彼氏への献身が終わった日第1話
この話は約2041字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。
高宮陸人(たかみや りくと)は、私――小林美鈴(こばやし みすず)がもう彼に関心を寄せていないことに気づいた。
飲み会で、陸人の親友が笑いながら彼に尋ねたという。
「お前のあの超献身的な彼女、迎えに呼ばないの?」
陸人から迎えに来てほしいとLINEのメッセージが入っていたが、私は残業で忙しく、返信するのを忘れていた。
彼の誕生日にも、例年のように三ヶ月前からサプライズを準備したりはしなかった。
ただLINEで「お誕生日おめでとう」と一言送っただけ。
彼の母親が入院し、私の働いている病院に来た時でさえ、私は病室に一歩も足を踏み入れなかった。
彼はついに私の仕事終わりに待ち伏せし、穏やかな口調で言った。
「一緒にご飯でも食べよう。レストランはもう予約してあるんだ、君の一番好きなあのお店だよ」
私は半歩下がり、よそよそしく距離を置いた。
「やめておくわ、今日は少し疲れているから、早く帰って休みたいの」
彼はその場に立ち尽くし、何が起きたのか飲み込めない様子だった。
無理もない。一ヶ月前なら私は24時間連続の勤務明けでも、無理をして彼に会いに行っていたのだから。
* * *
「一緒にご飯でも食べよう」
私が診察室を出ると、高宮陸人(たかみやりくと)がドア枠に寄りかかっていた。どれくらい待っていたのだろうか。
「レストランはもう予約してあるんだ、君の一番好きなあのお店だよ」
私は半歩下がり、よそよそしく距離を置いた。
「やめておくわ、今日は少し疲れているから、早く帰って休みたいの」
彼はその場に立ち尽くし、少し呆然とした表情を浮かべた。
まさか私に断られるとは思っていなかったのだろう。
しかし、彼はすぐに気を取り直し、一歩近づいて少しトーンを落とした。
「それなら、この近くで少し座って話さないか?久しぶりに会ったんだし」
再び断ろうとしたら、陸人は私の顔色を窺いながらこう付け加えた。
「ちょうどいい機会だし、少し話をしよう」
私は少し考えてから、頷いた。
「わかったわ」
私がバッグを抱えて一歩先を歩き、陸人が斜め後ろからついてくる。私たちの間には、埋まらない半歩の距離があった。
彼はなんとか話題を振ろうとしていた。
「今日は忙しかった?」
「まあまあね」
「何度か電話したんだけど、出なかったね」
「スマホ、マナーモードにしてたから」
そんな素っ気ないやり取りが続いたあと、彼は口を閉ざした。
私の冷たい反応に、少し戸惑っているのかもしれない。
以前は、いつも私の方から話題を作っていたから。彼が一言喋れば、私は十の言葉を返していた。
エレベーターが来て、私たちは前後に並んで乗り込んだ。
陸人は私の隣に立ち、エレベーターの扉に映る二人の姿を数秒見つめてから、突然尋ねてきた。
「いつ髪を切ったの?」
「先月よ」
「……気づかなかった」
私は何も返さなかった。
髪を切った日、私はインスタに自撮りを載せた。
彼はいいねすら押していなかった。
屋外の駐車場に着くと、陸人のグレーのSUVが見えた。
助手席の窓が少しだけ開いていて、中に人の気配があった。見れば、シートに深く身を沈めた女が眠っている。彼女はクッションを抱きしめていた。
私は足を止めた。
陸人も当然それに気づいた。
彼は明らかに動きを止め、こちらを振り向いて焦ったように弁解した。
「誤解しないでくれ。予約したレストランが彼女の家の近くだったから、ついでに乗せてきただけなんだ。
最初は彼女を送り届けてから君に会いに行こうと思ったんだけど、車の中で少し待っていればいいからって言われて。まさか寝てるとは思わなかったよ」
そう言いながら、陸人はすでに車のそばまで歩み寄り、身をかがめて助手席の窓を軽く二度叩いた。
中の人物はビクッと目を覚まし、目をこすりながらこちらを見た。そして彼だと気づくと、すぐにぱっと笑顔を咲かせた。
「陸人さん、着いたの?」
彼女は身を起こし、そこで初めて車の外にいる私に気づいた。
鈴木伊織(すずき いおり)は慌てて口を開いた。
「あ、美鈴さん!ごめんなさい、私ったら寝ちゃってて。お食事に行かれるんですよね?じゃあ私、ここで失礼しますね」
そう言いながら、伊織はすでにシートベルトを外し、ドアを開けて降りようとしていた。
私は二歩離れた場所に、バッグを手にしたまま立ち尽くしていた。駐車場の入り口から吹き込む風が、耳元の後れ毛を揺らした。
「いいわ」
私は静かに言った。
陸人はハッとした。
「彼女を降ろさなくていい」
私は後部座席のドアを開け、身をかがめて乗り込んだ。
「出して」
車内に二秒ほど沈黙が落ちた。
伊織はこちらを振り返り、また陸人を見て、おずおずとした声で言った。
「美鈴さん、私が後ろに座ります。助手席へ――」
「結構よ」
私はシートの背に寄りかかり、疲れたように呟いた。
「そのまま座ってて」
車が発進し、エアコンの送風音が車内に響く。
シートにもたれる私の鼻腔を、嗅ぎ覚えのない甘い香水がかすめた。
不思議と、腹立たしさは湧いてこなかった。
陸人がルームミラー越しに私を一度見たが、私は視線を返さなかった。
縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)