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息子の命と引き換えに、あなたは全てを失った第1話

この話は約1902字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。

幼稚園へ息子、南里勇人(なんり はやと)を迎えに行った帰り道、1台のポルシェが勇人を撥ね飛ばした。小さい体は、8メートルも宙を飛んだ。

顔中血まみれの勇人は、それでも小さな手に買ったばかりのアニメヒーローのフィギュアを固く握りしめていた。

私、南里真優(なんり まゆ)はその場にへたり込み、勇人を抱きかかえながら、通りすがりの人に119番してくれるよう頼んだ。それなのに、事故を起こした女は車から降りようともしない。

シートに深く寄りかかったまま口紅を塗り直すと、どこかへ電話をかけ始め、甘ったるい声を出した。

「南里社長、私、やらかしちゃった……怖いよぉ、早く助けに来てぇ……」

わずか数分後、黒塗りの大型バンが2台、道を塞ぐように停まった。黒いスーツの男が6人、私と勇人をぐるりと取り囲んだ。

子供が血を吐いている、今すぐ病院へ運ばなければ死んでしまうと、私は必死に叫んだ。

だが、リーダー格の男は表情ひとつ変えず、駆けつけた救急車の進路までも無情に塞いでみせた。

「社長からの指示です。事故の状況が確認できるまで、負傷者を含め、誰もこの場を離れることは許されません」

私は半狂乱になって飛び出そうとしたが、両脇から力づくで押さえ込まれた。

ようやく車から降りてきた女は、コツコツとヒールを鳴らしながら歩み寄り、しゃがみ込んで勇人を一瞥した。

「あら、大したことないじゃない」

女はまた電話を耳に当て直し、甘えた声で言った。

「南里社長、この人たち言いがかりをつけてくるの。私の味方になってくれるわよね?」

「心配するな」

電話の向こうから、聞き覚えのある声が返ってきた。ぞっとするほど冷静な声だった。

「俺が処理する。お前は車の中にいろ」

勇人の唇はすでに紫色に変色していた。私は藁にもすがる思いで、その名前を叫んだ。

「南里章平(なんり しょうへい)!撥ねられたのは、勇人なのよ!」

* * *

電話の向こうに、一瞬の沈黙が落ちた。

女はフンと鼻で笑うと、そのまま一方的に通話を切った。

「ツー、ツー、ツー」

無情な電子音が、ざわめく街角でやけに耳障りに響いた。

女はスマホをエルメスのバッグに押し込むと、見下ろすように私を睨みつけた。

「何を騒いでるのよ?

うちの南里社長の名前を聞きかじったからって、馴れ馴れしくしないでよ。

社長は毎日分刻みのスケジュールで動いてるんだから。あんたみたいな当たり屋の女を相手にしてる暇なんてないのよ」

私は血走った目で、女を鋭く睨み返した。

「この子は……南里章平の実の息子なのよ!

あなたが撥ねたこと、章平が黙っているはずないわ!」

女はよほど面白い冗談でも聞いたかのように口元を押さえ、腹立たしいほど甲高い声で笑った。

「あらやだ、よくそんなデタラメが言えるわねー。

当たり屋をやるにしても、下調べくらいしなさいよ。社長のことを好き勝手に騙っていいとでも思ってるの?」

電話が切れた後、章平は胸の奥にかすかな不安がよぎるのを感じた。

家政婦の安永洋子(やすなが ようこ)に電話をかけ、家の様子を尋ねた。

「洋子さん、妻と息子は帰っているか?」

洋子はその日、午後から友人たちと出かけていた。ランチのあと、そのまま喫茶店で話し込み、さらに買い物までしていたため、まだ家には戻っていなかった。

洋子は咄嗟に嘘をついた。

「奥様と坊っちゃんなら、温室でお花に水をやっていらっしゃいますよ」

そのひとことの嘘が、勇人の命を奪う引き金になるとは、洋子は知る由もなかった。

章平は安堵の息を漏らし、スマホを放り出した。

電話の向こうで最後に聞こえた、あの叫び声に対する不快感だけが胸に残った。心の中で、なんて下品な女だ、と悪態をついた。

「離して!」

私は全力でもがき、ボディガードの拘束を振り解いた。

勇人のそばへ駆け寄る。彼の鼻からは絶え間なく血が溢れ出し、胸元の白いシャツはもうどす黒い赤に染まりきっていた。

勇人は辛うじて目を開け、小さな手を小刻みに震わせた。

「ママ……痛いよ……っ」

心臓をぐちゃぐちゃに引き裂かれるような痛みが走った。

「勇人、怖くないわよ。ママがいるから。救急車もすぐそこまで来てるからね」

私は顔を上げ、声を振り絞ってボディガードたちに叫んだ。

「そこをどいて!救急車はあなたたちのすぐ後ろに来てるのよ!

人の命がかかってるの!あなたたちにだって親や家族がいるでしょう、血も涙もないの!?」

リーダー格の男は、まるで感情を持たない氷の壁のようだった。

冷ややかに私を見下ろし、抑揚のない声で言い放った。

「社長のご指示です。友部夏子(ともべ なつこ)様が怯えておられるので、社長の顧問弁護士が到着するまで、誰であろうとこの場を離れることは許されません」

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