桜が散るように、想いを手放す第1話
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新居の内装工事が終わった日、マスターベッドルームの壁に掛けてあった桜の絵が掛け替えられているのに気づいた。代わりに飾られているのは、ひまわりの絵だ。
藤原景吾に尋ねると、彼はあっけらかんと答える。
「知花がこれがいいって言うから、ついでに変えておいたんだ。
どうせお前、こういうのよく分からないだろ」
だけど、あの桜の絵は、亡き母が私・林莉桜のために描いてくれたものだ。桜の絵がなくなった壁を見つめたまま、しばらく言葉が出ない。
また泣き出すとでも思ったのか、景吾は苛立ったような声を出す。
「たかが絵一枚で、大げさに騒ぐなよ。
知花は内装の手伝いをしてくれてるだけだ。お前よりセンスがいいしな」
後になって知った。変えられていたのは、あの絵だけじゃなかった。
ウォークインクローゼットの棚は、景吾の幼なじみ・逢坂知花の身長に合わせて高さを調整されていたし、キッチンの色も、彼女のお気に入りのミルキーホワイトになっていた。
ベッドサイドのランプも、「明るすぎると眠れない」という彼女の一言で、景吾がわざわざ取り替えたものだ。
ここは、私と景吾の新居になるはずだったのに。結局、私はただ住まわせてもらっているだけだ。
手のひらにある新居の鍵をじっと見つめている私に気づいて、景吾が眉をひそめる。「また何か文句があるのか?」
静かに首を振る。窓の外では、桜が満開に咲き誇っている。ふと、花が散る時は何の音もしないのだと思い出す。
私が彼への想いを手放す時と、同じように。
* * *
新居の内装工事が終わった日、マスターベッドルームの壁に掛けてあった桜の絵が掛け替えられているのに気づいた。代わりに飾られているのは、ひまわりの絵だ。
藤原景吾(ふじわら けいご)に尋ねると、彼はあっけらかんと答える。
「知花がこれがいいって言うから、ついでに変えておいたんだ。
どうせお前、こういうのよく分からないだろ」
だけど、あの桜の絵は、亡き母が私・林莉桜(はやし りお)のために描いてくれたものだ。桜の絵がなくなった壁を見つめたまま、しばらく言葉が出ない。
また泣き出すとでも思ったのか、景吾は苛立ったような声を出す。
「たかが絵一枚で、大げさに騒ぐなよ。
知花は内装の手伝いをしてくれてるだけだ。お前よりセンスがいいしな」
後になって知った。変えられていたのは、あの絵だけじゃなかった。
ウォークインクローゼットの棚は、景吾の幼なじみ・逢坂知花(おうさか ともか)の身長に合わせて高さを調整されていたし、キッチンの色も、彼女のお気に入りのミルキーホワイトになっていた。
ベッドサイドのランプも、「明るすぎると眠れない」という彼女の一言で、景吾がわざわざ取り替えたものだ。
ここは、私と景吾の新居になるはずだったのに。結局、私はただ住まわせてもらっているだけだ。
手のひらにある新居の鍵をじっと見つめている私に気づいて、景吾が眉をひそめる。「また何か文句があるのか?」
静かに首を振る。窓の外では、桜が満開に咲き誇っている。ふと、花が散る時は何の音もしないのだと思い出す。
私が彼への想いを手放す時と、同じように。
鍵をバッグにしまおうとした時、景吾が手を伸ばして、私の手首をぐっと押さえた。
手首の骨に押し当てられた彼の指は、ひどく冷たい。そして、聞き分けのない子供を宥めるような口調で言う。
「莉桜、内装はもうすぐ終わるんだぞ。今さらごねて業者をやり直させる必要はないだろ」
ひまわりの絵を見つめたまま返す。「やり直すなんて言ってないわ」
景吾がふっと力を緩める。私が物分かりよく引き下がったと満足したかのようだ。
「ならいい。知花も何度も確認してくれたんだ。この絵をここに飾ったほうが、部屋が明るくなるって言ってた」
「それは、ずいぶんと気を遣ってもらったのね」と、私は薄く笑う。
「あいつはデザイナーだし、昔からこういうの詳しいからな」景吾はスマホを取り出すと、慣れた手つきでメッセージを返し始める。
「お前と違って、いつまでも古いものに執着したりしない」
古いもの……母が残してくれた絵は、彼に言わせれば、いつでも取り替えられる「古いもの」に過ぎないのだ。
そばで聞いていて気まずくなったのか、内装会社の担当デザイナーがタブレットを抱えながら小声で尋ねてくる。
「その……主寝室のベッドカバーにつきましては、逢坂様がお選びになったベージュのもので確定ということでよろしいでしょうか?」
景吾は顔も上げずに答える。「あぁ。彼女は眠りが浅いから、あまりキツい色は選ばないでくれ」
デザイナーは一瞬ハッとして、慌てて私の方をちらりと見る。
その視線でようやく自分の失言に気づいたらしい。景吾はかすかに眉をひそめたが、すぐにまた平静を装う。
「照明のテストを手伝ってもらっただけだ。アドバイスも悪くなかったし、変な勘違いはするなよ」
「してないわ」
私のあまりの落ち着きぶりに毒気を抜かれたのか、景吾はじっと私の顔を見つめる。
「お前、今日なんか変だぞ」
何も答えず、背を向けてウォークインクローゼットへと向かう。棚の位置は低く下げられて、ハンガーラックも、知花がよく着るロングワンピースの丈に合わせた高さに変えられている。
私は冬物のコートが多いから、高めの収納スペースを一つ残しておいてほしいと、以前頼んでいたはずだ。
あの時、景吾は「倉庫じゃないんだから、必要なものだけ残せばいい」と吐き捨てた。
それなのに、知花が「ワンピースをきれいに掛けたい」と一言こぼせば、クローゼットはいとも簡単に彼女の思い通りに作り替えられてしまう。
引き出しを開けると、中にはミルキーホワイトの鹿のオブジェが入っている。私の持ち物ではない。
後ろから近づいてきた景吾がそれを見て、一瞬だけ目を見開いた。そして、何事もなかったかのようにそれを取り上げる。
「あぁ、知花の忘れ物だ。今度来た時にでも返しておくよ」
「彼女、何回来てるの?」
「内装のチェックなんだから、そりゃ何度か来るだろ」彼の口調が少し冷たくなる。
「お前はこういうのよく分からないだろ。だから知花に任せたほうが手間が省けると思った」
「彼女に合鍵を渡したの?」
そこでようやく、彼は私の目をまともに見て、鼻で笑う。
「どうしていつもそうやって嫌味ばかり言うんだ?知花は手伝いに来てくれているだけで、泥棒じゃないぞ」
彼をじっと見つめ返す。「合鍵を持っているかどうかを聞いただけなんだけど」
その時、玄関から鍵を開ける音が響いた。スイーツの紙袋を提げた知花が、まるで自分の家に帰ってきたかのように、当然といった様子で入ってくる。
「景吾の好きなモンブラン買ってきたわよ。ついでに莉桜の分もね」
私と目が合っても、彼女の笑顔は一切崩れない。「あら、私、お邪魔だったかしら?」
景吾はごく自然に彼女の手から紙袋を受け取る。「いや。こいつもさっき、お前に気を遣わせて悪かったなって話していたところだ」
知花は目を細めて笑う。「遠慮しないでね。大切な二人の新居なんだから、私もちゃんと手伝いたいの」
ふと彼女の足元にあるスリッパに目が留まる。靴箱の奥にしまわれている、唯一の新しいスリッパだ。淡い黄色で、私のサイズよりも一回り小さい。
私の視線を追った景吾の口調に、とうとう隠しきれない苛立ちが混じる。
「ただのスリッパだろ。出入りが多いから、置いてあるだけだ」
知花は困ったように軽く唇を噛んだ。「やっぱり持って帰るわ。莉桜、気にするかもしれないし」
「かまわん」景吾が彼女の言葉を遮って、勝手に決断を下す。「こいつはそんなに心の狭い女じゃない」
うつむいたままバッグから鍵を取り出して、玄関の棚の上に置いた。「じゃあ、この鍵もここに置いておくね」
鍵を見た景吾の顔が、少し険しくなる。「どういう意味だ?」
「あなたたちのほうが必要だと思うから」
景吾はじっと私を見つめる。私が本気で怒っているのか、それとも単に気を引こうとわがままを言っているだけなのか、見極めようとするかのように。
知花が先に口を開く。
「莉桜、誤解しないでね。私と景吾は昔からこういう関係なの。今さら変えられない家族みたいなものだけど、本当にただの幼なじみだから」
すかさず景吾が言葉を継ぐ。「聞いたか?みっともない真似はやめろ。知花が手伝いに来づらくなるだろ」
私はバッグを持ち直す。「そうね」
再び、景吾は私の手首を掴んだ。先ほどよりも力がこもっている。
「運転手に送らせるから。俺はこれから仕事がある。帰っても母さんに余計なことは言うなよ」
顔を上げて、真っ直ぐに彼を見据える。「余計なことってなに?」
「お前は話を盛りがちだからな」彼は私の耳元で声を潜める。「結婚式まであと3ヶ月だ。両家の顔に泥を塗るような真似はするなよ」
3ヶ月、か。彼と婚約して2年。ようやく結婚式の日取りが決まったあの日、私は嬉しくて嬉しくて、カレンダーのその日付に、赤ペンで何度も丸をつけた。
なのに今、あの日思い描いていた新居には、至るところに知花の痕跡が残されている。
道具を片付けて帰ろうとしていた担当デザイナーが、私のそばを通り過ぎた時、そのタブレットの画面がふと明るくなる。
プロジェクト名の欄に記された内容が私の目に飛び込んでくる。
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