死んだはずの夫には別の家族がいた第3話
この話は約1412字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
電話に出て「もしもし」と言った途端、朔也が尋ねてきた。
「どこへ行った?」
私は壁にもたれたまま、思わず笑ってしまった。
「あの二人の娘に会いに来たの」
電話の向こうが、瞬時に静まり返った。
私はもう一度問いかけた。
「朔也、答えて。どうして私を騙したの!」
彼はしばらく黙り、ようやく口を開いた。
「ひとまず家に戻れ」
「家?」
笑ったはずなのに、涙はますますあふれた。
「どの家のこと?私に帰る家なんてあるの?」
「今どこにいる。迎えに行く」
「来ないで。あなたも、私を馬鹿だと思ってたんでしょう?」
スマホを握る手が震えた。
「私が湊人の写真を抱いて泣くたびに、哀れで騙しやすい女だと思ってた?」
「違う」
「だったら一度でも、本当のことを話そうと思った?」
その問いを口にした瞬間、向こうの呼吸が止まったようだった。
私は長い間、答えを待った。
待つほどに、心が少しずつ沈んでいった。
最後に彼が口にしたのは、私の名前だけだった。
「志央」
また、これだった。
説明もせず、認めも否定もしない。
声さえ優しくすれば、私がまた戻るとでも思っているようだった。
「明日は子どもの百日祝いなんだ。家に戻ったら、きちんと説明する。それじゃ駄目か?」
心に残っていた最後の温もりが消えた。
私は泣きながら電話を切り、SIMカードを抜いて、マンションの脇にある側溝へ捨てた。
もう戻らない。
戻れば、彼らはまた私をあの嘘の中へ閉じ込める。
タクシーを拾い、ホテルへ向かった。
部屋に入ると、突然吐き気が込み上げた。
次の瞬間、下腹部に強い痛みが走り、額から冷や汗が噴き出した。
壁に手をついても、立っているのがやっとだった。
反射的に下腹部を押さえた。
脳裏に、ごみ箱へ捨てた妊娠検査薬が浮かんだ。
スカートに、暗い赤色がゆっくりと広がっていく。
頭の中が真っ白になった。
残った力を振り絞り、壁づたいに部屋を出た。
フロントの女性は私を見るなり顔色を変え、慌てて駆け寄ってきた。
「お客様、どうなさいましたか?」
私は彼女の手をつかんだ。声はひどく震えていた。
「お願い……救急車を呼んで」
彼女はうなずきながら電話をかけた。
私はフロントの脇に座り込み、両手で必死にお腹を守った。涙が止まらなかった。
あまりにも突然やってきた子どもだった。
この子まで失ったら、自分に何が残るのか分からなかった。
救急隊員は私をストレッチャーへ乗せながら、妊娠何週なのか、付き添ってくれる家族はいるのかと何度も尋ねた。
私は途切れ途切れに答えた。
最後の質問をされて初めて、連絡できる相手が一人もいないことに気づいた。
処置室へ運ばれる前、看護師がもう一度尋ねた。
「ご家族か、すぐに来てもらえる方はいませんか?」
痛みで唇まで震えていたが、私は今でもそらで言える番号を告げた。
朔也なら、少なくとも来てくれると思った。
この5年間がすべて嘘だったとしても、私への気持ちが少しくらいはあったはずだと、まだ信じたかった。
電話がつながると、看護師が簡潔に状況を説明した。
短い沈黙のあと、朔也の声が聞こえた。
「ありえない」
看護師は戸惑った。
「患者さんは出血が多く、すぐに処置が必要です。できるだけ早く病院へ……」
「志央が妊娠しているはずがない。人違いじゃないのか?」
シーツには、すでに血が広がっていた。
看護師が私の耳元へ電話を寄せた。けれど、声を出しかけたところで通話は切れた。
「朔……」
目を閉じると、涙が音もなくこぼれた。
彼は、信じようとすらしなかった。
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