彼を選んだ日、兄と幼馴染が泣いた第1話
この話は約1812字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。
兄を菅原(すがわら)さん、幼なじみを藤木(ふじき)さんと呼ぶようになった。
二人は眉を寄せて、「どうしてそんなによそよそしくするんだ」と聞いてくる。
私は静かに笑った。
「だって、あなたたちは『友紀の兄』と『友紀の幼なじみ』でいたいんでしょう?」
その一言に、二人は不機嫌そうに私を責めた。
「友紀ちゃんはお前の代わりに植物状態の男と結婚して、一生を棒に振ったんだぞ。あの子に優しくするのは、お前が借りがあるからだろう!」
でも、彼らは知らなかった。
今度、植物状態の男と結婚するのは――菅原友紀(すがわら ゆき)ではない。
この私、菅原明菜(すがわら あきな)なのだ。
* * *
兄と幼なじみがまた、友紀が私の代わりに嫁ぐのは惜しいとそれとなく口にしたとき、私はもう最初のうちのように驚きも悲しみもしなかった。
私がうつむいて黙り込むと、兄はしばらくしてから気まずそうに笑った。
「明菜ちゃん、木南はたとえ植物状態になっても、いつかは目を覚ますかもしれない。そのとき彼と結婚している人こそ、海市でいちばん幸せな女になるんだよ」
心の中で私は冷たく笑った。
――植物状態の人と結婚するのがそんなに幸せなら、どうして菅原友紀(すがわら ゆき)を手放したくないの?
私は何も言わなかった。二人は私がまだ首を縦に振らないのだと思い、表情をどんどん険しくしていった。
けれど彼らは間違っていた。私はもう、嫁ぐと決めていた。
礼儀として翌日、私は木南家を訪ねた。
木南家の人たちはその知らせを聞くと、飛び上がらんばかりに喜んだ。
優弥の母は私の手を握り、涙を拭いながら言った。
「みんな、優弥がこんな状態になって、菅原家はきっと婚約を破棄するだろうって言ってたのよ。でも、私は信じてたの。菅原家の人は約束を裏切らないって」
そう言って、彼女は私を奥の部屋へ案内した。ベッドの上で、木南優弥(きなみ ゆうや)は静かに眠っていた。
血の気を失った顔、閉じられた瞳。生命の気配は感じられない。
それでも、彼の身に漂う気高さは失われていなかった。私は思わず息を呑んだ。
私と優弥の婚約は祖父の代から決められていた。
六年前――天才と呼ばれた木南家の長男は、交通事故で植物状態になった。
兄と幼なじみは私を不憫に思い、婚約を解消したいと願った。けれど、「菅原家は情が薄い」と世間から言われるのを恐れ、彼らはひとりの孤児を引き取った。そして二十歳になったら、私の代わりに嫁がせるつもりだった。
その孤児――友紀が菅原家に来てからというもの、二人は次第に彼女に抱いてはいけない感情を抱くようになった。替え玉扱いへの罪悪感もあって、彼女を過剰なまでに甘やかした。
毎月、信じられないほどの小遣いを与え、数え切れないほどのバッグやアクセサリーを買い与え、彼女の望みをすべて叶えようとした。
そして私は、何度も譲らざるを得なかった。
友紀が「お姉ちゃんの部屋、日当たりが良くて好き」と言えば、私は譲った。
「そのアクセサリーとバッグ、素敵ね」と言えば、それも譲った。
「私、凝固機能が悪いの。血液型が合うのはお姉ちゃんだけよ」と言われれば、私は血を差し出した。
――たった六年で、彼女は皆の愛情を独り占めにした。
兄も幼なじみも友紀に惹かれ、表でも裏でも「自分で婚約を果たすべきだ」と私に言うようになった。
けれど、あのとき友紀を引き取って代わりに嫁がせると決めたのは、ほかでもない彼ら自身だった。
木南家から戻ったあと、私はリビングに掛けられたカレンダーを見上げ、予定の日に印をつけた。
そして、心の中で日を数えていると――
兄の菅原誠(すがわら まこと)と幼なじみの藤木輝(ふじき ひかる)が、ほとんど同時に部屋へ飛び込んできた。
次の瞬間、二人はためらいもなく、左右から私の頬を打った。
耳の奥がキーンと鳴り、口の中には鉄の味が広がった。
力いっぱいの平手打ちだった。瞬く間に、私は意識が遠のきかけた。
それでも二人は何の説明もせず、スマホを取り出してビデオ通話を始めた。
「友紀ちゃん、見て。明菜ちゃんをビンタしたよ。ミッション、クリア!」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられ、息ができなくなった。
まさか、訳もわからず受けた二発のビンタが――
彼らと友紀が遊んでいたゲームの一環だったなんて。
画面の向こうから、友紀の甘ったるい笑い声が聞こえてきた。
「お兄ちゃん、輝、ミッション達成ね!約束どおり、今日はちゃんとご飯食べるわ~!」
縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)