愛と別れのその先へ第3話
この話は約1762字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
龍也は、まだ帰ってこない。
私は連絡もしない。
ただ、優香から送られてくるの挑発めいた動画から、二人の様子を知るだけ。
動画の中では、二人が楽しげに笑い合い、何気ない仕草の中にも親密さがにじむ。でも、私の心には、何の波風も立たない。
まるで、他人事のように、淡々と……
結婚式の準備を進めていた。
ただ一つ、変わったことがある。私が送り出した結婚式の招待状に記された「新郎」の名前。
もう、小川龍也じゃない。そこには、南秀康の名前と変えた。
「ねぇ、幸。新郎のところ、間違ってないよね……?」友人の声が、少し不安げに聞こえた。
「間違ってないよ」私は静かに、けれどはっきりと答えた。
「新郎、変更になったの。秀康は私の幼馴染だよ」
電話の向こうが、さらに驚いたのが伝わってきた。
「えっ?ちょっと待って!小川さんと喧嘩でもしたの?」彼女たちは、慎重に、恐る恐る聞いてる。
その声には、信じられないという気持ちと、どこか戸惑いが混ざっていた。
無理もない。私が龍也を好きだったことは、周囲の誰もが知っている。私は、彼のためならどんなに情けないことでもやってのけた。
でも愛されている方として、龍也は何も知らない。
いや、彼はずっと知っていたのかもしれない。ただ、気にしていなかっただけだ。
彼はいつだって、あの冷たく、自分自身だけを見つめる高嶺の花だ。
私が必死に努力して頂上まで登り詰め、そして惨めにも粉々に転げ落ちるのを、冷ややかな目で見ているだけ。
私は深く説明しようとせず、ただ笑って何も言わなかった。
友人たちは安堵の息をつきながら、それを単なる冗談と受け取り、からかいの言葉を投げかけてきた。
彼女たちにとって、これはカップルが軽口を叩き合い、お互いの絆を楽しむような、ごく普通の戯れに過ぎなかったのだ。
誰も、私が三年もかけて、必死にアプローチし、ようやく掴んだその人を簡単に手放せるとは思わない。
だからこそ、彼女たちは理解できない。どうして、私があっさりと「新郎を変えた」なんて言えるのか。
でも、彼女たちを責めることもできない。
だって、私自身も、その言葉を口にした時、ほんの一瞬に自分が誰なのかわからなくなった。
まさか、私が三年もかけて追い求めた男を、こんなに簡単に手放せる日が来るなんて。
でも、いいわ。
そうなったからこそ、龍也にも、このことは知られたくない。
この「冗談のような真実」が、彼の耳に入ることがない限り、私はもっと自由に、もっと冷静に、準備を進められる。
それから、約一週間後。龍也が、ようやく帰ってきた。
顔色は悪く、目の下には薄い隈ができていて、明らかに睡眠不足だった。
私は、彼の首筋にあるくちづけの痕を一瞬見つけ、すぐに視線を逸らした。
「お疲れさま」感情を込めずにそう言った。
彼は何も言わず、靴を脱ぎ、そのまま私の隣に腰を下ろし、複雑な眼差しを向けていた。
「何かあるの?」
私が聞くと、彼は少しの間を置いて、こう言った。
「うん。結婚式、延期したい……
先生が亡くなった。喪に服すのため、当分結婚はできない」
その言葉と共に、彼の目に、珍しく、申し訳なさそうな色が浮かんだ。
「幸、ごめんね」
私は、彼を見つめ返した。
なぜ、謝るの?
もしかして、この結婚が私の何年もの願いだったことを、彼も知っているから?
それとも、他の女と子供を作りながら、夫として、私に謝る義務があると思ったから?
わからない。でも、どうでもいい。
「うん、わかったわ。ご愁傷さま……」
龍也は、私の反応を見て、眉をひそめた。その目には、探究心とも、困惑とも取れる色が浮かんでいた。
どうして、こんなに平然としているのか、彼には理解できないようだった。
確かに、あの時、彼が優香のために子供を作ると言った時、私は怒り狂っていた。でも、今は静かだ。
彼はそれ以上、何も言わなかった。
ただ、すぐに次の言葉を口にした。「今日は、先生の葬式だ。一緒に行こう」
その口調には、命令が含まれていた。
相談ではない。選択肢もない。
でも、私は拒否しなかった。
あの恩師が、他人の婚約者に自分の娘のために子供を作れと命じたような人間だとしても、今となっては、彼に対して怒りを抱く気持ちは、ほとんどない。
むしろ、感謝さえしている。彼のおかげで、私は龍也の本当の姿を見ることができた。
これ以上、彼に縛られる必要は、もうない。
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