君を消して、君に出逢う第1話
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タトゥーの施術者が声をかけた。「小林さん、本当に消してしまうんですか?その『愛』のタトゥー」
小林愛は一拍置き、静かに頷いた。「はい……全部で、何回かかりますか?」
「詰めて通っていただいて、七回、といったところですね」
七回――その響きが、鈍く胸を打った。櫻井湊と過ごした、七年という月日。そのすべてと同じ回数。
この七年間、肌を重ねるたび、湊は必ず彼女の腰に顔を埋め、そのタトゥーをなぞるように何度も口づけを繰り返しながら、熱に浮かされたように囁いた。「愛……愛、大好きだ」
愛がスマホで決済を済ませると、施術者は淡々と準備を進め、レーザーを腰に当て始めた。 記憶の熱とは裏腹な、機械の冷たさが肌を刺す。
「七回……終わったら、これ、跡形もなく消えますか?」
「いえ。タトゥーは消えますが、火傷の跡は残りますよ。まあ、いずれ薄くはなりますけど」
施術者は、何の感情もこもらない声で、さらりと答えた。
* * *
「小林さん、本当に消してしまうんですか?その『愛』のタトゥー」
施術者の問いかけに、小林愛(こばやし あい)はしばし黙し、やがてゆっくりと頷いた。「はい……ちなみに、何回かかりますか?」
「詰めて通っていただいて、計七回ですね」
七回――その響きが、胸の奥を冷たく疼かせた。櫻井湊(さくらい みなと)と過ごした七年間と、奇しくも同じ数。
振り返ってみると、この七年、肌を重ねるたび、湊は必ず彼女の腰に顔を埋め、そのタトゥーに唇を這わせながら囁いた。「愛……愛、大好きだ」
だが今、愛は自らの手でそれを消し去ろうとしている。
スマホで決済を済ませると、施術者である店主がレーザーを腰に当て始めた。
「七回終わったら……完全に消えますか?」
「いえ。火傷の痕は残りますよ。まあ、時間が経てば薄くはなりますけど」
本当に薄れてくれるというのだろうか。流れ去ってしまった、この七年という――あまりにも甘ったるい月日が。
脳裏を、湊との七年間が、まるで走馬灯のように駆け巡っていく。
一年目。櫻井家に身を寄せた最初の夜、湊が彼女の部屋を訪れた。目尻に艶っぽい笑みを浮かべ、「試してみる?」と誘うように囁かれた。
幼馴染だった二人。思春期の衝動。実はずっと前から彼に恋をしていた。でも怖くて、どうしていいか分からない。湊が耳たぶに唇を寄せた瞬間、体が痺れるように震えた。そして唇を奪われ、身を焦がすほどの熱で求められた。
あの日から、絡み合った後、湊は彼女の腰に自らの手で「愛」のタトゥーを彫った。「お前は、俺のものだ」そう、刻みつけるように。
二年目。湊が恵川大学を卒業し、離れていった時、二人の関係はてっきり冷めていくと思っていた。だが湊は大学の向かいにマンションを買い、「毎晩来い」と命じた。
三年目。そのマンションで、我を忘れて溺れあった。湊の求めは常軌を逸し、場所を選ばなかった。学校で、車の中で、マンションで、彼の部屋で、彼女の部屋で……
四年目。湊の仕事が多忙を極めても、彼は彼女が自分から一秒たりとも離れることを許さなかった。ビデオ通話の最高記録は、実に二十三時間に及んだ。
五年目。湊が二人の結婚準備を始めた。十六億円のウェディングドレスをオーダーメイドし、すべて手作業で、六百日以上かけて完成させた。
六年目。彼女が緑色を好きだから、結婚指輪のために、湊は六年かけてグリーンダイヤモンドを探し出した。あの二百億円の指輪は、世界中のメディアを騒がせた。
七年目。すべてが変わった日。湊の親友、荻原哲朗(おぎわら てつろう)が事故に遭った。レース中、哲朗が湊を庇い、車ごと崖から転落した。その日を境に、湊は哲朗に代わり、彼の妹・荻原詩帆(おぎわら しほ)を守ると誓った。
昨夜、恵川市の夜空――午前四時十二分。青い花火が恵川市の空の半分を染め上げた。花火の最後に大輪と咲いた二文字が、愛の目を焼いた。
「詩帆」
花火を上げたのは、湊だった。花火の下で、湊は詩帆を手すりに押し付けていた。苦々しげにかすれた声で、彼女を叱りつけている。「体にタトゥーなんざ入れるな。そんなもんは悪い奴らの印だ」……かつて自分の腰に「愛」と刻んだ、その唇で。
二週間後は、愛と湊の結婚式の予定日だったのに。詩帆との恋を知った愛は、ただただ笑っていた。
そして今、腰に走る鋭い痛み。レーザーで焼かれた皮膚は赤く腫れ上がっているが、そこにあるはずの「愛」は、まだ一回目で鮮やかな色を保っている。でももう、構わない。あと六回。
それでこの「愛」は完全に消える。
そして、湊との愛も、綺麗さっぱり終わらせる。
スマホが鳴った。画面に浮かぶ、見慣れた名前。「湊」
電話に出る。いつもの深みのある、色気のある声。一言一句が、かつてのように甘く鼓膜を震わせ、心臓を掴む。
「愛、すまない。今夜の便が遅れちゃって、明日にならないと帰れない。埋め合わせは、ちゃんとするから、怒らないで」
愛の体はぴくりとも動かない。しかしその心は、とうに引き裂かれていた。
彼が今詩帆と一緒にいることを知っている。昨夜、詩帆を連れて帰ってきたことも。それでも愛は、凍てついたような平静さで、湊に何の違和感も抱かせないよう答えた。
「わかった。気をつけて」
「ああ……おやすみ」
電話が切れた。
かつては、どちらが先に切るかで、互いに通話終了のボタンを押すのをためらった。
一言も話さなくても、どんなに遠く離れていても、彼は一晩だけ会うために飛んできた。
以前、愛が家に引きこもって誰とも連絡を絶っていた頃、玄関先には湊が届けた食べ物や日用品が毎日置かれていた。
しかし、いつからかだろうか。その習慣は途絶えた。
この一年、湊が多忙だから一緒にいる時間が減ったのだと、そう信じようとしていた。
実際は、一年前から湊が詩帆の留学を手配し、毎月海外まで密会を重ねていた。
湊が急に海外事業を展開したのも、すべて詩帆のいるM市に拠点を置くためだった。
詩帆が電話口で泣き言を漏らせば、たとえ真夜中に愛を抱いている最中であろうと、湊は平然と体を離し、空港へ向かい、M市へ飛んでいった。
爪が掌に食い込み、血が滲む。愛は痛みすら感じなかった。次の瞬間、スマホを手に取り、別の番号へ電話をかけた。
「田原(たはら)さん、タレコミがあります」
「愛ちゃん、分かっているのか。麻薬捜査は危険すぎる。ご両親もお兄さん方も亡くされ、君は一家でただ一人の生き残りなんだぞ」
「もちろん。だからこそ、それは私が生きる唯一の理由なんです」
田原は長い沈黙の後、ついに折れた。「わかった。そちらを片付けたら、数日後に境見市へ来い。二度と、戻れない覚悟をしておけ」
「分かりました」
六時間後。
愛は家に戻った。休む間もなく、寝室へ向かい荷物をまとめ始める。
この寝室には、湊の痕跡が嫌というほど染み付いている。クローゼットには、湊が買い与えたダンス衣装がぎっしりと詰まっている。
彼は、彼女を好きなように「着せ替え」て、弄ぶのが好きだった。
愛はダンス衣装をすべて黒いゴミ袋に叩き込んでいく。そして、湊がこれまで贈ってきたプレゼントも、何もかも。
すべてを袋に詰め終わった、その時だった。
がチャッ。ドアが開く音が聞こえた。
戸口に立ったまま、湊が愛の様子をじっと見つめている。その昏い視線は、床に無造作に散らばる黒いゴミ袋に突き刺さっていた。
部屋に静かな圧力が満ちていく。
それでも、彼が口を開くと――「愛。どうしたんだ?」
その声色は、険しい眼差しとは裏腹に、あくまで優しかった。
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