嘘の裏に滲む痛み第3話
この話は約1817字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
やがて彼の会社が大きくなり、莫大な金を稼ぐようになっても、その後、車の話題が口にのぼることはなかった。
今になって思えば――もし本当に私を愛していたなら、私の望みをどうして無視できただろう。
今日、私は深司の会社へ退職届を出しに行く。
車を会社の駐車場に乗り入れると、ちょうど撮影クルーがセットを組んでいるところだ。
深司はきっちりと着飾り、透子とその息子の俊介(しゅんすけ)の隣に立ち、まるで本物の家族のように自然で幸せそうに笑っている。
私の車が入ってきた瞬間、周囲の視線が一斉に集まる。
誰かが驚きの声を上げる。
「深司さん、さすが御社はすごいですね。社員までこんな高級車で通勤するなんて」
注目が一点に集まる中、私は平然と車を降り、そのまま三人の前へと歩み寄る。
透子の瞳には、抑えきれない嫉妬が浮かんでいる。
深司も顔色を変え、小声で私に言う。
「なぜここに来たんだ。撮影クルーがまだいる。用件なら、彼らが帰ってからにしてくれ」
私は微笑み、大きな声で告げる。
「滝沢社長、私は退職しに参りました」
深司は一瞬言葉を失った。その隣で、透子が驚いたように声を洩らす。
「どうしてあなたも同じネックレスを?」
その言葉で初めて気づく。彼女の首にも、父から贈られた私のものと全く同じ、青いサファイアのネックレスがかかっているのだ。
すぐに周囲の誰かが口にする。
「そのネックレスって、一点物じゃなかったのか?」
「そうよ。透子さん、この前『結婚記念日に深司さんから贈られたサプライズだ』って言っていたじゃない」
私は少しも慌てない。自分の持つものが本物であることを知っていたから。
透子も自分の後ろめたさを悟ったのか、突然涙を浮かべて深司に身を寄せる。
そしてカメラに向かって泣きながら訴える。
「薫、あなたが深司のことを好きなのは知ってるわ。ずっと『自分が彼の恋人になれる』なんて妄想してきたんでしょう。でも、男に執着しすぎるのはもうやめて。
深司が私に唯一無二のネックレスを贈ってくれたことも、あなた知ってるはずよ。それなのに、わざわざ偽物を買って、まるで『彼からもらった』みたいに思い込むなんて……
こんなこと、もう一度や二度じゃないでしょ。そろそろやめてくれない?お願いだから、私たちの家庭を壊さないで」
――まったく、彼女の芝居には感心する。
真実を知らなければ、私でさえ信じかけてしまうほどだ。
その時、誰かが車を指さして言う。
「その車だってレンタルじゃないのか?金持ちのお嬢様のふりをして、深司さんに取り入ろうとしてるんだろう」
私は怒りに震え、バッグから車検証を取り出し、彼らの目の前に突きつける。
「この車は私のものです。根拠もなく勝手なことを言わないで」
突然、甲高い声が響き渡る。
「へえ、やっぱり。お前は姉の夫を誘惑するだけじゃなく、会社の金まで盗んだのね!」
振り向くと、そこにいたのは財務部長の白石直樹(しらいし なおき)――透子の弟だ。
かつて透子が深司に「弟を会社に入れてほしい」と必死に頼み込んだのを覚えている。
私は反対した。経理は身内に任せるべきだと。
だが深司は「透子の弟なら、自分にとっても身内だ」と言い切った。
まさか、その本人がこうして私に牙を剥くとは。
そもそも、私が入社した時、深司は「家族経営だと揶揄されるのを避けたい」と、外部には私との関係を公表しなかった。
だが直樹が知らないはずはない。これは明らかな虚言だ。
私が反論する間もなく、いくつものカメラが私の顔に向けられる。
「透子さん、怖がらないで!私たちもこういう女が一番嫌いなんです。不倫女なんて、世間に晒してやりましょう!」
信じられない思いで深司に視線を向ける。
彼は困った顔をし、口を動かしかけては飲み込み、最後に絞り出した言葉はただひとつ。
「話は……あとにしよう」
私は失望のあまり首を振る。
「深司、あんたは最低の人間よ!」
背を向けて立ち去ろうとしたその時、直樹が再び叫ぶ。
「深司さん!今日確認した帳簿で、会社から一億円が消えてました!金を移したのはこの人です。署名も残ってます!
その車も、きっとその金で購入されたに違いありません!」
次の瞬間、深司が私の腕を乱暴につかみ、怒声を浴びせる。
「どうしてこんなことをした?本当に……お前には失望した!」
私の心は完全に凍りつく。
涙で視界が滲む中、彼の手を振り払い、叫ぶ。
「七年間、ずっとあなたの傍で支えてきた私よりも、そんな二人の口から出る嘘を信じるのね?」
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