和紙文夫を貸した37回目、娘はもう待たなかった · 第2話設定≡

夫を貸した37回目、娘はもう待たなかった第2話

この話は約2435字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。

それを見た美咲は、慌てて日菜のそばにしゃがみ込んだ。

「日菜ちゃん、泣かないで。ティアラはまた買えるよ。この絵も、テープでくっつけてあげようか?」

そう言って、美咲は日菜が抱えていた絵を手に取った。

日菜は慌てて取り返そうとした。けれど、その拍子に美咲の手から絵が落ち、テーブル脇でまだ灯っていたアロマキャンドルに触れてしまった。

紙の端に火が燃え移り、私はとっさに素手で叩き消した。立ち上った煙にむせて、日菜が激しく咳き込んだ。

日菜は気管支が弱く、軽い喘息もある。こんな煙を吸えば、すぐに咳き込んでしまう。

火はすぐに消えたけれど、絵に描かれていた3人のうち、1人はもう焼けて見えなくなっていた。

それを見た日菜は、とうとう堪えきれずに泣き出した。

「ママ……パパ、いなくなっちゃった」

美咲は慌ててティッシュを差し出した。

「ごめんね、日菜ちゃん。本当にわざとじゃないの。また新しく描けばいいよ。ね?」

私はその手を払いのけた。

「出てって」

孝介は勇太を美咲に任せると、声を落とした。

「先に勇太と客間に行っててくれ。絢香には俺から話す」

美咲たちが出ていくと、孝介は私の手首をつかんだ。

「もういいだろ。美咲だって謝ったんだから」

私はその手を振りほどいた。

「日菜が泣いてるの、見えないの?」

「子どもが泣くなんて、よくあることだろ」

孝介はさらに声を落とした。

「美咲は離婚してからずっと不安定なんだ。勇太の前であんなふうに追い返して、また傷つけたらどうするんだよ」

私は孝介を見た。

「じゃあ、日菜は?」

「日菜には俺たちがいるだろ。今までだって、何ひとつ不自由させたことはないじゃないか」

孝介は少し間を置いて、続けた。

「お前がいちいち大ごとにするから、日菜まで気にするんだろ。絵が破れた、ティアラが壊れたって、そのたびに泣いてたら、これから先どうするんだよ」

そのとき、寝室から聞こえていた日菜の泣き声がふっと途切れた。

振り向くと、日菜がドアの陰に立っていた。うつむいたまま焼け残った絵を小さく折りたたみ、発表会の衣装のポケットにしまった。

「パパ、もう気にしないよ」

孝介は少し気まずそうに、日菜を抱こうと手を伸ばした。

けれど日菜はその手を避けるように一歩下がり、そのままドアを閉めた。

翌日、幼稚園の先生から電話があった。

日菜がトイレに閉じこもったまま泣き続け、なかなか出てこないという。

私は事情を聞く間もなく、すぐに幼稚園へ向かった。

職員室の前まで来ると、中から二人の先生の話し声が聞こえた。

「昨日の中継、私も見たけど、勇太くんのお母さんと一緒にいた人、本当の家族みたいに見えたよね」

「でも、あの人って日菜ちゃんのお父さんじゃなかった?」

「そうよ。なのに勇太くん、今日はあの人のこともパパだって言って回ってるみたいで。それを聞いたクラスの子たちが、日菜ちゃんのお父さんは勇太くんのほうが好きなんだって、からかったみたい」

職員室のドアを開けると、日菜はもう中にいた。

私に気づくなり駆け寄ってきて、ぎゅっと私の手を握った。先生たちは慌てて話をやめた。

「日菜ちゃんのお母さま、申し訳ありません。こちらでも、子どもたちにはきちんと話をしています」

私は日菜の前にしゃがんだ。

「日菜、誰かに嫌なことされた?」

日菜は黙って首を横に振った。

先生は少しためらったあと、一枚の画用紙を見せてくれた。

そこには、青い服を着た男の人が勇太の手を引き、反対の手で日菜を押しのける姿が描かれていた。

「クラスの子が描いたものなんです。日菜ちゃん、これを見てからトイレに閉じこもってしまって、なかなか出てきてくれなくて……」

胸の奥が重くなり、すぐには言葉が出なかった。

そのとき、孝介と美咲が職員室に入ってきた。

美咲は目を真っ赤にしていた。

「先生、昨日の中継のことは本当に誤解なんです。勇太は父親と過ごすことがほとんどなくて、孝介のことをついパパって呼ぶようになってしまって……」

孝介が横から口を挟んだ。

「子ども同士なんだから、ちょっとしたことで泣いたりすることくらいあるでしょう。そこまで大ごとにしなくてもいいんじゃないですか」

私はその絵を孝介に差し出した。

「日菜が、父親がいないってみんなに笑われてるのよ。それでも放っておけって言うの?」

孝介は絵をちらりと見て、眉をひそめた。

「日菜には俺からちゃんと話す」

そのとき、勇太が美咲の後ろから飛び出し、孝介の手を握った。

「孝介パパ、先生にね、もうパパって呼んじゃダメって言われた」

孝介は勇太の前にしゃがんだ。

「先生は、そういう意味で言ったんじゃないよ」

「じゃあ、これからもパパって呼んでいい?」

勇太が不安そうに孝介を見上げた。

美咲が小声で勇太をなだめた。

「日菜ちゃんが悲しくなっちゃうから、もうパパって呼ぶのはやめようね。勇太、これからは孝介おじさんって呼ぼう」

すると勇太は、すぐに泣き出した。

「やだ!おじさんじゃなくて、パパがいい!」

その声に、周りの保護者たちが一斉に振り返った。

孝介は周囲の視線を気にしながら、日菜のほうを向いた。

「これからは人前ではパパって呼ばせないから、二人きりのときくらいいいだろ。勇太にパパって呼ばれたくらいで、何も変わらないだろ。日菜のほうがお姉ちゃんなんだから、そのくらい我慢してやれよ」

日菜は納得できない様子で孝介を見た。

「でも日菜、勇太くんより3か月早く生まれただけだよ」

孝介は顔をしかめた。

「3か月でもお姉ちゃんはお姉ちゃんだろ。そのくらい我慢しろ」

そのとき、孝介のスマホに通知が入った。

園の保護者連絡用LINEに、園長からメッセージが届いていた。

【明日の父親参観について、吉井様は日菜ちゃんと勇太くん、どちらの保護者として参加される予定でしょうか。事前にお知らせください】

勇太は孝介の手からスマホを奪うと、マイクのボタンを押した。

「孝介パパは、僕と一緒に行くんだよ!」

そのまま音声メッセージが送られた。

孝介はそれを聞いても、取り消そうとはしなかった。

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