婚約者は僕の部屋も功績も第1話 鍵のない帰宅
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半年を費やした海辺のホテル再生プロジェクトが、ようやく完成した。
その功績を評価され、みなとみらいにある家具付きの社有レジデンスを、二年間使えることになった。部屋をもらったわけではない。会社が僕個人に認めた、期間限定の入居権だ。
入居手続きを済ませた夜、最初の荷物を運びに行くと、発行済みの電子キーがなぜかエントランスで反応しなかった。
受付で確認していると、見覚えのある男がエレベーターから降りてきた。
婚約者・黒川玲奈の後輩、瀬川悠斗。首から僕の部屋番号が記された入館カードを下げ、撮影スタッフに笑顔を向けている。
「相馬さん、来ていたんですね」
驚いた声とは裏腹に、彼は新品のスリッパが入った紙袋を抱えていた。
開いたままの玄関の奥では、玲奈がカメラマンに指示を出している。
僕に割り当てられたはずの部屋は、『新しい働き方』を紹介する社内PR動画の撮影場所に変わっていた。
「朔には今の部屋があるでしょう。ここは悠斗の活動拠点にしたほうが、会社の宣伝にもなるの」
「会社が僕に認めた入居権は、どうするつもりだ?」
「利用者を悠斗に変更する申請を出すわ」と玲奈は平然と答えた。「婚約者なんだから、それくらい協力して」
笑っている玲奈の後ろで、僕の名前が貼られた箱が台車に積まれていく。
言い返す代わりに、無効になったカードキーと、運び出されていく私物をスマートフォンで撮影した。
その場で会社の内部通報窓口を開き、保存した画像を添付する。
送信ボタンを押すと、画面に受付番号が表示された。
もう、婚約者同士の話し合いで済ませるつもりはなかった。
* * *
受付から臨時の入館証を借り、二十二階へ上がった。
廊下には照明機材と段ボールが並び、部屋の中から明るい笑い声が聞こえてくる。
「もう少し窓際へ。瀬川さん、新居で仕事を始める感じでお願いします」
カメラマンの声に合わせ、悠斗がノートパソコンを開いた。
画面に映っているのは、僕が作成したホテル中庭の完成予想図だった。
「そのデータ、どこから出した?」
声をかけると、悠斗の指が止まる。
「玲奈さんからいただきました。今日の撮影だけ使っていいって」
玲奈は悪びれもせず、撮影スタッフを先に休憩へ出した。
「広報用なんだから問題ないでしょう。悠斗には次の案件にも入ってもらう予定よ」
「業務委託契約は?」
「手続き中。細かいことばかり言っていたら、タイミングを逃すわ」
窓際に置くはずだった模型も、現場写真をまとめたファイルも見当たらない。
尋ねると、玲奈は玄関脇の納品書を指で押さえた。
「あなたの荷物は地下のトランクルームへ移した。撮影の邪魔だったから」
納品書には、搬出依頼者として玲奈の署名がある。
僕の承諾欄は空白だった。
「鍵まで無効にする必要があった?」
「撮影中に出入りされたら困るもの。悠斗が落ち着くまで、このままでいいでしょう」
「ここに住ませるつもりか」
一瞬だけ沈黙が落ちた。
その間に、悠斗が申し訳なさそうな顔を作る。
「僕も一度は断ったんです。でも、今の僕には仕事場も部屋もなくて……」
そう言いながら、彼のキャリーケースは寝室に置かれていた。洗面台には歯ブラシまで並んでいる。
今日だけの撮影ではない。
玲奈は最初から、僕に与えられた部屋も、僕の仕事も、まとめて彼へ差し出すつもりだったのだ。
管理会社の担当者に、入館記録とカードキー停止の依頼票を見せてもらった。
依頼者は黒川玲奈。『入居者本人了承済み』の欄には、勝手にチェックが入っている。
本社の承認番号は空欄だった。
必要な箇所だけ撮影し、地下のトランクルームへ向かった。
扉を開けると、設計資料も模型も、梱包されないまま押し込まれている。模型の樹木が一本、根元から折れていた。
折れた模型を見た瞬間、腹の底に冷たい怒りが沈んでいった。
ここで怒鳴れば、玲奈はすぐに「感情的な喧嘩」へすり替える。
だから僕は、壊された状態の模型を撮り、依頼票とともに追加の証拠として送信した。
レジデンスを出たところで、見覚えのないアドレスからメールが届く。
【桐生リゾートグループ・コンプライアンス室です。申告を正式に受理しました】
続く文章には、関係者へ知らせず、データを削除しないよう記されていた。
最後の一行を読み、足を止める。
【本件は社有資産だけでなく、成果物の不正利用を含む可能性があります】
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