時が流れても、私は私でいられる第3話
この話は約1710字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
繁人はほんの一瞬だけ言葉を失った。
そして、彼は私に向けて笑みをそっとこぼした。
「参ったな。まだ拗ねてんのかよ。
未来とはもう終わったんだよ。今、夫婦やってるのは俺とお前二人だろ。自分の旦那をちゃんと信じろよ」
そう言いながら、繁人は私の頭に手を乗せ、軽く撫でた。子供をなだめるような口ぶりで続けた。
「腹がちょっと減った。なんか作ってくれない?」
それはまるで、話をそらそうとしているようだった。
でも、私に断られた。
「自分でやって」
断られるのが初めてだったのか、繁人はほんの少しだけ戸惑った。
これ以上彼の話に付き合う気にもなれず、私は身をずらして彼の横をすり抜け、部屋へ戻ろうとした。
けれどその瞬間、彼に腕をぐいとつかまれた。
「夏希……具合が悪いのか?」
彼の声は相変わらず優しい。まるで、私のわがままを寛大に受け止めているかのような態度だった。
私は彼を突き放すように言い放った。
「具合が悪かったら、何だっていうの?結婚して五年間、あなたが本気で私のことを気にしたことがある?」
「夫婦だろ。お前のことを気にしないで、誰のこと気にすんだよ」
「じゃあ聞くけど。私の生理はいつ来るか知ってる?」
繁人は口をわずかに開けたまま、言葉が出なかった。
知っているわけがない。私が妊娠して、彼の前で何度もつわりで吐いたときでさえ、繁人は適当に「胃薬でも飲め」と言っただけだ。
「でも、未来さんのは知ってるのね」
私は涙でぐしゃぐしゃになりながら彼を見つめる。きっと彼が怒鳴り返してくるか、あるいは、慌てて未来との関係を言い訳でもするか、と思った。
でも繁人は、どちらもしなかった。ただどうしようもなさそうに息をついただけだ。
「……お前、いったん落ち着け。今夜は会社で残る」
またそれだ。私がぶつけようとすると、彼は残業を盾にして逃げる。
こんなモラハラと何ら変わらないようなやり方を、繁人はやけに上手く使った。
もう我慢できなかった、私は手にしていたリモコンを思いきり投げつけた。
彼は避けきれず、額の端に当たって、そこが薄っすら赤くなった。
繁人の目に、怒りの炎が燃え上がった。
「夏希……わがままにも限度ってもんがあるだろ」
そう言い捨てて、彼はドアを叩きつけるように出ていった。
部屋はしんと静まり返り、崩れたのは私だけだった。
返事のない谷に向かって叫び続けても、苦しくなるだけだ。
私は床にへたり込み、壁の結婚写真に目を向けた。泣くべきか笑うべきかさえ分からなかった。
どれくらいそうしていたのかわからない。ぼんやりしていると、電話が鳴った。
出た瞬間、繁人の怒った声が飛んでくる。
「夏希。お前の親友をちゃんと止めろ」
甘音のことだと分かった瞬間、私は電話を切り、息もつかずに西洋料理店へ向かった。
店に入った途端、目に飛び込んできたのは、頬を押さえて泣きそうな顔をしている未来が、繁人の胸に寄り添っている姿だった。
甘音は店員に止められていて、怒りで顔が真っ赤だ。今にも噛みつきそうな目をしている。
私は慌てて甘音のそばへ行き、なだめようとした。
繁人は私を見もしなく、陰った顔のまま言った。
「久我甘音。お前が夏希の親友だからって、手出さねぇと思うな。今すぐ未来に謝れ」
甘音が吐き捨てる。
「は?誰が謝るべきなのよ?!このクズ男。
殴ったって言うなら、殴りたかったわ。ただやる隙がなかっただけ」
繁人の顔が一気に険しくなり、矛先が私に向いた。
「夏希。お前、こいつに何吹き込んだ?
言ったよな。俺と未来はただの友だちだって。耳がついてんのか?
今日、二人とも未来に謝らないなら、帰さないぞ」
「いいよ。でもその前に、店の人に監視カメラを見てもらおう」
その瞬間、甘音の目がわずかに光った。
けれど未来は、いっそう声を震わせて泣き出した。
「もういい、繁人。夏希さんにこんなに誤解されてるなんて、私は思ってもみなかった。これ以上、あなたに迷惑をかけたくない。だから、私から離れて」
そう言い終えると、未来は泣きながら店を飛び出し、繁人は慌ててその後を追った。
出ていく直前、彼は私に吐き捨てた。
「夏希。未来に何かあったら、お前のせいだからな」
鼻の奥がつんと痛んだ。私はうつむいたまま、何も言えなかった。
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