夢醒めて花散る時に第3話
この話は約1213字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
レストランには優雅なバイオリンの調べが流れていた。
星哉は手際よく私のステーキを切り分け、そっと皿を前に寄せた。
「味は変わってないか、食べてみて」
私がナイフとフォークを取ろうとした時、彼の携帯が鳴った。
着信を見た彼の口元が、自然とほころんだ。
「もしもし、詩雨?」
その名前が細い針のように、私の耳に刺さった。
「え、近くにいるの?じゃあ寄ってよ!ちょうどいいタイミングだ」
声に弾むような喜びが込められていた。
「うん、香乃も一緒だし、前から二人に会わせたかったんだ」
電話を切ると、彼は嬉しそうに言った。
「奇遇だね、詩雨が近くに来てるんだって。すぐ来るよ」
私は表情一つ変えず、「そう」とだけ答えた。
星哉は私の冷淡さに全く気付かない様子で、一人上機嫌だった。
間もなく、眩いほど美しい姿が入口に現れた。
詩雨は白いワンピース姿で、肩にかかる長い髪、顔には甘い微笑みを浮かべている。
「星哉さん、香乃さん」
声も人柄そのままに柔らかく響いた。
星哉はさっと立ち上がり、ごく自然に彼女の椅子を引いた。
「ほら、疲れたでしょ」
詩雨が座ると、程よい敬意と好奇心を込めた視線を私に向けた。
「香乃さん、やっとお会いできて嬉しいよ。星哉さんからは何度もお話を伺っていた。香乃さんこそが、彼の心の中で最高のダンサーだって」
彼女の言葉には嘘偽りがなく、瞳はきらきらと輝いていた。
普通なら、その純粋な好意に心を動かされるところだろう。
けれど私には、ただの痛烈な皮肉にしか聞こえなかった。
口元をわずかに引きつらせ、「そうか」と応じた。
星哉が笑って場を繕った。
「さ、何か注文しよう」
メニューを詩雨に渡しながら、その眼差しは優しかった。
「好きなものを頼んで。遠慮しなくていいから」
二人はダンスの話、試合の話、共通の知人の話で盛り上がった。
どれも私には入れない話題ばかりだった。
星哉は無意識に、詩雨の苦手なパクチーをサラダからより分けた。
詩雨は自然にナプキンを取って、星哉の口元に付いたソースの跡を拭った。
二人の間に流れる空気は完璧に調和していて、隙がない。
まるで彼らこそが本来のペアで、私はただの場違いな第三者だと言わんばかりだった。
詩雨がグラスを掲げて、私を見た。
「香乃さん、乾杯しましょう。星哉さんをこんなに立派に育ててくださって、ありがとう」
私は彼女を見つめ、ただただ滑稽だと思った。
星哉の優秀さは彼自身の努力の結果だし、かつては私たち二人の共有する夢でもあった。
彼女はただ、途中から現れて出来上がった果実を摘み取るだけの人間に過ぎない。
私はグラスに手を伸ばさず、静かに星哉を見つめた。
「星哉」
彼は詩雨に向けた笑顔のまま、ゆっくりと私の方へ顔を向けた。
「ん?どうかした、香乃」
「別れよう」
ナイフとフォークを置き、車椅子を操作して背を向けた。
背後から、星哉の動揺した声が響いた。
「香乃、待てってば!」
私は歩みを止めなかった。
十年間で初めて、彼の言うことを聞かなかったのだ。
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