少女のまま、風に攫われて第2話
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母は部屋を出ようとして、うっかりベッドの脚をけっちゃった。
そのせいでやっと、彼女はベッドの私に目をやった。そして、いらいらしながら眉をひそめて言う。「まだ寝てるの?もうおひるよ。さっさと起きて朝ごはんを作って。私と腹の子を飢えさせるつもり?」
私は母の前に浮かんで、話しかけてみる。でも、彼女には聞こえない。部屋を出ていき、子守唄を口ずさんでいた。
リビングから、父が卵をかき混ぜる音と、母の念押しの声が聞こえてきた。「砂糖をたっぷり入れてあげて。竜之介は昔から甘いのが好きだったでしょ」
私はキッチンの入り口まで浮かんでいった。父がホットケーキをお皿に盛りつけているのが見えた。ハートの形をしてる。
昔は私も、こういうホットケーキが大好きだった。でも竜之介がいなくなってから、父は丸い形しか作らなくなったんだ。ハート形が好きな人はもういないからって言ってた。
母はお皿を受け取ると、なにか宝物でもお供えするみたいに、そっとテーブルの真ん中に置いた。
「絢香を起こしてご飯を食べさせて」母は父に言った。その声には、いらいらがにじみ出ていた。「彼女のせいで、ゆりかごを買いに行くのに遅れたくないの」
父は手に持っていた牛乳を置いて、私の部屋に向かった。
私は父の後ろについていった。彼はベッドのそばに立って、手を伸ばしかけては、ためらって。そして最後は、そっと布団の上に手を置いた。
「絢香、起きる時間だぞ」父の声は優しかった。「今日はみんなでゆりかごを買いに行くんだ。一緒に行かないか?」
ベッドの私は、ぴくりともしない。父の指がかすかに震えて、もう一度私の肩をゆすった。「絢香?」
リビングから母の声がした。「何をもたもたしてるの?絢香、また寝たふりしてるんじゃない?」
彼女は大股で部屋に入ってきて、ベッドのそばで固まっている父を見て、すぐにカッとなった。「やっぱり寝たふりよ!私たちが龍之介にゆりかごを買ってあげるのが、いやなんでしょ!絢香は放っておくよ。ゆりかごを買いに行くのよ。龍之介が待ってるんだから」
でも父は動かなかった。ベッドに横たわる私を見ながら、声を震わせて言った。「絢香も俺たちの子供だ」
「違うわ!」母は叫んだ。「私の子供は竜之介だけ!絢香は竜之介を殺した人殺しよ!」
母は机の上の写真立てを掴むと、床に叩きつけた。ガラスの破片が、父の手を切りつけた。
父は何も言わなかった。ただ黙って破片を拾い集めて、ティッシュで傷口をおさえた。
リビングの電話が鳴った。学校の先生・山本杏奈(やまもと あんな)からだった。
母が電話に出ると、声がとたんに優しくなった。「もしもし、先生。竜之介のことで……あ、いえ、絢香の件でしょうか?」
山本先生が私が学校を休んでいる理由を尋ねるのを聞くと、母の声はまた冷たくなった。「わざとサボっているだけです。先生、あの子のことは放っておいてください。どうなっても構いませんから」
電話を切ると、母は父の腕を引っぱって外へ向かった。「行こう。絢香のせいで、龍之介のゆりかごを買いに行くのが遅れちゃうわ」
父は私の部屋を一度振り返った。少しだけ足を止めたけど、結局、母に引っぱられていってしまった。
ドアが閉まる瞬間、彼が目をぬぐうのが見えた。
部屋の中はしんとしていて、壁の時計が時を刻む音だけが響いている。
私はベッドのそばまで浮かんでいって、そこに寝ている自分を見下ろした。
顔はまだ丸い感じだけど、げっそりとこけてしまっている。顎なんて、刺さりそうなくらいに尖っていた。
髪もずいぶん伸びて、目が隠れてしまっている。母に言われていたみたいな、短い髪型じゃなかった。
この前髪を切ったときのことを思い出した。美容師が間違って少し切りすぎちゃったとき、母は大騒ぎしたんだ。「これじゃあ竜之介と全然ちがう!」って言って。
家に帰ってから、母は私を2時間も正座させた。そして、竜之介と同じ髪型にする資格なんてない、って言ったんだ。
あのとき、床に正座しながら竜之介の写真を見ていたら、なんだか急に、彼が知らない人みたいに思えた。
……
午後になって、父と母が帰ってきた。二人の腕には、青いゆりかごが大事そうに抱えられていた。ゆりかごには、可愛らしい熊の模様がプリントされている。
母はすごくうれしそうで、ニコニコが止まらない。ゆりかごをリビングの真ん中に置きながら、父に言った。「竜之介はきっとこれが気に入るわ。昔からクマのぬいぐるみを抱いて寝るのが好きだったもの」
父がちらっと私の部屋を見て、小声で言った。「絢香の様子、見てこようか?」
母はすぐに不機嫌な顔になった。「あの子の様子なんて見てどうするの?お腹がすけば、自分から出てくるでしょ」
彼女はゆりかごのそばに座って、そっと揺らしている。子守唄を口ずさみながら、その目はとろけそうなくらいに優しかった。
私もそっと近づいて、その青いゆりかごを見つめた。
とても小さくて、すごくきれい。竜之介が好きそうなゆりかごだ。
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