尽くす妻、卒業!二度目の人生は夢を掴む第3話
この話は約2145字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
すると、役所の人は何度も確認をしようと菖蒲に尋ねたが、彼女の意志が硬いのを見て、やっと離婚届を渡してくれた。
「ご夫婦お二人のサインがあれば、手続きを進められます」
そう言われ、菖蒲は離婚届を大事にしまい、家にもどった。
家に帰った時、充と大輔はまだ帰ってきていなかったから、菖蒲はキッチンに立つと、自分ひとりぶんの晩ごはんを作って、さっさと食べはじめた。
彼女が食べ終えてお皿を洗っていると、ようやく二人が帰ってきた。
充は、がらんとしたテーブルを見て、思わずたずねた。
「俺たちの晩ごはんを作ってないのか?」
菖蒲は、大輔のぽっこりしたおなかをちらっと見て、静かに答えた。
「あなたたちは、陣内先生の家でもう食べてきたんでしょ?」
大輔と充はもともとひどい偏食で、外でご飯を食べる時は、いつも食が進まないのだ。
だから菖蒲は、長い時間をかけて色々と試作して、ようやく二人が好きな味を見つけ出すことができたのだった。
それもあって、彼らがどんなに遅く帰ってきても、菖蒲は必ず三人ぶんの食事を用意して待っていた。
でもどうやら、蛍の家ではその偏食もなくなったみたい。
まあ、そうよね。二人にとって心から大切な人が作ったごはんなんだから、食欲だってわくに決まってる。
菖蒲の言葉を聞いて、充は気まずそうに顔をこわばらせ、ひとつ咳払いをして言い訳した。
「彼女に誘われたんだ。断れなかった」
そのとき、大輔がぽんぽんのおなかを叩きながら、小さな声でつぶやいた。
「蛍おばちゃんのごはん、すっごくおいしいんだ。毎日食べたいなあ」
それを聞いて、菖蒲は手をピタッと止め、酷い疲労感に襲われるのを感じた。
彼女は急いでキッチンを片付けると、シャワーもそこそこにベッドに横になった。
うとうとと眠りにおちかけたとき、大きな腕に引きよせられ、あたたかい胸に抱きしめられた。
「ちょっと、相談したいことがあるんだ」
充の低い声に、菖蒲は一瞬で目が覚めた。
だが、彼女が口を開くより先に、充は自分の話をつづけた。
「来月から、海上基地に赴任することになった。家族の同行枠がひとつだけあるんだが、蛍を連れていきたい。
大輔はまだ小さいから枠を気にしなくていいから、彼も一緒に連れて行く。お前はとりあえず家で俺の両親の面倒をみていてくれ。向こうでの生活が落ち着いたら、またすぐに迎えに来るから」
それを聞いて、菖蒲の胸につんとした痛みが走った。彼女は思わず、手のひらに爪が食いこむほどぎゅっと手を握りしめた。
これは相談というよりむしろ、有無を言わさない命令なのだろう。
前世でも、充はまったく同じことを言った。
最初は、どうして家族の枠を蛍にあげるのか、まったくわからなかった。彼の妻は、まぎれもなく自分なのに。
あとになって充が言うには、赴任先は医師のいない離島らしい。隊員たちのためを思って、医師である蛍を連れて行こうと思ったそうだ。
あの時、菖蒲はさんざん悩んだすえ、その事実を受け入れた。ただひとつだけ、大輔だけは連れて行かないで欲しいとお願いした。
島の暮らしは厳しいし、充は仕事で忙しくなるはず。ちゃんと大輔の面倒を見れるか心配だったから。
充は、彼女がどうしても譲らないので仕方なく折れた。そして出発する前、必ず彼女親子を迎えにもどると約束したのだ。
でも、その約束が果たされることは、一生なかった。
そして、その結果、菖蒲は息子の大輔に父親と引き離したと責められたり、彼女さえいなければ蛍と父親は一緒にいられたのにと疎まれるはめになった。
今になってよく考えてみれば、島に医師が足りないなら、正式に申請すれば済む話だ。どうして充が、わざわざ家族の枠を使ってまで蛍を連れていく必要があったのだろう?
理由はひとつ。彼が蛍と離れたくなかっただけだ。大輔も連れていこうとしたのは、三人で幸せな生活を送るつもりだったのだろう。
前世で、そんな簡単なことにも気づけなかった自分が、本当にばかばかしくて笑えてくる。
胸に大きな石がつっかえたみたいに、息が苦しい。
菖蒲は充の腕から抜けだすと、そっと距離をとって、低い声で答えた。
「わかった」
それを聞いて、充は少しおどろいた。菖蒲がこんなにあっさりとうなずくなんて思ってもみなかったからだ。彼はどこか複雑な表情で彼女を見つめ、珍しくやさしい声で付け加えた。
「心配しないで。必ず迎えに来るから。そしたら、島で家族三人一緒に暮らそう」
だが、菖蒲はその言葉を聞こえないふりをして、目を閉じた。
次の日の朝。菖蒲が目を覚ますと、充はもう書斎で仕事をしていた。
彼女は朝ごはんを食べ終えると、離婚届を取り出した。
そこに書かれた大きな文字をながめていると、なんだか少し現実味がないように感じた。
そのとき、大輔が椅子からぴょんと飛び降りてそばにやってきた。そして、書類をのぞきこんで、たどたどしく文字を読みながらたずねた。
「離、婚……ママ、離婚ってどういう意味?」
それを聞かれて、菖蒲は離婚届を持つ手に思わず力をこめた。そして、少し黙り込んだあと、それでもちゃんと答えてあげようと思った。
「離婚っていうのはね、ふたりが別々に暮らすってことよ」
それを聞いて、大輔はぱっと目を輝かせると、待ちきれないといった様子で口を開いた。
「じゃあ、早くパパと離婚してよ!」
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