婚約者が逃げたので、別の男に嫁いだ第1話
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桐生慧(きりゅう けい)の幼なじみ、相沢莉子(あいざわ りこ)が、結婚式の途中で花嫁が逃げ出す「駆け落ちごっこ」をしてみたいと言い出した。
式が半ばまで進んだところで、慧は花嫁姿の私――一条美咲(いちじょう みさき)を振り返った。
「莉子の駆け落ちごっこに付き合ってくる。五分で戻るよ。あいつが遊び好きなのは、美咲も知ってるだろ。そんなに目くじらを立てるなよ」
そう言うと、慧は引き止める私の手を振りほどき、莉子と手をつないで会場から駆け出していった。
招待客たちの哀れむような視線が、一斉に私へ注がれた。
私は唇を噛みしめ、今にもこぼれそうな涙を必死にこらえながら、せめて最後の意地だけは守ろうとした。
三十分が過ぎても、慧は戻ってこなかった。
招待客たちが帰り支度を始めると、新郎側の友人として式を手伝っていた三浦直人(みうら なおと)が慧に電話をかけた。
「慧、いつ戻ってくるんだ?美咲さんがまだ待ってるぞ」
慧は少しも悪びれずに答えた。
「莉子と海へ行くことになったんだ。しばらく戻れそうにない。美咲には待たせておけばいい。あいつは俺と結婚するために、親とまで縁を切ったんだぞ。どうせ俺なしじゃいられない。少しくらい待たせたって問題ないだろ。騒ぎを起こさないよう、お前たちで見ていてくれればそれでいい」
固く握りしめていた拳から、ふっと力が抜けた。
慧の投げやりな声を聞いた瞬間、胸の中に残っていた最後の期待まで、音もなく崩れ落ちたのだ。
私は招待席にいた、かつて家同士の縁談で私の結婚相手になるはずだった男へ視線を向けた。
騒ぎ立てることも、泣きわめくこともなかった。
私は彼とそのまま式を挙げ、会場を出ると、二人で役所へ向かって婚姻届を提出した。
* * *
桐生慧(きりゅう けい)の幼なじみ、相沢莉子(あいざわ りこ)が、結婚式の途中で花嫁が逃げ出す「駆け落ちごっこ」をしてみたいと言い出した。
式が半ばまで進んだところで、慧は花嫁姿の私――一条美咲(いちじょう みさき)を振り返った。
「莉子の駆け落ちごっこに付き合ってくる。五分で戻るよ。あいつが遊び好きなのは、美咲も知ってるだろ。そんなに目くじらを立てるなよ」
「美咲さん、私、ただ結婚式から逃げ出す花嫁の気分を味わってみたかっただけなんです。本当に慧くんを奪うわけじゃないのに、どうしてそんなに怒るんですか?」
莉子は、挑発するような目で私を見た。
私は慧の腕を強くつかんだ。
「慧、招待客はもう全員そろっているのよ。それでも莉子のわがままに付き合うつもり?」
慧は私の手を振り払い、甘やかすような眼差しを莉子へ向けた。
「莉子は独身主義なんだ。ただ、式の途中で逃げ出す花嫁の気分を味わってみたいだけだ。俺は少し付き合ってやるだけなんだから、そんな心の狭いことを言うなよ」
胸の奥から吐き気が込み上げ、心臓を鈍く締めつけられるような痛みが走った。
私は出口を指さし、莉子に言い放った。
「これは私の結婚式よ。あなたにいてほしくない。今すぐ出ていって!」
莉子はびくりと肩を震わせ、たちまち目に涙を浮かべた。
慧はすぐに手を伸ばし、莉子をかばうように抱き寄せた。
「美咲、お嬢様育ちのわがままもいい加減にしろ。莉子は俺たちの結婚式に出るために、わざわざ留学先から帰国してくれたんだ。もうすぐ向こうへ戻るんだから、少しくらい一緒にいて何が悪い」
まるで自分のほうが正しいとでも言いたげな慧の顔を、私は黙って見つめた。
下ろした手は、いつの間にか固く握りしめられていた。
莉子のためなら、慧は何でもした。
莉子が生理痛でつらいと聞けば、その日のうちに飛行機で駆けつけて世話をし、高熱を出していた私を一人きりで家に残した。
莉子が落ち込んでいると言えば、一晩中ビデオ通話に付き合い、長年不眠に苦しんでいる私には見向きもしなかった。
莉子が「旅行に行きたい」と口にすれば、すぐに彼女を連れて世界中を巡り、私は一人で家に残され、帰りを待ち続けた。
莉子には惜しみなく時間を注ぐくせに、私にはほんのわずかな時間さえ与えようとしなかった。
慧も、私が傷ついていることには気づいていた。
それでも、申し訳程度に私の頭を撫でただけだった。
「いい子だから。すぐに戻るよ。五分だけ待っててくれ」
そう言い残すと、慧は莉子の手を引いて駆け出した。
二人の楽しげな笑い声が、披露宴会場いっぱいに響き渡った。
私には、その声がたまらなく耳障りだった。
遠ざかっていく慧の背中を見つめ、私は歯を食いしばって叫んだ。
「慧、本当に行くなら、私はもうあなたとは結婚しない!」
出口に差しかかっていた慧は、一度だけ足を止めた。
振り返って私を見ると、何かを思い出したように鼻で笑い、そのまま莉子の手を引いて走り去った。
壇上には、花嫁姿の私だけがぽつんと取り残された。
慧は、私が彼なしでは生きていけないと思っている。
かつて私は慧と一緒になるために、一条家の跡取り娘という立場を捨て、両親とも絶縁同然になった。
私が心の底から彼を愛しているから、何があっても最後には許し、いつまでも待ち続けると信じているのだろう。
けれど、慧は知らない。
私は両親と、ある約束を交わしていた。
五年たっても慧が両親に認められなければ、私は両親の望みどおり、彼のもとを去る――と。
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