和紙文桜が散るように、想いを手放す · 第1話設定≡

桜が散るように、想いを手放す第1話

この話は約3723字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。

新居の内装工事が終わった日、マスターベッドルームの壁に掛けてあった桜の絵が掛け替えられているのに気づいた。代わりに飾られているのは、ひまわりの絵だ。

藤原景吾に尋ねると、彼はあっけらかんと答える。

「知花がこれがいいって言うから、ついでに変えておいたんだ。

どうせお前、こういうのよく分からないだろ」

だけど、あの桜の絵は、亡き母が私・林莉桜のために描いてくれたものだ。桜の絵がなくなった壁を見つめたまま、しばらく言葉が出ない。

また泣き出すとでも思ったのか、景吾は苛立ったような声を出す。

「たかが絵一枚で、大げさに騒ぐなよ。

知花は内装の手伝いをしてくれてるだけだ。お前よりセンスがいいしな」

後になって知った。変えられていたのは、あの絵だけじゃなかった。

ウォークインクローゼットの棚は、景吾の幼なじみ・逢坂知花の身長に合わせて高さを調整されていたし、キッチンの色も、彼女のお気に入りのミルキーホワイトになっていた。

ベッドサイドのランプも、「明るすぎると眠れない」という彼女の一言で、景吾がわざわざ取り替えたものだ。

ここは、私と景吾の新居になるはずだったのに。結局、私はただ住まわせてもらっているだけだ。

手のひらにある新居の鍵をじっと見つめている私に気づいて、景吾が眉をひそめる。「また何か文句があるのか?」

静かに首を振る。窓の外では、桜が満開に咲き誇っている。ふと、花が散る時は何の音もしないのだと思い出す。

私が彼への想いを手放す時と、同じように。

* * *

新居の内装工事が終わった日、マスターベッドルームの壁に掛けてあった桜の絵が掛け替えられているのに気づいた。代わりに飾られているのは、ひまわりの絵だ。

藤原景吾(ふじわら けいご)に尋ねると、彼はあっけらかんと答える。

「知花がこれがいいって言うから、ついでに変えておいたんだ。

どうせお前、こういうのよく分からないだろ」

だけど、あの桜の絵は、亡き母が私・林莉桜(はやし りお)のために描いてくれたものだ。桜の絵がなくなった壁を見つめたまま、しばらく言葉が出ない。

また泣き出すとでも思ったのか、景吾は苛立ったような声を出す。

「たかが絵一枚で、大げさに騒ぐなよ。

知花は内装の手伝いをしてくれてるだけだ。お前よりセンスがいいしな」

後になって知った。変えられていたのは、あの絵だけじゃなかった。

ウォークインクローゼットの棚は、景吾の幼なじみ・逢坂知花(おうさか ともか)の身長に合わせて高さを調整されていたし、キッチンの色も、彼女のお気に入りのミルキーホワイトになっていた。

ベッドサイドのランプも、「明るすぎると眠れない」という彼女の一言で、景吾がわざわざ取り替えたものだ。

ここは、私と景吾の新居になるはずだったのに。結局、私はただ住まわせてもらっているだけだ。

手のひらにある新居の鍵をじっと見つめている私に気づいて、景吾が眉をひそめる。「また何か文句があるのか?」

静かに首を振る。窓の外では、桜が満開に咲き誇っている。ふと、花が散る時は何の音もしないのだと思い出す。

私が彼への想いを手放す時と、同じように。

鍵をバッグにしまおうとした時、景吾が手を伸ばして、私の手首をぐっと押さえた。

手首の骨に押し当てられた彼の指は、ひどく冷たい。そして、聞き分けのない子供を宥めるような口調で言う。

「莉桜、内装はもうすぐ終わるんだぞ。今さらごねて業者をやり直させる必要はないだろ」

ひまわりの絵を見つめたまま返す。「やり直すなんて言ってないわ」

景吾がふっと力を緩める。私が物分かりよく引き下がったと満足したかのようだ。

「ならいい。知花も何度も確認してくれたんだ。この絵をここに飾ったほうが、部屋が明るくなるって言ってた」

「それは、ずいぶんと気を遣ってもらったのね」と、私は薄く笑う。

「あいつはデザイナーだし、昔からこういうの詳しいからな」景吾はスマホを取り出すと、慣れた手つきでメッセージを返し始める。

「お前と違って、いつまでも古いものに執着したりしない」

古いもの……母が残してくれた絵は、彼に言わせれば、いつでも取り替えられる「古いもの」に過ぎないのだ。

そばで聞いていて気まずくなったのか、内装会社の担当デザイナーがタブレットを抱えながら小声で尋ねてくる。

「その……主寝室のベッドカバーにつきましては、逢坂様がお選びになったベージュのもので確定ということでよろしいでしょうか?」

景吾は顔も上げずに答える。「あぁ。彼女は眠りが浅いから、あまりキツい色は選ばないでくれ」

デザイナーは一瞬ハッとして、慌てて私の方をちらりと見る。

その視線でようやく自分の失言に気づいたらしい。景吾はかすかに眉をひそめたが、すぐにまた平静を装う。

「照明のテストを手伝ってもらっただけだ。アドバイスも悪くなかったし、変な勘違いはするなよ」

「してないわ」

私のあまりの落ち着きぶりに毒気を抜かれたのか、景吾はじっと私の顔を見つめる。

「お前、今日なんか変だぞ」

何も答えず、背を向けてウォークインクローゼットへと向かう。棚の位置は低く下げられて、ハンガーラックも、知花がよく着るロングワンピースの丈に合わせた高さに変えられている。

私は冬物のコートが多いから、高めの収納スペースを一つ残しておいてほしいと、以前頼んでいたはずだ。

あの時、景吾は「倉庫じゃないんだから、必要なものだけ残せばいい」と吐き捨てた。

それなのに、知花が「ワンピースをきれいに掛けたい」と一言こぼせば、クローゼットはいとも簡単に彼女の思い通りに作り替えられてしまう。

引き出しを開けると、中にはミルキーホワイトの鹿のオブジェが入っている。私の持ち物ではない。

後ろから近づいてきた景吾がそれを見て、一瞬だけ目を見開いた。そして、何事もなかったかのようにそれを取り上げる。

「あぁ、知花の忘れ物だ。今度来た時にでも返しておくよ」

「彼女、何回来てるの?」

「内装のチェックなんだから、そりゃ何度か来るだろ」彼の口調が少し冷たくなる。

「お前はこういうのよく分からないだろ。だから知花に任せたほうが手間が省けると思った」

「彼女に合鍵を渡したの?」

そこでようやく、彼は私の目をまともに見て、鼻で笑う。

「どうしていつもそうやって嫌味ばかり言うんだ?知花は手伝いに来てくれているだけで、泥棒じゃないぞ」

彼をじっと見つめ返す。「合鍵を持っているかどうかを聞いただけなんだけど」

その時、玄関から鍵を開ける音が響いた。スイーツの紙袋を提げた知花が、まるで自分の家に帰ってきたかのように、当然といった様子で入ってくる。

「景吾の好きなモンブラン買ってきたわよ。ついでに莉桜の分もね」

私と目が合っても、彼女の笑顔は一切崩れない。「あら、私、お邪魔だったかしら?」

景吾はごく自然に彼女の手から紙袋を受け取る。「いや。こいつもさっき、お前に気を遣わせて悪かったなって話していたところだ」

知花は目を細めて笑う。「遠慮しないでね。大切な二人の新居なんだから、私もちゃんと手伝いたいの」

ふと彼女の足元にあるスリッパに目が留まる。靴箱の奥にしまわれている、唯一の新しいスリッパだ。淡い黄色で、私のサイズよりも一回り小さい。

私の視線を追った景吾の口調に、とうとう隠しきれない苛立ちが混じる。

「ただのスリッパだろ。出入りが多いから、置いてあるだけだ」

知花は困ったように軽く唇を噛んだ。「やっぱり持って帰るわ。莉桜、気にするかもしれないし」

「かまわん」景吾が彼女の言葉を遮って、勝手に決断を下す。「こいつはそんなに心の狭い女じゃない」

うつむいたままバッグから鍵を取り出して、玄関の棚の上に置いた。「じゃあ、この鍵もここに置いておくね」

鍵を見た景吾の顔が、少し険しくなる。「どういう意味だ?」

「あなたたちのほうが必要だと思うから」

景吾はじっと私を見つめる。私が本気で怒っているのか、それとも単に気を引こうとわがままを言っているだけなのか、見極めようとするかのように。

知花が先に口を開く。

「莉桜、誤解しないでね。私と景吾は昔からこういう関係なの。今さら変えられない家族みたいなものだけど、本当にただの幼なじみだから」

すかさず景吾が言葉を継ぐ。「聞いたか?みっともない真似はやめろ。知花が手伝いに来づらくなるだろ」

私はバッグを持ち直す。「そうね」

再び、景吾は私の手首を掴んだ。先ほどよりも力がこもっている。

「運転手に送らせるから。俺はこれから仕事がある。帰っても母さんに余計なことは言うなよ」

顔を上げて、真っ直ぐに彼を見据える。「余計なことってなに?」

「お前は話を盛りがちだからな」彼は私の耳元で声を潜める。「結婚式まであと3ヶ月だ。両家の顔に泥を塗るような真似はするなよ」

3ヶ月、か。彼と婚約して2年。ようやく結婚式の日取りが決まったあの日、私は嬉しくて嬉しくて、カレンダーのその日付に、赤ペンで何度も丸をつけた。

なのに今、あの日思い描いていた新居には、至るところに知花の痕跡が残されている。

道具を片付けて帰ろうとしていた担当デザイナーが、私のそばを通り過ぎた時、そのタブレットの画面がふと明るくなる。

プロジェクト名の欄に記された内容が私の目に飛び込んでくる。

縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)