壊れた絵巻、消えゆく愛第1話
この話は約2506字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。
ドレス試着の日、彼氏の入江真宙(いりえ まひろ)は一緒に来ると約束していたのに、いくら待っても姿を見せなかった。
ウェディングドレスの裾は長く、私・大崎百華(おおさき ももか)はひとり鏡の前に立って、何度も体をかがめては裾を整えた。
3度目に裾を踏んだとき、ようやく真宙からメッセージが届いた。
【梨愛がさっき帰国したんだ。まだ気候に慣れてないみたいだから、迎えに行ってくる。先に試着しといて】
次の瞬間、SNSのタイムラインが更新された。
上杉梨愛(うえすぎ りえ)が、写真を投稿していた。
片膝をついた真宙が、梨愛の細い足首をそっと包み、ヒールのストラップを留めている――そんな写真だった。
一言だけ、キャプションが添えられていた。
【やっぱりこの人、絶対に自分でかがませてくれないんだから】
投稿を開いた瞬間、真宙の「いいね」がついているのが目に入った。
空気を読んだのか、スタッフがそっと声をかけてくれた。
「大崎様、入江様は大崎様のことをとても心配していらっしゃいます。『こっそりダイエットして体を壊すといけないから、ウエストは直さないように』と、わざわざご配慮くださって」
私は笑った。
心配してくれていること自体に、嘘はない。ただ、彼が別の誰かを優先することを、その優しさはちっとも止められなかった。
うつむいて、白いドレスを見つめる。
ふと気づいてしまった。
身の丈に合っていないのは、ドレスじゃない。
きっとずっと前から――この結婚そのものだ。
* * *
ドレス試着の日、彼氏の入江真宙(いりえ まひろ)は一緒に来ると約束していたのに、いくら待っても姿を見せなかった。
ウェディングドレスの裾は長く、私・大崎百華(おおさき ももか)はひとり鏡の前に立って、何度も体をかがめては裾を整えた。
3度目に裾を踏んだとき、ようやく真宙からメッセージが届いた。
【梨愛がさっき帰国したんだ。まだ気候に慣れてないみたいだから、迎えに行ってくる。先に試着しといて】
次の瞬間、SNSのタイムラインが更新された。
上杉梨愛(うえすぎ りえ)が、写真を投稿していた。
片膝をついた真宙が、梨愛の細い足首をそっと包み、ヒールのストラップを留めている――そんな写真だった。
一言だけ、キャプションが添えられていた。
【やっぱりこの人、絶対に自分でかがませてくれないんだから】
投稿を開いた瞬間、真宙の「いいね」がついているのが目に入った。
空気を読んだのか、スタッフがそっと声をかけてくれた。
「大崎様、入江様は大崎様のことをとても心配していらっしゃいます。『こっそりダイエットして体を壊すといけないから、ウエストは直さないように』と、わざわざご配慮くださって」
私は笑った。
心配してくれていること自体に、嘘はない。ただ、彼が別の誰かを優先することを、その優しさはちっとも止められなかった。
うつむいて、白いドレスを見つめる。
ふと気づいてしまった。
身の丈に合っていないのは、ドレスじゃない。
きっとずっと前から――この結婚そのものだ。
……
翌朝早く、玄関の電子錠が解除される音が響いた。
すぐに掛け布団がめくられ、ひんやりとした手が後ろから私の腰に回され、強く抱きしめられた。
「寝たふりなんてしなくていいから。入った瞬間にわかった」
真宙が低く笑いながら、顎を私の首筋に押し当ててくる。
「何年一緒にいると思ってるんだ。俺がいないと、お前ってろくに眠れないだろ」
何気ない口ぶりのその言葉が耳に届いた瞬間、目の奥がじわりと熱くなった。
彼は全部わかっているくせに。それでも私を1人残して、一晩中帰ってこなかった。
さわやかなシャワージェルの香りが鼻をくすぐった。けれど少し嗅いでみると、その奥に混じる女性用香水の残り香に気づいた。
甘く、濃く、まとわりつくような匂い。
梨愛がいつも使っているブランドだ。私が好む、冷ややかなウッディ系の香りとは、全く性質の異なるものだった。
胸の奥がざわついた。何を言っても、もう意味がない気がした。
腰に回された手をほどいて、布団をはねのけ、裸足のままバスルームへ向かった。
顔に冷たい水をパシャリと浴びせると、雫が顎の先から落ちた。
鏡を見上げる。青白い顔。目の下には、一睡もできなかった夜を物語る深い隈が、くっきりと残っていた。
足音が追いかけてくる。真宙がバスルームに入り、また両腕を私の腰に回した。
鏡に映る真宙は、生き生きとしていた。目元にまで、どこか満ち足りたような色を宿していた。
「まだ怒ってんのか?昨日、俺が一緒に行けなかっただけで?」
真宙はため息をついた。
「あのウェディングドレス、もう何回も一緒に試着に行ったじゃないか。1回くらい抜けたっていいだろ。
梨愛は帰国したばかりで、荷物も多かったし、昔からの友人として迎えに行くのは当然だろ。
普段あんなに分かってくれるのに、なんでこういうときだけ拗ねるんだ。こんなことでだんまりを決め込むつもり?」
「何でもない」
私は真宙の手を払いのけ、タオルをハンガーに戻して、部屋へ向かった。
「本当に?」
真宙は軽い足取りでついてきた。
「じゃあ昨日のドレス、決めてきた?請求書送ってくれれば、俺がサインしに行くから」
ベッドサイドのチェストの引き出しを開けて、赤い判が押された予約書を取り出した。
真宙の脇を通り抜け、まっすぐ書斎のシュレッダーへ向かう。
紙をシュレッダーの投入口に押し込んだ。
けたたましい細断音とともに、何度も何度もウエストの直しを頼んだあの予約書が、細長い紙くずになって屑籠に落ちた。
真宙がほんの少し固まってから、振り返り、私の手首をつかんだ。
「何してる!」
その顔色が変わっていた。怒りを押し殺した低い声が響く。
「いったい何をそんなに拗ねてるんだ。ドレスまで捨てるつもりか?」
手首を、骨が軋むほど強く握られた。青筋の浮いた真宙の手を見つめていると、反論する気力さえ消えていった。
「拗ねてなんかいない」
私は真宙の目を見て、ゆっくりと手を引いた。
「あの店、何度直してもウエストが合わなかったから。キャンセルしたの、それだけ」
肩を押しのけ、玄関で靴を履く。
ドアが閉まる直前、リビングから、真宙が秘書に電話をかける声が聞こえてきた。
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