寝室に鍵をかけた日から第3話
この話は約1620字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
誠司は結局、逃げた。
家には戻れず、行き場を失った末、出張だと嘘をついて会社に身を潜めた。
一ノ瀬グループ本社、最上階の社長室。
誠司は金に糸目をつけず、日当百万円でボディガードを四人雇った。
全員、表の世界から姿を消した格闘家だった。二メートル近い体躯に、無駄のない筋肉が詰まっている。
四人の巨体に囲まれ、誠司はようやく、かすかに息を整えた。
椅子にふんぞり返り、腕の中には瑠華。手には赤ワイン。
「あのイカれた女……ほとぼりが冷めたら、必ず殺してやる!」
歯ぎしりしながら吐き捨て、遠慮もなく瑠華の身体に手を這わせた。
瑠華は甘えた声で、ぶどうを口元へ運ぶ。
「誠司さん、あの人……もう女として終わってません?いっそ、人に頼んで――」
言い切る前に。社長室の重厚な木の扉が、静かに押し開けられた。
ピンクの保温ジャーを提げ、シンプルなスポーツウェアに、高いポニーテールのまま。
私は、そのまま中へ入っていく。
「あなた、残業だって聞いたから。スープを持ってきたの」
誠司の手が震え、赤ワインが瑠華の服にぶちまけられた。
「やめろ! 外へ放り出せ!早く!」
私を指さして金切り声を上げ、声が裏返る。
四人は顔を見合わせ、獰猛な笑みを浮かべて詰め寄ってきた。
――あいつらの目には、私は指先で始末できる存在にしか映っていない。
「奥さま。どうぞ。こちらも、手荒な真似はしたくありません」
先頭の男が、私の肩を掴もうと手を伸ばす。
私は、保温ジャーを床に置いた。
首を軽く回す。
コキッ、と乾いた音。
視線が一気に冷え、殺気が弾ける。
その大きな手が、私に触れる寸前。
身をかわし、手首を取る。勢いを借り、回り込み、そのまま――背負い投げ。
流れるような動きで、残像しか残らない。
ドン!
百キロ級の大男が、抵抗もできないままローテーブルへ叩きつけられた。
テーブルは無残に砕け、破片が床に飛び散る。
残りの三人が、凍りついた。
反応する暇もない。
私は、もう踏み込んでいた。
横蹴り。二人目の喉を、正確に捉えた。
至近距離。力は一点にだけ通す。
男は喉を押さえ、声も出せないまま真っ直ぐ崩れ落ちた。空気を吸えず、数秒でもがいて、そのまま意識を失う。
三人目が拳を振り抜いてくる。
私は身を低くしてかわし、そのまま相手の足の甲を踏み抜いた。
――バキッ。
骨がひび割れる音が、はっきりと響く。
間を置かず、肘。
肘打ちがこめかみに突き刺さり、男は一瞬で崩れ落ちた。
KO。
最後の一人は、床に倒れた三人を見て、脚が言うことをきかなくなった。
唾を飲み込み、両手を上げて後ずさる。
「……お、俺……辞めます……」
ここまで、かかった時間は一分もない。
誠司が頼り切っていた四人は、全員動かなくなっていた。
私は床に転がる男たちを跨ぎ、執務机へ向かって、ゆっくりと歩く。
瑠華はとっくに腰が抜け、ソファの隅で、甲高い声を上げ続けていた。
誠司は椅子に縮こまり、顔色はすっかり青ざめていた。股間から、じわりと濃い染みが広がった。
鼻を刺す尿の臭いが、室内に満ちた。
私は机の前に立ち、保温ジャーの蓋を開ける。
湯気の立つスープから食欲をそそるいい香りが漂っている。
「あなた。熱いうちに、どうぞ」
スプーンを取り、彼の口元へ差し出す。
誠司は歯をがちがち鳴らし、私を――理解できないものを見るような目で見上げた。
「さ……紗弥……金ならある……全部やる……だから……殺さないでくれ……」
私は笑った。眩しいほどに。
「何を言ってるの。人を殺したら犯罪でしょう。
私はただ、妻としての務めを果たしに来ただけ」
スプーンを、無理やり口の中へ押し込む。
「おいしい?」
熱いスープが喉を流れ落ち、誠司の顔が大きく歪んだ。
涙と鼻水が一気に溢れ出る。
吐き出す勇気すらなく、ただ、無理やり飲み込むしかない。
「どうしたの?泣いて……感動した?」
私はティッシュを取り、口元に残ったスープを、そっと拭った。壊れものに触れるような手つきで。
けれど誠司は、身動きひとつできず、呼吸さえ、止めていた。
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