彼女を百回許した後第1話
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人はどこまで金持ちになれるのか?
僕の妻はとてつもない金持ちだ。
世間では彼女を「西園寺半城」と呼ぶ。帝都の不動産の小半分が彼女のものだからだ。
結婚して五年。彼女が「昔の想い人」に会いに行くたびに、僕の名義に不動産が一つ譲渡されることになっている。
僕の名義の不動産が99軒になった頃、妻は突然、僕が変わったことに気づいた。
僕はもう泣きわめかないし、「行かないで」と懇願することもしない。
ただ、帝都で最高級の別荘を自ら選び、不動産譲渡契約書を持って、彼女がサインするのを待っていた。
彼女はサインを済ませると、初めて少し心が揺らいだような顔を見せた。
「ねえ、帰ってきたら、一緒に花火を見に行きましょう」
僕は素直に書類をしまい込み、「うん」とだけ答えた。
ただ、頑なに彼女へは教えなかったことがある。
今回彼女がサインしたのは……
僕との『離婚届』だったということを。
* * *
オフィスでは、一条聖也(いちじょう せいや)が帰国したというニュースがテレビで流れていた。
西園寺麗華(さいおんじ れいか)の視線は、ずっと画面に釘付けだった。
僕・柊木悠真(ひいらぎ ゆうま)が差し出した『不動産譲渡契約書』を受け取り、サインをするその瞬間でさえも。
西野山一番館。帝都では金があっても買えないと言われる至極の物件だ。
だが、麗華にとってはそれほど重要ではない。
僕の存在が、彼女にとって重要ではないのと同じように。
ニュースが終わると、彼女は機嫌良さそうに、サインを終えたペンを指先でくるりと回した。
契約書を僕に返しながら、冗談めかして言った。
「これで六十軒くらいになったかしら?あなたもすっかり小金持ちね」
その声に滲む抑えきれない喜びは、僕を祝福するためではない。
ただ、彼女の「想い人」が帰国するからだ。
僕は彼女の前に立ち、ただ静かに頷いた。
「西野山の別荘からは海が見えるからね。気に入ってるよ」
僕は彼女に教えなかった。
実は、これが彼女から譲渡される「百軒目」の物件だということを。
かつて僕を追いかけていた麗華を、僕は九十九回断った。
彼女の愛があまりにひたむきだったから、百回目の告白で、僕たちは結婚した。
だが、彼女の愛は長くは続かなかった。
聖也が初めて一時帰国したあの日までしか。
それは僕と麗華の、結婚一周年記念日のことだった。
僕は麗華が手ずから用意してくれたキャンドルディナーの中で、幸せに浸りながら彼女の帰りを待っていた。
けれど、待っていたのは一枚の不動産譲渡契約書と、一言の謝罪だけ。
「ごめんね悠真、記念日をすっぽかしちゃって。許してくれるわよね?」
僕は彼女から漂う強烈な、知らない男の香水の匂いを無視して、掠れた声で最初の過ちを許した。
公平であるために、僕は決めたのだ。結婚したら、九十九回までは許そうと。
それから二回目、三回目、四回目……と続いた。
結婚して五年。彼女は何度も僕を置き去りにして、想い人のもとへ通った。
いつしか彼女は、彼に会いに行く前に、自ら僕に家を譲渡するようになった。
一軒目から、九十九軒目まで。
その度に、僕は彼女を許してきた。
そして今、ちょうど百回目を迎えた。
麗華。この一回が終われば、もう君を許す必要はないんだ。
そう思うと、憑き物が落ちたように笑みがこぼれ、僕は穏やかに彼女を見つめた。
麗華は少し呆気にとられ、気まずそうに目を逸らした。
彼女の瞳に、ふと罪悪感のようなものが過ったのが見えた。
そして、少し躊躇いながら僕に言った。
「帰ってきたら、あなたを連れて花火を見に行くわ」
以前なら、彼女が少しでも情を見せれば、僕はそれを愛の残り火だと勘違いして縋っていただろう。
泣いて頼み込み、そして絶望する。
麗華はいつも、僕の手を一本一本引き剥がし、冷たくこう言い捨ててきたからだ。
「狂ってるわね」
幸いなことに、僕はもう九十九回も狂った。
そして今、百回目が満ちた。
自分を騙すような真似は、もうしなくていい。
なぜなら、先ほど彼女に渡した契約書の束の中に。
こっそりと離婚届を紛れ込ませておいたからだ。
麗華。
あと三十日もすれば、僕たちはもう赤の他人だ。
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