愛という名の嘘第1話
この話は約2754字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。
私は、宍戸心未(ししど ここみ)。画家として生きてきた。けれど、ある交通事故で視力を失った。
絶望の底にいたあの頃、ずっとそばで支えてくれたのは、幼なじみの宍戸耕平(ししど こうへい)だった。
彼は、私の人生に残されたたったひとつの光だった。
やがて私たちは結婚した。
けれど二年後、私は偶然、パソコンに残されていた録音を聞いてしまう。そこには、夫の耕平と、彼がずっと想い続けていた女――江坂香奈美(えさか かなみ)の声が残されていた。
「耕平、助けてくれてありがとう。でも……心未に黙って、彼女の角膜を私に移植したことが知られたらどうするの?目を覚ましたら、どう説明するつもり?もし警察に行かれたら?」
「気づかせるつもりはない。あいつはもう目が見えない。俺が妻にして、ずっとそばに置いておけばいい。
香奈美、お前のためなら、俺は何だってできる」
息が止まりそうになった。
私が救いだと信じていたものは、最初から最後まで、ただの嘘だったのだ。
録音をスマホに保存すると、私は病院へ連絡し、中絶手術の予約を入れた。
――もう終わりにしよう。
そうして私は、彼との別れを決めた。
* * *
私は、宍戸心未(ししど ここみ)。画家として生きてきた。けれど、ある交通事故で視力を失った。
絶望の底にいたあの頃、ずっとそばで支えてくれたのは、幼なじみの宍戸耕平(ししど こうへい)だった。
彼は、私の人生に残されたたったひとつの光だった。
やがて私たちは結婚した。
けれど二年後、私は偶然、パソコンに残されていた録音を聞いてしまう。そこには、夫の耕平と、彼がずっと想い続けていた女――江坂香奈美(えさか かなみ)の声が残されていた。
「耕平、助けてくれてありがとう。でも……心未に黙って、彼女の角膜を私に移植したことが知られたらどうするの?目を覚ましたら、どう説明するつもり?もし警察に行かれたら?」
「気づかせるつもりはない。あいつはもう目が見えない。俺が妻にして、ずっとそばに置いておけばいい。
香奈美、お前のためなら、俺は何だってできる」
息が止まりそうになった。
私が救いだと信じていたものは、最初から最後まで、ただの嘘だったのだ。
録音をスマホに保存すると、私は病院へ連絡し、中絶手術の予約を入れた。
――もう終わりにしよう。
そうして私は、彼との別れを決めた。
……
両目の見えない私が付き添いもなく中絶を受けに来たと知った医師は、ひどく気遣うような声で言った。
「中絶は体に負担のかかる処置です。ご家族の方は?お電話して付き添っていただかなくて大丈夫ですか」
私は静かに首を横に振った。
「……家族はいません」
十年前、両親は事故で亡くなった。そのあと私を引き取ったのが、宍戸家だった。
うちと宍戸家は代々親しい付き合いがあり、私は耕平と幼なじみとして一緒に育った。耕平は昔から何度も、まるで当たり前のように言ってくれていた。
――お前のことは、俺が守る。
けれど。
香奈美が現れてから、すべてが変わってしまった。
香奈美は気性が強く、いつも人目を引くような存在だった。気づけば耕平は、自然と彼女に惹かれ、いつもそばで守る側に回っていた。
たとえ香奈美が別の人と結婚しても、その気持ちが変わることはなかった。
あの事故の日。
車に乗っていたのは、私と香奈美だった。ふたりで国際絵画コンクールへ向かう途中だった。
私はずっと、事故で自分の目が見えなくなったのだと思っていた。けれど本当は違った。
傷ついていたのは――香奈美の目だった。
耕平は彼女を救うために、私の目を奪ったのだ。
ここ数年、彼が私に優しくしてくれていた理由も、そばにいてくれた理由も、全部ただの罪悪感と償いだった。
それなのに私は、それを生きる支えのように思い込んでいた。愛されているのだと、信じてしまっていた。
……本当に、滑稽だった。
私はうつむいたまま、手術同意書に名前を書いた。
三十分後、処置は終わった。
病室のベッドに横になり、経過観察を受けながらぼんやりしていると、不意にスマホが鳴った。
着信の相手は――耕平だった。
「心未、いまどこにいる?どうして使用人も連れずに出かけたんだ。迎えを向かわせる。
目が見えないのに一人で外にいるなんて危ないだろ。心配したんだぞ」
電話の向こうから聞こえてくる声は、ひどく切迫していた。
けれどもう、その言葉を聞いても、彼の気持ちは伝わってこなかった。
胸の奥の感情を押し込めながら、私は答えた。
「ずっと家にいて息が詰まってしまって……少し外を歩いていただけ。もう帰る」
そう答えて電話を切ると、私は静かに身支度を整えて病室を出た。
退院の手続きをしに向かう途中、正面から来た人にぶつかり、倒れかけたところを腕を支えられた。
「すみません。目が見えない方だと気づかなくて」
その人は慌てて謝った。
私は首を横に振って、大丈夫だと伝える。
けれど彼は手を離さず、私のまぶたをそっと開いて、小さくつぶやいた。
「この状態なら治療できますよ。角膜移植をすれば、また見えるようになります。どうしてここまで放っていたんですか」
息が止まりそうになって、私は思わず問い返した。
「……私、また見えるようになるんですか」
「ええ。私はこの病院に新しく赴任した眼科医です。あなたの目は、治療できる可能性があります」
その言葉を聞いた瞬間、頭の奥で何かが弾けた。
意識は――二年前へと引き戻されていった。
事故から半年のあいだ、耕平は私の目を治すためだと言って、国内外の病院をいくつも回った。
けれど、どの医師も同じことを口にした。
損傷がひどすぎて、もう視力は戻らない、と。
それなのに今、この人は治せると言う。
胸の奥に、ひとつの考えがふいに浮かんだ。
――もしかして耕平は、ずっと私の目が治らないようにしていたのではないか。
私は何も知らないふりをして家に戻った。
玄関に入った途端、耕平は私を強く抱き寄せた。
低い声には、隠しきれない心配がにじんでいた。
「こんなに冷えるのに、一人で出歩くな。体だってまだ万全じゃないだろ。次からは運転手をつけてくれ。連絡が取れないと心配する。
お腹も空いただろ。先に食事にしよう。お前の好きな鮭の塩焼きを用意させてある」
そう言うなり、彼は私を抱き上げ、そのままダイニングへ向かった。
食卓でも、耕平はずっと私のために魚の骨を取り分けてくれて、私が箸を置くまで自分はほとんど手をつけなかった。
けれど、その気遣いはもう、私の中では別のものに変わっていた。
夕食を終えると、彼は会社で会議があると言って、慌ただしく出ていった。
私はスマホを取り出し、耕平の会社名を検索して最新のニュースを開いた。
目が見えない私は、読み上げ機能の音声に頼るしかない。
「今夜、宍戸グループが多額の資金を投じ、画家・江坂香奈美の新作をオークションで落札――」
縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)