朝露のように、かすかな光を待ってる第1話
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南山市では誰もが知っている。月城美礼(つきしろ みれい)と木野祐(きの ゆう)は、犬猿の仲であることを。
名目上は祐の婚約者である美礼は、彼に「三つの禁止事項」を定めていた。
無謀なスピード走行は禁止。
外泊は禁止。
そして、夏目雫(なつめ しずく)という、祐が好きな女性に会いに行くことは絶対に禁止。
だが祐は、ことごとく美礼に逆らった。
ある時は南山市の山道を端から端まで飛ばし、またある時はクラブに夜通し入り浸って泥酔する。
そしてついには、美礼の誕生日に、夜空を埋め尽くす花火の下で、わざと雫とキスをし、美礼の面目を完全に潰した。
周囲は皆、面白がって二人の成り行きを見守っていた。
南山市一の名門令嬢である美礼の気性なら、その拡散しまくったキス写真を見れば、怒り心頭に達して現場へ乗り込み、この放蕩男を引きずってでも連れ帰るに違いない――誰もがそう思っていた。
写真がネットで拡散されて一時間後、美礼は確かに現れた。
しかし彼女は激昂することも、祐を連れ戻そうとすることもなく、ただ静かに祐の前へ歩み寄り、手を差し出した。
その声は、空気に溶けて消えてしまいそうなほどかすかだった。「祐、七年前、あなたにお守りをあげたよね。……今、返してくれる?」
個室の中は、針の落ちる音さえ聞こえそうなほど静まり返った。
祐もまた呆然とし、無意識に首にかけていた赤いお守りに触れた。
七年前、彼はスピードを出しすぎて事故を起こし、ICUで一昼夜の救命処置を受けた。
目を覚ましたとき、最初に視界に入ったのは、美礼だった。
* * *
南山市では誰もが知っている。月城美礼(つきしろ みれい)と木野祐(きの ゆう)は、犬猿の仲であることを。
名目上は祐の婚約者である美礼は、彼に「三つの禁止事項」を定めていた。
無謀なスピード走行は禁止。
外泊は禁止。
そして、夏目雫(なつめ しずく)という、祐が好きな女性に会いに行くことは絶対に禁止。
だが祐は、ことごとく美礼に逆らった。
ある時は南山市の山道を端から端まで飛ばし、またある時はクラブに夜通し入り浸って泥酔する。
そしてついには、美礼の誕生日に、夜空を埋め尽くす花火の下で、わざと雫とキスをし、美礼の面目を完全に潰した。
周囲は皆、面白がって二人の成り行きを見守っていた。
南山市一の名門令嬢である美礼の気性なら、その拡散しまくったキス写真を見れば、怒り心頭に達して現場へ乗り込み、この放蕩男を引きずってでも連れ帰るに違いない――誰もがそう思っていた。
写真がネットで拡散されて一時間後、美礼は確かに現れた。
しかし彼女は激昂することも、祐を連れ戻そうとすることもなく、ただ静かに祐の前へ歩み寄り、手を差し出した。
その声は、空気に溶けて消えてしまいそうなほどかすかだった。「祐、七年前、あなたにお守りをあげたよね。……今、返してくれる?」
個室の中は、針の落ちる音さえ聞こえそうなほど静まり返った。
祐もまた呆然とし、無意識に首にかけていた赤いお守りに触れた。
七年前、彼はスピードを出しすぎて事故を起こし、ICUで一昼夜の救命処置を受けた。
目を覚ましたとき、最初に視界に入ったのは、美礼だった。
彼女の目は泣き腫らして真っ赤で、体もひと回り細くなっていた。
彼が目を開けたのを見た瞬間、また涙がこぼれ落ちた。
そして彼女は自分の首からそのお守りを外し、ぎこちない手つきで彼の首にかけた。
「これはおばあちゃんがくれたもの。子どもの頃からずっと身につけてきて、これのおかげで一度も怪我をしたことがないの」あの時の美礼の声は、かすれていて、それでいてどこか強引だった。「今、これをあなたにあげる。ちゃんと身につけて。これから先、もう二度と怪我なんてしないで」
祐はずっとこの婚約者を疎んじていた。
本来ならその場で外して、彼女の顔に投げ返すはずだった。
だがあの日、なぜかそうしなかった。
ただ冷笑して言っただけだった。「ずいぶん横暴だな。一生外せないってわけか?」
彼女は長く沈黙したあと、ようやく小さな声で答えた。「私があなたを好きじゃなくなる日が来たら、その時は外していい。……その日になったら、私が自分で取りに来るから」
なぜか今、その言葉を思い出し、言葉にできない感情が胸の奥から湧き上がってきた。
だが祐はすぐにそれを押し殺し、相変わらずソファにもたれたまま、無造作に冷笑する。「で?取り返してどうするつもりだ?」
「別に」美礼の声は淡々としていた。「ただ、もうあなたにあげたくないだけ」
胸の奥に抑えきれない苛立ちが再び込み上げる。
祐は目の前の、見慣れた顔を見つめた。
幼い頃から、この顔はいつも同じだった。
上品で穏やかな名家の令嬢の仮面。常に整っていて、常に抑制されていて、そしていつも自分には退屈に映った。
彼はこれまで、彼女が自分の後ろを追いかけてきた姿や、あれこれ口出ししてくる姿を思い出し、ふと何かに気づいたように笑った。
「へえ――」わざとらしく語尾を引き伸ばし、口元に不良めいた笑みを浮かべる。「何年もやっても俺を好きにさせられなかったから、今度は『駆け引き』に出たってわけか?」
美礼は何も答えない。
祐は図星だと思い込み、立ち上がって彼女を見下ろした。「いいじゃないか。やりたいならやればいい。お守りも返してやるよ。ただし、このマンゴー、全部食え。そしたら返してやる」
その言葉が落ちた瞬間、個室の空気が凍りついた。
最初に耐えられなくなったのは雫だった。
彼の袖を引き、小声で言う。「祐……それ、ちょっとひどすぎない?月城さん、マンゴーにアレルギーがあるのに……」
祐は雫を見ることすらせず、視線を美礼に固定したまま言い放つ。「嫌なら食わなきゃいい。無理にやらせてるわけじゃないからさ」
彼が言い終わるや否や、美礼はテーブルの前に腰を下ろした。
マンゴーを一切れ手に取って、口に入れる。噛み、飲み込む。
一口目で、唇が赤くなり始めた。
二口目で、頬に細かい発疹が浮かぶ。
三口目で、呼吸が荒くなり、首には大きな赤い斑が広がっていく。
部屋は水を打ったように静まり返った。
祐はただ美礼をじっと見つめていた。
白かった肌がみるみる赤く染まり、呼吸が苦しくなっていく。
それでも美礼の手は止まらない。
一切れ、二切れ、三切れ――
皿が空になるまで一切れも残さず、美礼は食べ続けた。
そしてようやく顔を上げる。
目は腫れてほとんど開かず、唇は紫に腫れ上がっている。
声は途切れ途切れで、全身の力を振り絞るようだった。「……全部、食べた。……これで……返して、くれる?」
祐の胸の奥で燃え上がる何かが、さらに激しくなった。
彼は突然、目の前のテーブルを蹴り飛ばす。ガラスが砕け散る耳障りな音が響いた。
「ほらよ!」首からお守りを乱暴に引きちぎり、美礼に叩きつける。「消えろ!」
そう吐き捨てると、雫の手を掴み、振り返ることなくそのまま外へ向かった。
周囲の人間も、空気を読んで次々とその場を離れていく。
彼がまもなくドアを出ようとした、そのとき。
背後から、鈍い音が響いた。
雫が振り返り、悲鳴を上げる。「祐!月城さんが……倒れた!すごくひどいアレルギー反応よ、危ないんじゃない?病院に連れて行かないと――」
祐の足が止まる。思わず振り返ると、美礼は床に丸まり、全身を痙攣させていた。
顔中の発疹は一面に広がり、荒い息をしていた。
彼の胸がきゅっと締めつけられた。思わず駆け寄ろうとした、その瞬間――
雫が足をくじき、そのまま彼の胸に倒れ込んできた。
彼はすぐに向き直り、雫を支える。
眉をひそめた。「どうした?急に捻ったのか?痛むか?」
雫は彼に寄りかかり、弱々しく言う。「大丈夫……我慢できるから。先に月城さんを見てあげて……本当に危なそうだから……」
祐は振り返り、床に倒れる美礼に一瞬だけ視線を向けた。
胸の奥に説明のつかない苛立ちが渦巻く。
だが口から出たのは冷たい言葉だった。「放っておけ。彼女は自分で食ったんだ、死んでも自業自得だ。ちょうどいい、これで二度と煩わせられずに済む。先にお前の足を診てもらおう」
そう言い切ると、彼は雫を横抱きにし、そのまま大股で立ち去った。
個室は再び静寂に包まれる。
美礼は床に倒れたまま、最後の力を振り絞ってポケットから携帯を取り出し、【119】を押した。
「……南山市のノワールクラブ……三階……308号室……」声は途切れ途切れで、ほとんど聞き取れない。「アレルギー……救急車を……」
電話を切ると、彼女は冷たい床に頬を押しつけ、意識が少しずつ遠のいていくのを感じた。
「安心して、祐……」彼女は呟く。その声は羽のように軽かった。「もうすぐ……あなたを煩わせることは、なくなるから……」
――まだ知らないでしょう。
私は……月城家の娘じゃなかったの。
本当の令嬢が……もうすぐ戻ってくる。
そして私は……ここを去るの。
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