母は養妹を救い、実の娘を見殺しにした第1話
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婚姻届を出しに行く途中で交通事故に遭い、私・高梨千紘(たかなし ちひろ)は同乗していた養妹の西野美月(にしの みつき)と一緒に病院へ運び込まれた。
外科の名医として知られる母、高梨恵理子(たかなし えりこ)は、背中を血まみれにした私を一瞥しただけだった。
そして、腕に5センチほどの傷を負った美月のもとへ医療スタッフを集め、緊急に診察させた。
「美月の傷は目立つ場所にあるの。早く処置しないと、痕が残るかもしれないでしょう。私たちは実の親子よ。こんなときにあなたを先に診たら、身内を優先したと言われかねないわ。美月の処置が終わったら、あなたも診るから」
私は、白衣に着替えたばかりの婚約者、桐谷拓海(きりたに たくみ)の腕をつかんだ。
「拓海、助けて……」
だが、最後まで言う前に、拓海は冷たく私の手を振り払った。
「お前は一番安全な後部座席にいた。助手席にいた美月より重傷なはずがないだろ。千紘、どうして何でも美月と張り合おうとするんだ?」
拓海は振り返りもせず、慌てて処置室へ駆け込んだ。
けれど、拓海は忘れていた。
事故の瞬間、美月を守るためにハンドルを逆方向に切り、後部座席の私に衝撃をすべて受けさせたのは、ほかでもない彼だった。
母も忘れていた。
私の手首につけられた赤いタグが、「最優先で救命処置が必要」という意味であることを。
意識がかすみ始めた。
体内に深く刺さったガラス片が、もうすぐ私の命を奪うのだと分かった。
* * *
拓海があまりにも強く手を振り払ったため、負傷していた私はバランスを崩し、廊下の床に激しく倒れ込んだ。
その瞬間、背中から何かが裂けるような鈍い音がした。
短いうめき声が喉から漏れた。
倒れた拍子に、背中に刺さっていたガラス片がさらに深く体内へめり込んだ。
私は床にうずくまった。照明が目に刺さり、周囲の景色がぐるぐると回って見えた。
「看護師さん……」
ナースステーションにいた看護師が一人立ち上がり、こちらを見た。だが、すぐにまた座った。
「起こして……先生を呼んでください……」
誰も答えなかった。カルテの整理を続ける者もいれば、背を向け、大きな音を立ててスマホの動画を見始める者までいた。
「看護師さん……」
「高梨さん、自分で起きて、待合スペースで待っていてください」
ようやく一人が口を開いたが、その声には苛立ちがにじんでいた。
「高梨院長から何度も言われています。あなたに近づいて、特別扱いを求めようとする者は厳しく処分する、と。
先週だって、宮下先生がブライダルチェックのときにあなたを優先して案内しなかったというだけで、リネン室へ回されたんですよ」
私は言葉を失った。
「優先」といっても、宮下先生は整理し終えた検査結果を、その場で私に渡してくれただけだった。
それなのに、「身内だからと特別扱いはしない」という母の方針で、医師の仕事から外され、シーツの消毒をさせられていたのだ。
説明しようと口を開いたが、背中の傷に響き、また激しいめまいに襲われた。冷や汗が止まらなかった。
それでも、看護師たちの話は続いた。
「高梨院長は厳しいけど、公平さだけは徹底しているよね」
「そうそう。余計なことはしないほうがいいよ。医師でさえあんな処分を受けるんだから、私たちが逆らったら、仕事を失うかもしれないし」
床の冷たさと、背中に広がる生温かい湿り気が混ざり合い、奇妙な感覚になった。
呼吸はどんどん重くなっていくのに、意識だけは妙にはっきりしていた。
アドレナリンが効いているのだと分かった。
それが切れたとき、最悪の事態が訪れる。
床の目地に爪を立て、必死に体を起こそうとした。
だが、そのたびに、さらに無様な格好で床に崩れ落ちた。
「大変!」
待合スペースにいた中年の女性が、口元を押さえて私を指さした。
「床に血が……」
ナースステーションにいた者たちの顔色が、ようやく変わった。それでも互いに押しつけ合い、すぐには誰も動かなかった。
やがて、実習生の制服を着た若い看護師、佐伯真帆(さえき まほ)が駆け寄ってきた。
私を支えようとした真帆の手が背中に触れた途端、その顔が青ざめた。
「どうして……ここに……」
彼女が指先でそっと押すと、私は鋭く息をのんだ。
「皮膚の下に硬いものがある……」
真帆の声が震えた。
「ただの擦り傷じゃない。異物が深いところまで入っている……まさか、内出血?」
真帆はすぐに立ち上がり、よろめきながら処置室へ走った。
切迫したノックの音が、救急外来に響き渡った。
「高梨院長!早く来てください。千紘さんの様子がおかしいんです!」
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