時は命の傷を癒さない第1話
この話は約2949字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。
私、白石梨央(しらいし りお)が死んで二年目。
夫の平井凛(ひらい りん)は、親友の羽島優奈(はねしま ゆうな)の息子を拉致した。
凛は、相手を見下ろすことに慣れた人間の顔で、優奈の前に立っていた。
「瑶子は病気なんだ。一刻も早く腎臓移植を受けなきゃいけない。梨央の居場所を言えば、息子は返してやる。梨央は三年も瑶子に血を分けて、それでも平気だったんだ。腎臓を一つ差し出すくらい、どうってことないだろう」
一緒に来た兄、白石怜司(しらいし れいじ)も、うんざりしたように優奈を見た。
「梨央は本当に手に負えない。あのとき、あいつが錯乱して瑶子を刺したりしなければ、俺たちだって精神科病院なんかに入れなかった。
反省もしないだけでも許せないのに、逃げ出すなんてな。梨央に伝えろ。戻ってきて瑶子に腎臓を提供するなら、俺はまだあいつを妹として認めてやる」
私に腎臓を差し出させようとしているくせに、二人は相変わらず高いところから人を見下ろすような顔をしていた。
優奈は、ふっと笑った。
「梨央の腎臓が欲しいの?あの子、二年前に死んだわよ。遺骨の中でも掘り返してみたら?」
* * *
私、白石梨央(しらいし りお)が死んで二年目。
夫の平井凛(ひらい りん)は、親友の羽島優奈(はねしま ゆうな)の息子を拉致した。
凛は、相手を見下ろすことに慣れた人間の顔で、優奈の前に立っていた。
「瑶子は病気なんだ。一刻も早く腎臓移植を受けなきゃいけない。梨央の居場所を言えば、息子は返してやる。梨央は三年も瑶子に血を分けて、それでも平気だったんだ。腎臓を一つ差し出すくらい、どうってことないだろう」
一緒に来た兄、白石怜司(しらいし れいじ)も、うんざりしたように優奈を見た。
「梨央は本当に手に負えない。あのとき、あいつが錯乱して瑶子を刺したりしなければ、俺たちだって精神科病院なんかに入れなかった。
反省もしないだけでも許せないのに、逃げ出すなんてな。梨央に伝えろ。戻ってきて瑶子に腎臓を提供するなら、俺はまだあいつを妹として認めてやる」
私に腎臓を差し出させようとしているくせに、二人は相変わらず高いところから人を見下ろすような顔をしていた。
優奈は、ふっと笑った。
「梨央の腎臓が欲しいの?あの子、二年前に死んだわよ。遺骨の中でも掘り返してみたら?」
その場の空気が、一瞬で凍りついた。
怜司は鼻で笑った。声には、露骨な苛立ちがにじんでいた。
「ふざけるな。梨央をさっさと出せ。精神科病院にはもう確認してある。あいつは二年前にそこから逃げていた。お前はあいつの唯一の友達だ。お前以外のところへ行くはずがない」
凛は眉間に深いしわを寄せ、優奈のアパートをぐるりと見回した。目の奥には、抑えきれない苛立ちがあった。
「優奈、人の命がかかっているんだ。瑶子には一刻も早い移植が必要で、梨央が一番適したドナーなんだ。あいつを俺たちと一緒に帰らせろ。君には相応の礼をする」
そこで彼は、わずかに言葉を切った。
「君だって、息子にいつまでも苦労をさせたくはないだろう」
優奈は唇の端を上げた。
笑みは、冷たく歪んでいた。
「確かに、梨央は私を訪ねてきたわ。残念だけど、もう死んだの」
凛の顔に怒りが浮かんだ。
「まだ嘘をつくのか。あのとき梨央が瑶子を刺しても、俺たちは警察に突き出さなかった。それだけでも十分寛大だったはずだ。あいつは瑶子に借りがある。それなのに見殺しにするなんて、本当に性根が腐っている」
私は彼の背後で、自嘲気味に笑った。
白石瑶子(しらいし ようこ)が現れてから、私はずっと悪女だった。
二年ぶりに、彼の前に姿を見せることすらできない今でさえ、まだ悪女らしい。
つくづく思う。私の夫は、本当に瑶子を心の真ん中に置いているのだと。
二人が信じようとしないのを見て、優奈はもう相手にする気も失せたようだった。
彼女は黙って、テーブルの上の果物と菓子を整え続けた。
怜司は、優奈の手元にあるミルクパイを見て、さらに声を冷たくした。
「梨央は死んだと言いながら、あいつの好きだった菓子を用意しているのか。幽霊にでも食わせるつもりか?」
凛は苛立たしげに一瞥しただけで、すぐに視線をそらした。
私はもう、二年も前に死んでいる。
それでも二人の反応を見ると、胸の奥が小さく痛んだ。
かつては地方へ出張していても、私の誕生日を祝うために夜通し車を走らせて帰ってきてくれた夫と兄。
その二人が、今日が私の誕生日だということを忘れていた。
まして、今日が私の命日でもあることなど、知るはずもなかった。
優奈の顔色が少し険しくなった。
彼女は手にしていたものを置き、鼻で笑った。
「故人を弔っちゃいけないの?」
凛はしばらく冷ややかに彼女を見つめ、ついに完全にしびれを切らした。
「梨央に瑶子へ腎臓を一つ提供させるだけだ。命まで取るわけじゃない。これ以上、梨央がどこに隠れているのか言わないなら、君の息子を連れていく」
優奈は深く息を吸った。
それから、笑い出しそうな顔をした。
「いいわよ。どうせその子、梨央が産んだあんたの子でしょ。殺したいなら好きにすれば?私には関係ないわ」
空気が、再び静まり返った。
私は、凛の垂らした手がかすかに震えるのを見た。
けれど次の瞬間、彼は冷笑した。
「どうやら君も梨央と同じで、頭がおかしくなったらしいな」
「私は正気よ」
優奈は彼の言葉を遮った。
「梨央は精神科病院から逃げ出した時点で、もう半分死んでいるような状態だった。それから三か月後、難産で大量出血して、子どもの顔を一目見ることもなく逝ったのよ」
怜司はその場で固まった。
それから、ボディーガードに抱かれている子どもに目を向けた。顔には隠しきれない動揺が広がっていた。
優奈の目に渦巻く憎しみを見つめ、凛は初めてうろたえたような顔をした。
彼が口を開き、何かを尋ねようとしたそのとき、スマホにメッセージが届いた。
瑶子からだった。
【凛さん、お姉ちゃんはきっとまだ私を恨んでいるの。私に腎臓を渡したくなくて、あらゆる手を使ってあなたを困らせるに決まってる】
【もう私のために無理しないで。私が死んだら、どうか自分のことを大切にしてね】
たったそれだけで、凛の目に浮かんでいた痛みは、嘲りへと変わった。
彼は震える手で瑶子に返信した。
【これは梨央が君に償うべきことだ。君が恨まれる筋合いなんてない】
【必ず梨央を連れ戻して、君に腎臓を提供させる。君を死なせたりしない】
凛は顔を上げ、脅すような目で優奈をにらみつけた。
「俺の前で芝居をするな。梨央には今日、必ず俺と一緒に帰ってもらう。見つからないなら、俺たちはここを出ない」
優奈は笑った。
「いいわよ。あんたの息子、早産でかなりお金がかかったし、育てるのも大変だったの。ちょうどいいから、その分を払ってちょうだい」
そう言って、優奈は一冊の家計簿を差し出した。
「支出は一円単位で書いてあるわ。平井社長、踏み倒さないでね」
そう言い終えると、優奈は背を向け、ベランダへ向かった。
凛はその態度に逆上し、手にしていた家計簿を床へ投げ捨てた。
「どうして俺が、君の言うことを信じなきゃならない!」
力任せに腕を振り上げた拍子に、優奈が棚に置いていたものを引っかけて落としてしまった。
床へ落ちていく日記帳を見て、私の胸が強く締めつけられた。
縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)