。
母が夜勤の日に高熱を出したことがあった。あのときも、拓海は頑として私のそばを離れず、一晩中看病してくれた。
大学へ進むときには、難関大学を目指せる成績だったにもかかわらず、迷わず医学部を選び、母の最後の教え子になった。
「千紘、俺が一生、お前を守るから」
いったい、いつから変わってしまったのだろう。
母が、私の同級生で家庭に恵まれなかった美月を養女に迎えてからだった。
美月は色白で美しく、風に吹かれただけで倒れてしまいそうなほど華奢だった。
それでも、いつもけなげに「大丈夫」と言って、つらさをこらえているように見せていた。
初めのうち、母はこう言っていた。
「美月には両親がいないうえ、体も弱いの。あなたが面倒を見てあげて」
だが、そのうち美月を抱き寄せながら、眉をひそめて私を見るようになった。
「美月を見てみなさい。あんなに聞き分けがよくて、気丈でしょう。あなたも少しは自立したら?些細なことで、いつまでも甘えないの」
私が傷ついていることに気づいた拓海も、当初は美月を嫌っていた。
「あの子、いかにも計算高そうだな。お母さんの前で演技ばかりしてる」
ところが、少しずつ、美月を見つめる時間が長くなった。
「あいつも大変だったんだろ。それでも気丈に振る舞ってるのを見ると、放っておけない……千紘、お前が少し譲ってやれよ」
今日も、私は拓海と婚姻届を出しに行くはずだった。
ところが、美月が「お祝いに話題の店のケーキを買いたい」と言い出した。
拓海は迷わず遠回りし、遅れを取り戻そうと赤信号まで無視した。そして大型トラックと衝突した。
事故の直前、拓海は勢いよくハンドルを切り、車体を横向きにした。
拓海と美月は、ほとんどけがをしなかった。
だが、私のいた後部座席は、数トンもあるトラックに押しつぶされた。割れたガラスが皮膚を切り裂き、体の奥へ入り込んだ。
あのガラスは心臓にでも刺さったのだろうか。
そうでなければ、心臓が止まりそうなほど痛むはずがない。
血の匂いが何度も込み上げ、腹部を中心に激痛が広がっていった。
それでも、強い生存本能のおかげで、頭だけは冴えていた。
ここで死ぬわけにはいかない……
ナースステーションの端に手をかけ、少しずつ体を起こした。
「お願い……転院させて……」
看護師はうんざりしたように目を上げた。
「医師の診断も紹介状もありません。転院の手続きはできません」
口の中に広がる鉄の味を、無理やりのみ込んだ。
「それなら、民間救急を手配して……ほかの病院へ運んでもらえませんか……」
「分かりました。確認してみますね」
看護師はそう言って、その場で民間救急へ連絡を入れた。
しばらくして、申し訳なさそうにこちらを見る。
「今からお願いすると、搬送費が5万ほどかかるそうです。料金は直接、業者さんに支払うことになりますが……大丈夫ですか?」
私は返事に詰まった。
財布の中には、ほとんどお金が残っていなかった。
美月が家に来てから、母は突然、私にも彼女のような質素な暮らしを覚えさせると言い出した。
美月には毎月20万円もの小遣いを渡しているのに、私は何か必要になるたび、いちいち母の許可を取らなければならなかった。
昨日も、市役所へ婚姻届を出しに行くための交通費を申請したが、母は一瞥して突き返した。
「歩いて行ける距離でしょう。交通費まで必要なの?美月は昔、学校へ通うために毎日何時間も歩いていたのに、一度も弱音を吐かなかったわ」
だから拓海が迎えに来ることになったのだ。
スマホも事故のときにどこかでなくしてしまった。
私が黙っていると、看護師は鼻で笑った。
「戻って待っていたらどうですか?高梨院長も、ほかの患者を全員診たら処置すると言っていたでしょう。院長は、何事も規則どおりに扱い、特別扱いは一切しない方ですから」
足がひどく震えた。膝から力が抜け、その場に崩れ落ちそうになった。
そのとき、誰かの手がしっかりと私を支えた。
真帆だった。目を赤くし、焦りに満ちた顔をしていた。
「搬送費は私が出します!」
向かいの看護師が慌てて止めた。
「佐伯さん、今ここで余計なことをしたら、あなたまでリネン室へ回されるよ!」
真帆は私をさらに強く抱きかかえた。
「私は人を救うために看護師を目指したんです。苦しんでいる人を見て見ぬふりするためじゃありません!」
彼女に支えられ、一歩ずつ出口へ向かった。
そのとき、背後から母の声がした。
「千紘、どこへ行くの?美月はかなり出血したのよ。少し血を分けてあげなさい」
私は自分の耳を疑った。
「美月は、腕を5センチ切っただけでしょう……」
「美月はもともと貧血なの。一滴の血だって無駄にできないのよ!」
母の口調は、有無を言わせないものだった。
「医師の娘なら、もっと人を助ける自覚を持ちなさい」
私は大きく息をついた。自分のものとは思えないほど、声がかすれていた。
「お母さん、机に置いた検査結果……見た?」
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