嫌われた娘は、もう家には帰らない第1話
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両親が離婚したとき、私・野上真季(のがみ まき)は父と、妹は母と1年ずつ交代で暮らすことになった。
けれど毎年、4月の新学期を前にした引き渡しの時期になると、2人は決まって妹のことで言い争った。
「有希(ゆき)ちゃん、ゴールデンウイークはお母さんと旅行に行かない?」
父が眉をひそめる。
「今年は有希ちゃんを俺が引き取る番だ。口を挟むな」
母は冷ややかに笑った。
「去年、出張であの子をあなたに預けたのは、全部で17日よ。私はその分を取り戻すの」
「きっちり17日じゃない。16日と8時間だ」
妹は困ったようにため息をついた。
「はぁ……自分を二つに分けられたらいいのになぁ」
2人はさんざん言い争った末、結局はお互いに一歩ずつ譲ることになった。
ゴールデンウイークには、2人そろって妹を連れて浜島へ旅行に行くことになった。
妹は不思議そうに尋ねた。「じゃあ、お姉ちゃんは?」
父は顔を背けた。
「どうせ今年、お姉ちゃんを引き取るのは俺じゃない」
家に入ってから一度も私の顔をまともに見ようとしなかった母が、ようやく私に目を向けた。
「今年は仕事が忙しくて、あなたの面倒を見る余裕がないの。おばあちゃんとおじいちゃんのところで暮らしなさい」
* * *
テーブルの下で、私は指先で手のひらを血がにじむほど強く掻きむしった。
ついさっきまで、妹と過ごす17日間を取り戻そうとであれほど父と争っていたくせに。
その舌の根も乾かぬうちに、もっともらしい理由をつけて私を置き去りにする。
そのとき、担任の先生からメッセージが届いた。
【模擬試験の結果はどちらも良かったですよ。南森市立大学なら近いですし、進学先として重点的に考えてもいいと思います】
私は返信した。
【先生、私は月川市のほうにします】
1000キロも離れていれば、見捨てられ続けたこれまでの人生を、遠くへ置き去りにできるだろうか。
……
先生から続けてメッセージが来た。
【ご両親とはもう相談しましたか?】
私は目を伏せたまま文字を打った。
【していません。でも、私はもう18歳です。自分の選択には自分で責任を取れます】
私がうつむいたままスマホをいじって何も話さないのを見て、妹が首をかしげた。
「お姉ちゃん、そんなにおばあちゃんとおじいちゃんのところに行きたくないの?」
そう。私は本当は行きたくない。
朝はまだ暗いうちから家族全員の朝食を作らされ、夜は補習から帰ってきたあと、2人のいとこの服まで洗わされる。
あの生活には、もう二度と戻りたくなかった。
母が眉をひそめた。
「真季ちゃん、大人の事情を少しは分かってくれない?
今年は人事異動があって、私にとって昇進のかかった大事な時期なの。あなたを連れて行って、もし面倒を見きれなかったら、また不機嫌になって私に当たり散らすでしょう」
父も同意するように口を挟んだ。
「そうだぞ。真季ちゃんは気が強いからな。去年だって、俺があの子の保護者会に行かなかっただけで、1週間も俺にそっけない態度を取ったんだ。
知らない人なら、俺たちが父娘だなんて思わないだろう」
母は失望したように、首を横に振った。
「妹は高校1年生になったばかりでしょう。お父さんが妹の学校生活への適応具合を把握するために、妹の保護者会に行ったのよ。どうしてそんなことも分からないの?」
私は爪で傷だらけになったスマホケースから手を離し、顔を上げて2人を見た。
「高校1年がそんなに大事なの?だったら、私が高校1年生だったときの保護者会には、どうして誰も来なかったの?」
母の目が一瞬泳いだ。けれどすぐに、また強気な口調に戻った。
「あのときは妹が中学3年生だったでしょう。私たちが妹の保護者会を優先するのは当然じゃない」
父も頷いた。
「お前は本当に……一言注意しただけで、昔のことまで持ち出すんだな。中学3年生と高校1年生なら、当然中学3年生のほうが大事だろう」
もう何も食べる気がしなくなり、私は箸を乱暴に置いた。
「妹の中学3年生の保護者会と、私の保護者会は、そもそも同じ日に開かれてない。
無理に理由を探さなくていいよ。2人とも、ただ私のことを気にかけてなかった。それだけでしょ」
母は気まずそうに、しばらく何も言わなかった。
父は慌てて責任を逃れるように言った。「その年は俺がお前を引き取ってたわけじゃない。俺が行かなかったことまで俺のせいにするなよ」
妹が箸で茶碗を軽く叩いた。
「もういいよ、お姉ちゃん。
私たち家族が、夏休み以外でちゃんと一緒にご飯を食べられるのなんて、学校が始まるときくらいじゃん。なんでわざわざそんな昔のことを持ち出すの?
もしかしたらお母さん、仕事が忙しくて一時的に忘れちゃっただけかもしれないし。
たかが保護者会1回でしょ。そんなに根に持たなくてもいいじゃん」
たかが保護者会?
違う。
10年間、10回の保護者会だ。
両親がまだ離婚していなかった頃から、私の保護者会の席には、時折誰も座っていなかった。
去年、奨学金の申請書を担当していた学級委員が、以前こっそり私に尋ねてきた。
「野上さん、ちょっと失礼かもしれないけど、確認しておきたくて。
家のことで何か困ってることある?奨学金、申請したほうがいい?」
私は意味が分からなかった。
彼女は少し気まずそうに声を落とした。「中学の同級生から聞いたんだけど、野上さんの家にはあまり家族がいないんじゃないかって。だから、奨学金が必要なのかなと思って聞いてみたの」
家にあまり家族がいない。その言葉が意味するのは、つまり孤児だ。
血が頭のてっぺんまで一気に上った。
侮辱されたことへの怒りなんて、湧いてこなかった。胸に広がったのは、ただただ悲しさだった。
あれほど長い間。
保護者会でも、新入生の入学式でも、私の両親を見たことのある同級生は誰一人いなかった。
だから、噂好きな人たちが勝手な想像をするようになったのだ。
学級委員は普段から面倒見がよく、悪気がないことは分かっていた。
私は無理やり笑顔を作って答えた。「私、孤児じゃないから。奨学金は必要ないよ。気にかけてくれてありがとう」
だから去年、私は父に何度も念を押した。保護者会には絶対に来てほしい、と。
父は口では約束してくれた。
けれど学校に着くと、父は途中で方向を変え、高校1年生の校舎へ向かった。
私は窓辺に立っていた。遠くに父の姿を見つけた瞬間は、嬉しかった。
けれど、父の歩いていく先を目で追ううちに、その喜びは少しずつ失望へと変わっていった。
両親が離婚後の家族関係を波立たせないために、私は10年間、2人が私の保護者会に来ないことを我慢してきた。
その果てに私に貼られたのは、「気が強い」「些細なことをいつまでも根に持つ」というレッテルだった。
もっと早く、我慢なんてやめればよかった。
涙がスマホの画面に落ち、「月川大学」という文字を滲ませた。
私は込み上げてくる嗚咽を飲み込み、笑った。
大丈夫。もう、我慢しなくていい。
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