新婚旅行十回奪われ、私は妻であることをやめた第1話
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結婚して3年、医師である夫、磯野隆行(いその たかゆき)に新婚旅行を10回も中止にされた。
1度目は、彼が指導している女性研修医、三森梢(みもり こずえ)が患者とトラブルを起こしたと言って、彼は見知らぬ街に私、磯野晴加(いその はるか)をひとり置き去りにした。
2度目は、その研修医が患者の病因を特定できないからと、彼は慌てて引き返し、真夜中の人けのない場所に私を残していった。
それ以来、私が新婚旅行を口にするたび、決まって彼女に何かしらの問題が起きるのだった。
もう疲れ果てた。この結婚生活ごと、捨て去ろうと決めた。
なのに、私が国境なき医師団の医師になった時、彼は泣きながら戻ってきてくれと縋りついてくるのだ。
* * *
新婚旅行がまた白紙に戻ったと告げられた時、私はすでにS市に降り立ち、ホテルの予約も済ませていた。
隆行は苛立ちを隠そうともせず、私の後ろを歩きながらブツブツと文句をこぼしていた。
「誰がそんなに急いで予約しろって言ったんだよ。飛行機を降りてすぐ話したじゃないか。梢の担当で重症の急患が運ばれてきたんだ。俺はあいつの指導医なんだから、戻ってサポートしてやらないと。
新婚旅行なんていつでも行けるだろ。少しは察してくれよ。何しろ、人の命がかかってるんだ」
私は胸の奥からこみ上げる悔しさをぐっと飲み込み、引いていたスーツケースを彼の方へ押しやった。
「戻りたいなら、戻ればいいわ」
ほんの数分前、着陸直後、隆行はトイレに行った後のことだった。代わりに彼のスマホの機内モードを解除した途端、通知が次々と届き始めた。
すべて梢からのメッセージだ。
ふと画面に目を落とした。文面を見た瞬間、体の芯まで凍りついた。
それは同僚数人のグループLINEで、梢が甘ったるい口調で隆行に何度もメンションを飛ばしていたのだ。
【先生ったら、今日は私が入局して1年、二人が出会って1年の記念日ですよ。お店も予約したし、まさかドタキャンしたりしませんよね?】
【友達もたくさん呼んでるんです。先生が来てくれなかったら、みんながっかりしちゃいますよ】
すぐさま別の誰かが茶化すように便乗してくる。
【大丈夫だって。先生が一番気にかけてるのが誰かなんて、みんな知ってるでしょ。だいたい休みを取って新婚旅行って、もう何回目よ。どうせ適当な理由をつけて戻ってくるって。
磯野先生の奥さんなんて、もうすっかりおばさんでしょ。梢の若さと可愛さには勝てないわよ。だいたい奥さんも暇よね。1年中新婚旅行って、お医者様の時間がどれほど貴重か分かってないのかしら。
結婚してあんなに経つのに、まだ形式にこだわるなんてね。愛されてない人ほど、周りにアピールしたがるものよ】
体が少しずつ強張っていくのがわかった。私の頭の中が一気に真っ白になった。
これで10度目。10度目の新婚旅行の計画だった。
これまでも毎回、隆行は何かしら理由をつけ、旅の途中や到着して最初に立ち寄った観光地で私を置き去りにしてきた。
その原因はいつだって梢だ。
彼の言い分はいつも正論に聞こえた。指導医だから後輩の面倒を見るのは義務だ、梢は研修医として学びに来ているのだから放っておくわけにはいかないのだ、と。
けれど今の私には、それがすべて白々しい言い訳にしか思えなかった。
「どうかしたか?」
隆行が洗面所から戻ってきた時、私は鏡をぼんやり見つめたまま動けずにいた。
彼が怪訝そうな顔をするので、唇をぎゅっと結び、スマホを差し出す。
「通知、鳴ってたよ。誰かから連絡みたい」
ロックを解除したわけではない。画面に次々表示される通知を目で追っただけだ。
手についた水気をズボンで無造作に拭い、スマホを受け取って画面を確かめた隆行は、数秒後に慌てたように私を見る。
「病院に重症の急患が運ばれたらしい。梢の手伝いに戻らないと。新婚旅行はまた今度にしよう」
本当に患者のためなのか、それとも記念日に間に合わせたいだけなのか。喉元まで出かかった問いは、結局、深いため息に変わる。
「今回は、ちゃんとプランを立てたの。あなたの好きなものも、写真映えするスポットも調べたし、ホテルだって予約済みよ。せめて今日だけでも、予定どおり過ごせない?
病院のことは誰かに任せられるでしょ。他の先生だっているんだし」
情けないと思いながらも、この懇願で彼が残ってくれることを心のどこかで願っていた。
けれど隆行は、私を一瞥しただけだった。それも、驚くほどあっさりと。
「いい加減にしてくれ。結婚した時からわかってただろ、俺は医者だ。医者としての使命がある。人を救うことが何よりも優先されるべきなんだ。お前の今の言葉で、ひとりの命が見殺しにされるかもしれないってこと、わかってるのか?」
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