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春に届かない夜の風第1話

この話は約2042字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。

瀬戸恭平(せと きょうへい)の愛人が、私の前で我が物顔に振る舞うのはこれで九度目だ。私の心には、もはやさざ波ひとつ立たなかった。

私は視線を上げ、静かに恭平を見つめた。

「愛人を私の前に出さないと、何度も約束したはずだけれど」

恭平は鼻で笑い、さも当然だと言わんばかりの口調で言った。

「夢美はまだ若いから、少しばかり元気が有り余っているだけだ。

君は年上という立場なんだから、少しは包容力を持って理解してやったらどうだ」

彼は腕組みをして私を見下ろしており、その瞳には明らかな軽蔑の色が浮かんでいた。

彼が何を期待しているのかは分かっていた。私が涙を流し、ヒステリックに泣き叫び、二度とこんなことしないでって彼に懇願するのを待っているのだ。

だが、彼は誤算をしている。私はもうすぐ実家に帰るのだから。

彼のために自分を殺し、涙を流すことなど、もう二度とない。

* * *

リビングは夫の愛人によって荒らされ、惨状を呈していたが、夫・瀬戸恭平(せときょ うへい)はそれが見えていないかのように、愛人の白石夢美(しらいし ゆめみ)を自分の後ろに庇い、過保護なほどの態度を見せていた。

私、桐島凛(きりしま りん)は胸の奥に湧き上がる苦々しさを押し殺し、眉間を揉みながら恭平を見た。

「二度と愛人を私の前に出さないと、何度も約束したはずよ。

それに、今日は私の誕生日よ」

恭平は肩をすくめ、私の言葉など意に介さず、夢美を擁護する態度を隠そうともしなかった。

「分かったよ。大したことじゃないだろう、そんなに問い詰めて楽しいか?」

夢美は恭平の庇護を笠に着て、白鳥のように高慢に顎を上げていた。

私はその仲睦まじい二人を見て、自嘲気味に笑った。これ以上彼らと対峙し、言い争う気力もなく、背を向けて二階へと上がった。

すると、恭平はわずかに顔色を変え、夢美を帰らせて私を追いかけてきた。

彼は後ろから私を抱き締め、耳元で低く囁いた。

「もう二度としないと約束しただろう、何を機嫌を損ねているんだ?」

彼はもっともらしく言っているが、そんな言葉はもう何千回と聞いてきた。

一文字たりとも信用に値しない。

私は長く溜息をつき、恭平の腕から抜け出した。

「機嫌を損ねてなどいないわ。

あなたが誰といようと、誰を連れ帰ろうと、あなたの自由よ」

恭平は信じていない様子だった。

「今日は君の誕生日だ。夢美が押し掛けてきたのは確かにやり過ぎだった。帰ったらあの子にはよく言い聞かせておくよ」

そう言いながら、彼は真新しいブラックカードを取り出し、私の前に差し出した。

「償いだと思って、好きなものを買うといい」

私は何の心理的な負担もなく、そのブラックカードを受け取った。

恭平は私が彼の償いを受け入れ、今日のことを水に流したのだと思い込み、称賛の眼差しを向けた。

「それでいい。君がそうやって大人しく聞き分けよくしていれば、君の地位を脅かす者は永遠に現れない」

私は冷ややかに笑った。

「あなたが与える地位なんて、少しも欲しくないわ。

恭平、離婚しましょう」

恭平は一瞬驚愕したが、すぐに声を上げて笑った。

「凛、君は本当におだてに弱いな。

離婚?君にそんなことができるのか?」

私は眉をひそめた。

「できない理由なんてないわ」

彼は頭のてっぺんからつま先まで私を品定めするように見つめ、極めて侮蔑的な態度をとった。

「俺と別れて、君に行き場所なんてあるのか?」

確かに、私には行く当てがなかった。

かつて、私の家族は恭平を全く認めておらず、彼と一緒になるなら家族と絶縁しなければならないと言い渡した。

私は恭平を選んだ。

激怒した父は記者会見を開いた。

国内屈指の財閥令嬢である私が、一人の男のために絶縁されたことは、全国民の知るところとなった。

幼い頃から何不自由なく、裕福な生活を送ってきた私にとって、それ以来、頼れるのは恭平ただ一人だった。

恭平もそれを誰よりも理解していた。

だからこそ、結婚して二年目には、彼は他の女を作り始めたのだ。

最初はまだ言い訳をして私を騙そうとしていた。接待の席で取引先に押し付けられたのだ、仕方なかったのだと。

そのうち、騙すことすら億劫になったようだ。

愛人が私の前に現れても、彼は愛人の側に立つことさえあった。

「凛、男が外で付き合いが多いのは普通のことだ。遊びくらい大目に見ろ。

君がヒステリックに騒がず、家で大人しくしていれば、『瀬戸夫人』の地位を脅かす者なんていないんだから」

最初、私はプライドが許さず、荷物をまとめて実家に帰ろうとした。

しかし両親は「自業自得だ」と私を罵り、兄に至っては直接恭平に連絡して私を連れ戻させた。

それ以来、恭平の態度はエスカレートし、堂々と愛人を連れ歩き、愛人が私を辱めるのを黙認するようになった。

かつて両親と決裂してまで守り抜いた愛情は、完全に消え失せていた。

私は軽く溜息をつき、恭平の言葉に合わせた。

「あなたがそう言うなら、そうなのでしょうね」

しかし部屋に戻るとすぐ、編集しておいたメッセージを父に送信した。

『自分の責任は果たす。迎えに来て』

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