死んだはずの夫に、もう愛はなかった第3話
この話は約1615字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
「俺が何をしたっていうんだ。どうしてここまで俺を苦しめる?結衣が元に戻るまで、お前には一円も稼がせないからな!」
結衣を陥れたつもりなんてない。
そう説明しようとした、そのときだった。
目の前に黒いワゴン車が横づけされた。
闇カジノの男たちが、金属バットを手にこちらへ迫ってくる。
「稼げねえくせに、余計な面倒ばっか起こしやがって」
「酒運ぶだけの仕事すらクビになるなんて、お前また殴られて客の相手する仕事に戻りたいのか?カジノとの契約違反で600万円だ。さっさと用意しろ」
血の気が引いた。
「本当に……お金なんてありません……」
返ってきたのは、容赦のない暴力だった。
拳やバットが身体に叩き込まれる痛みには、もう慣れている。
それなのに。
どうして今日は、こんなにも痛いのだろう。
次に目を開けたとき、私はずっと帰りたいと願っていた家にいた。
豪華でありながら、どこか懐かしい室内だった。
視界に、母の優しげな顔が映る。
思わず手を伸ばした。
触れようとした、その瞬間。
頬に激しい衝撃が走った。
「私を怒らせて、殺す気?
直人さんが本当に愛してるのは結衣なのよ。それなのに、どうしてネットであの子を不倫相手みたいに言いふらしたりしたの!
あなたを家に連れ戻そうと思ってたけど、もうその必要もなさそうね!」
スマホにニュースの通知が届く。
【神谷ホールディングス後継者の婚約者に略奪疑惑妻は家を追われ、困窮生活か】
違う。
そう言おうとした。
だがその前に、直人が手にしていたお茶を私の顔へ浴びせた。
見下ろしてくる顔は険しく、ひどく冷たい。
よく知っているはずの人なのに、恐ろしいほど見知らぬ人に思えた。
「その傷、全部メイクなんだろ?そこまでして、結衣を追い詰めたいのか?どうすれば、あいつを放っておいてくれる?」
その瞬間。
胸の奥で、何かがぷつんと切れた。
死ぬことなんて、もうそれほど怖くないのかもしれない。
天井を見上げ、力なく笑った。
「601万600円。それだけもらえれば、もう二度とあなたたちの前には現れない」
部屋が、しんと静まり返った。
直人が勢いよく目の前まで来る。
襟元をつかまれ、無理やり身体を起こされた。
暗く険しい目で、私を睨みつけた。
「……今、なんて言った?」
直人は長いあいだ呆然としていた。
まるで初めて私を見るような顔だった。
「お姉ちゃん」
張りつめた空気を破ったのは、結衣だった。
私の前まで走ってくると、その場に膝をつく。
「私が略奪したって言われるのは、別にいいの。でももうすぐ結婚式なの。直人のことも、自分のプライドも少しは考えてよ」
プライド?
そんなもの、私にはもうとっくに残っていない。
この3年間。
年上の男たちに身体を差し出し、金を恵んでもらわなければ、食事すらできなかった。
今さら世間体なんて気にしていられない。
ただ死ぬ前に借金を全部返して。
せめて自分のために、ちゃんとした骨壺を用意したい。
それだけなのに。そんなに贅沢な願いなのだろうか。
口の中に、鉄の味が広がっていた。
それでも私は、歪んだ笑みを浮かべた。
結衣が一瞬、固まった。
次の瞬間、近くにあったナイフを手に取ると、自分の頬へ刃先を向けた。
「今ここで、自分の顔を傷つける。それから記者会見で、私が略奪したって認めるから。そうすれば、お姉ちゃんも納得するんでしょ?」
刃先が白い頬に触れかける。
直人はすぐに駆け寄り、ナイフを奪い取った。
「結衣、悪いのはお前じゃない」
母も慌てて結衣のそばへ駆け寄る。
「そんなことしないで。あなたまで傷ついたら、お母さん、生きていけないわ」
私は壁に手をついたまま、少し離れた場所からその光景を見ていた。
まるで、この部屋でいちばん悪い人間が私であるかのように。
騒ぎは10分以上も続き、ようやく収まった。
直人は心底失望したような目を私に向けた。
そして突き放すような声で言った。
「配信で結衣のことをきちんと説明しろ。お前のほうが俺たちの間に割り込んだって認めるなら、欲しい金は渡す」
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