小説の世界に転生し、夫に見捨てられた端役の私第1話
この話は約2060字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。
この小説の世界に転生したとき、物語はもうすぐ終幕を迎えようとしていた。
石井蒼夜(いしい そうや)は二番手の男だった。
ヒロインとヒーローがビジネス界の頂点に立ち、彼だけが海外へ姿を消した。
私は作中で白血病の末期を迎えた、目立たない端役にすぎなかった。
なのに、そんな存在感すらなかった私が、蒼夜の妻になった。
ずっとわかっていた。
彼が愛しているのはヒロインだということ。
そして、私の命がいつか尽きるということ。
それでも結婚から三年、彼は細やかに私を気遣ってくれ、大金を投じて治療費を出してくれた。
本当に愛してくれているのかも、と思いかけた矢先、ヒロインが交通事故に遭った。
蒼夜はチャーター機で国内の病院へ駆けつけた。
あの日が私の最期の日だとも知らずに。
* * *
この小説の世界に転生したとき、物語はもうすぐ終幕を迎えようとしていた。
石井蒼夜(いしい そうや)は二番手の男だった。
ヒロインとヒーローがビジネス界の頂点に立ち、彼だけが海外へ姿を消した。
私・脇田ここみ(わきた ここみ)は作中で白血病の末期を迎えた、目立たない端役にすぎなかった。
なのに、そんな存在感すらなかった私が、蒼夜の妻になった。
ずっとわかっていた。
彼が愛しているのはヒロインだということ。
そして、私の命がいつか尽きるということ。
それでも結婚から三年、彼は細やかに私を気遣ってくれ、大金を投じて治療費を出してくれた。
本当に愛してくれているのかも、と思いかけた矢先、ヒロインが交通事故に遭った。
蒼夜はチャーター機で国内の病院へ駆けつけた。
あの日が私の最期の日だとも知らずに。
……
濃厚な血の匂いが病室に満ちる。
吐き出したばかりの血が床に広がっている。
その血溜まりを見下ろし、私は惨めに笑った。
「……やっぱり、この時が来た」
これまでずっと私のそばにいて、細やかに気遣ってくれた男の姿は、今はどこにもなかった。
看護師が震える手で何度も彼に電話をかけていた。最初は留守電だったが、やがて着信拒否に変わった。
「そんな……!ご主人はここみさんを何より大切にされていたのに、どうして一人で置き去りになんて……」
十七回目の電話の後、私の元に届いたのは一通のメッセージだった。
【柚羽が事故に遭った。今は彼女のそばにいなければならない。大人しくしてくれ。病人にやきもちを焼くなんてことはしないでくれ】
看護師は彼が戻ると思い込み、喜んで薬を取りに外へ出ようとした。
「ほら、やっぱりご主人はここみさんを大事にしていますよ。見捨てたりしませんって!」
彼女がそう言えば言うほど、そのメッセージは深く刺さった。
「彼は戻らないよ」
私は平静を装い、携帯を差し出して画面を彼女に見せた。
彼女は一瞬固まり、声を張り上げた。
「そんな……でも、今日はここみさんの……」
はっと口を閉ざし、私から目をそらした。
今日は私の生死を分ける正念場の日だ。この症状の波を乗り切ることができれば、まだ少しだけ命を延ばせるかもしれない。
だが、今の様子では、明らかに命の灯が消えかけている。
私は手を振って彼女に部屋を出て行くよう促す。看護師は慌てて外へ駆け出した。
「すぐに先生を呼びますからね!絶対に持ちこたえてください」
言い終えるなり、彼女の頬を涙が伝った。
世界トップクラスの専門家たちは、今ごろ蒼夜と一緒に小林柚羽(こばやし ゆずは)のところへ向かったのだろう。
痛みで体が思わず縮こまる。額からは汗が次々とこぼれ落ちる。
でも、体の痛みなんて、心の痛みに比べればどうってことない。
なるほど。二番手の男がヒロインを愛する証拠とは、端役の私を捨てて彼女のもとへ駆けつけることだったのか。
初めて彼に会った日のこと、今でもはっきり覚えている。
瞳がきらきらと輝いていて、私の手をそっと握りしめ、優しく微笑んだ。
「安心していい。君を俺の妻にしたからには、一生守り抜く」
私は彼を欺きたくなかった。ありのままを伝えた。
私は白血病で、いつ死んでもおかしくないと。
それでも彼は怯まず、私を抱きしめてそっと言った。
「俺がいる限り、死神だってここみを渡したりしない」
彼はその約束を果たした。この数年、私の治療に注ぎ込んだ金額は天文学的な数字にのぼる。
最初は、まだ他人事のように彼らの愛憎劇を傍観していた。
けれど、日を追うごとに、私の心はどうしようもなく揺れていった。
彼が巨額の契約のサインを後回しにしてまで、私に薬を飲ませるため戻ってきてくれたあの日、私はとうとう嗚咽しながら尋ねてしまった。
「蒼夜……ずっと私のそばにいてくれる?」
彼はホットココアに息を吹きかけて冷まし、ちょうどいい温度にして私の口元へ運んだ。
そして真剣な眼差しで、こう約束した。
「ああ、ずっと一緒だ。ふたりの命が尽きるその日まで」
私は彼の胸にすがりついて泣いた。
その瞬間、本当に彼は私を愛しているのだと、このまま添い遂げるのだと信じていた。
なのに、ヒロインからの一本の電話で、彼はあっさりと私のもとを去った。
ぽつんと病室に取り残された私は、ふと笑みをこぼした。
「蒼夜、私を騙したんだね」
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