夫と秘書の愛のカップ麺劇場第1話
この話は約1847字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。
顧客との取引を終えて支店を通りかかった。
そのときふと、残業を頑張っている夫に夜食を届けようと思いついた。
エレベータのドアが開いた途端、カップ麺のにおいが押し寄せてきた。
夫の舟森硯也(ふなもり けんや)と、新入りの秘書が並んでひとつのデスクに腰を下ろしていた。
机の上には、2つ並んだカップ麺。
私はとやかく言わず、アシスタントに命じてカップ麺を2箱差し入れさせた。
「二人ともカップ麺が好物らしいわね。遠慮せずにもっともっと食べなさい。食べ終わるまで退勤しちゃ駄目よ」
人を無理強いさせるのは好きじゃない。
まともな男なんて、ほかにいくらでもいるのだから。
* * *
顧客との取引を終えて支店を通りかかった。
そのときふと、残業を頑張っている夫に夜食を届けようと思いついた。
エレベータのドアが開いた途端、カップ麺のにおいが押し寄せてきた。
夫の舟森硯也(ふなもり けんや)と、新入りの秘書が並んでひとつのデスクに腰を下ろしていた。
机の上には、2つ並んだカップ麺。
ハイヒールで地面を踏み鳴らした。カツカツと音がした。
私が2人に近づいたとき、夫の秘書の林珊奈(はやし さんな)が彼女の分のゆで卵の皮をむいて、硯也にあげているところだった。
「舟森支店長、残業お疲れ様です。どうぞお食べください」
硯也は断ることなく平らげた。
私を見た従業員たちは慌てて立ち上がり、次々に挨拶をした。
「奥様、こんばんは」
私はうなずき返し、デスクの上に置かれたカップ麺に視線を落とした。
私のアシスタントが機転を利かせて口を開いた。
「ここでは、オフィス内で匂いが強い食べ物は食べてはいけないという規定があります。窓を開けて空気を入れ替えてください」
これをきくと、林珊奈はすぐさま怪訝な表情を丸出しにした。
ほんのつかの間に強情な様子になり、顔を上げて私の方を見てきた。
「奥様、舟森支店長は会社のために身を削り、私たちと共に残業してくださっています。
奥様はなにも支店長のために作られないばかりか、会社の規定を盾にして支店長に食べさせようともしないのですか。
支店長はとてもお疲れです。妻として支店長のお体を気遣われるべきではないでしょうか」
私は彼女と目を合わせると、口角をあげて微笑みを浮かべた。
「それで――あなたが代わって、私の夫の面倒をみるってわけ?」
思惑を暴かれた林珊奈は一気に頬を赤らめた。
硯也の袖をつかみ、彼に助け舟を求めた。
残念なことに硯也は応じなかったが、彼女のそばにいた従業員が小声で諭した。
「薇香社長は会社全体をまとめられている。我々は1支店にすぎないんだから、薇香社長に迷惑をかけるなんてありえないんだよ。舟森支店長の立場を考えて、我々は奥様と呼ぶようにと言われている」
薇香社長という呼び名を耳にした途端、林珊奈の威勢は瞬く間に半減した。
どの従業員も出勤初日はまず会社の基本を学ぶ。
――それなのに彼女はグループの社長の名前すら知らないなんて。
この時、やっと硯也が口を開いた。
「彼女はまだ新入りでわきまえを知らないんだ。僕が担当を割りあててしっかり教育させる。ここのところ会社が立て込んでいて、僕がちゃんと管理しきれていなかった」
言い終わると硯也は林珊奈に目配せした。
「早く薇香社長に謝りなさい」
林珊奈はまだなお不服そうだったが、頭をさげるほかなかった。
「私が悪かったです。薇香社長のことを存じておらず、言うべきではないことを言ってしまいました」
私は答えず、アシスタントの方を振り返った。
「皆さんお疲れ様です。頑張っているみなさんにご褒美の差し入れを持ってきました」
/
私が家に戻ってほどなく硯也も帰宅した。
まだ夕飯の支度できていなかったので、硯也は先に風呂に入って着替えてくると言った。
硯也がリビングに戻ってきたとき、私はすでに食べ始めていた。
そして彼の椅子の前には、一杯のインスタント麺がおかれていた。
「これが僕の夕飯?」
私は笑って頷いた。
「好きじゃなかったっけ?あなたのためにわざわざゆで卵も用意したよ」
彼は一瞬立ち止まったがすぐに理解した。そして苦笑いをした。
「さっきはただ腹が減っていて、適当に何か食べて仕事を終わらせようとしただけだ。薇香は自分の従業員にまで嫉妬するのか」
私は黙ったまま、彼が席に着いてカップ麺をすするのを見ていた。
「薇香、君が嫉妬したのは初めてだ。愉快だな。
そんなに怒らないでくれよ。ご飯にしよう。本当に腹が減った」
私は箸を置いて彼を見上げる。
――硯也との結婚を選んだのは、彼が私の家の運転手の息子だったからだ。
縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)