死後3年、婚約者は私に罪を着せる第3話
この話は約1992字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
「お金など、1円も受け取っていません。最後のときは、入院費も払えなくなりました。美夕さんは土下座して、もうすぐ金を用意できるから、あと数日だけ待ってほしいって泣いて頼み込んできました。
しかしそのあと、彼女が火事で亡くなりました。
木下さんが彼ら姉弟にしたことは、一生かかっても償いきれませんよ!」
電話は一方的に切られた。
辰哉は凍りついたように動けなくなった。力の抜けた手からスマホが滑り落ち、絨毯の上に音もなく転がった。
カーテンの隙間から差し込む朝の光が、紙のように青白い顔を照らしている。
彼の信じていた世界が、今この瞬間、音を立ててひび割れ始める。
よろめきながら部屋を飛び出し、車のエンジンをかける。
調べなければならない。あの火事のことを、すべて調べる。
――美夕、お前は一体どこにいるんだ?
頼むから、生きていてくれ。絶対に、生きていてくれ!
辰哉は狂ったように警察署へと車を走らせた。
木下家の権力とコネを使い、3年前の商業ビル火災に関するすべての捜査資料を取り寄せる。
分厚いファイルの束を机に叩きつけると、ほこりが舞い上がった。
辰哉の手はひどく震えており、紙の1枚をつかむことさえままならない。
震える指で1ページずつめくっていく。読み進めるほど、顔から血の気が引いていく。
火災調査報告書、現場検証の写真、目撃者の証言……
すべての証拠が、一つの事実を突きつけている。
――美夕は、本当に死んだ。
報告書には、はっきりとこう記されている。
【死亡者・杉本美夕。女性、23歳。大量の煙を吸い込み、さらに焼け落ちた梁に左脚を挟まれ、逃げられないまま焼死。発見時には全身が炭化しており、DNA鑑定により身元を確認】
炭化……
辰哉の体がぐらりと揺れ、机の縁に手をついて、かろうじて倒れるのをこらえた。
私が最期にどれほどの苦しみと絶望を味わったのか、彼は想像することさえできないだろう。
辰哉は、私が遥香の身代わりになったという自白調書を探すため、さらにページをめくっていく。
しかし、最後まで目を通しても、私が罪を認めた記録などどこにも存在しなかった。
代わりにそこにあったのは、1枚の表彰状だ。
【杉本美夕殿。あなたは11月23日に発生した大規模火災に際し、自身の危険を顧みず冷静かつ勇敢な行動をもって、女児を救出されました。よってここにその功績を深くたたえ表彰いたします……】
その下には、救出された女児の家族から寄せられた感謝の手紙が添えられている。
手紙の中で、女児の母親は飾らない言葉で、私のことを娘に2度目の命を与えた英雄と称え、何度も感謝の言葉を綴っている。
辰哉の目から、何の前触れもなく涙がこぼれ落ちる。黄ばんだ紙の上に、涙がいくつもの染みを作った。
「英雄、か……」
辰哉は笑った。泣いているようにしか見えない、歪んだ笑みだ。
彼はこれまでずっと、私を金のためなら何でもする女だと思っていた。呼べばすぐに駆けつけ、追い払えば黙って消える。そんな都合のいい存在だと思っていた。
まさか、そんな私が英雄と称えられているとは思いもしなかったのだろう。
一方で、真の元凶である遥香は、何事もなかったかのように自由に暮らしている。
まるで全身から力が抜けたように、辰哉は椅子に崩れ落ちた。
しかしそのとき、彼の目が、添付された1枚の書類に止まる。
それは救出された女児の身元情報だ。
そこには、信じがたい名前がはっきりと記されている。
【保護者氏名:木下遥香
女児氏名:木下安奈】
ドンッ。辰哉の頭の中で、何かが爆発する音がした。
遥香に……娘がいる?
自分も、木下家の誰もその存在を知らなかった……隠し子?
あのギャラリーは、見ず知らずの人間が経営していたものではない。
遥香が、誰にも知られたくない娘を住まわせるために、ひそかに買い取ったものだ。
あの火事も、ただの事故などではない。
自分の隠し子という汚点を消すために、遥香が自ら火を放ったのだ。
遥香が焼き殺そうとしたのは、自分の実の娘だ。
そして彼ら兄妹から蔑まれ、踏みにじられ、虫けら同然に扱われていた私が、命の最後の瞬間に、木下家の最もおぞましい秘密、遥香の娘を救い出した。
辰哉の背後に浮かびながら、その顔からみるみる血の気が引いていくのを見つめている。極度の衝撃と恐怖にさらされ、辰哉の瞳は焦点を失っている。
この瞬間、ようやくすべてを理解した。
私は不運な事故で死んだわけでも、ただの放火事件に巻き込まれて死んだわけでもない。
綿密に計画された、卑劣な殺人によって殺されたのだ。
私は自分の命と引き換えに、悪魔が自らの手で葬り去ろうとした命を救った。
私の死は、悲劇ですらない。
あまりにもバカバカしい、最悪の笑い話だ。
魂が抜けたように座り込む辰哉の姿を見ても、不思議と何の感情も湧かない。
ただ、骨の髄まで凍りつくような深い空虚さと悲哀だけだ。
私の魂は、かつてないほどに、冷たく澄み切っている。
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