君を捜し続けても、帰る日は来ない第1話
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藤崎沙羅(ふじさき さら)の誕生日。彼女は一晩中待ち続けたが、高城礼次(たかしろ れいじ)は帰ってこなかった。
礼次がかつて愛した瀬川梨香(せがわ りか)が、その日、財界でも有名な遊び人と結婚することになっていたからだ。
梨香が不幸な結婚へ進むのを見過ごせなかった礼次は、式から彼女を連れ去った。
沙羅は泣き腫らした目で一晩中リビングに座り続け、夜が明けた頃、知らない番号からの電話を受けた。
「藤崎沙羅、俺と結婚しろ」
気だるげな声を聞いた瞬間、沙羅の脳裏に不敵な笑みを浮かべた男の顔がよぎった。
梨香が結婚するはずだった、財界きっての遊び人――朝倉蒼介(あさくら そうすけ)。
「朝倉蒼介?」
「お前の婚約者が俺の花嫁を奪った。だったら俺が、あいつの花嫁を奪っても文句はないだろ?」
蒼介は面白がるように笑った。
沙羅はしばらく黙ったあと、静かに首を振った。
「文句はないわ」
電話の向こうで、蒼介は片眉を上げ、さも当然のように言った。
「なら決まりだ。15日後に改めて式を挙げる。ウェディングドレスを用意して、俺が迎えに行くのを待ってろ」
* * *
通話はそこで切れた。
沙羅は冷えきった料理が並ぶ食卓を見つめ、目を赤くした。
長い間待ち続け、ようやくプロポーズされた。
けれど、プロポーズしたのは礼次ではない。
沙羅が結婚する相手も、礼次ではなかった。
沙羅が礼次と出会ってから、10年が経っていた。
初めて見た瞬間から、彼女は礼次に恋をした。
高校1年の入学式だった。
礼次は制服姿で、新入生代表として壇上に立っていた。講堂の大きな窓から差し込む陽光が、端整な横顔を金色に縁取っていた。
女子生徒たちは頬を染め、小声でざわめきながら写真を撮っていた。
沙羅は受け取ったばかりの学生証を握り締め、講堂の最後列にある暗がりに立っていた。
当時の礼次は、系列校でも名の知れた秀才だった。
定期試験では常に学年首位。数学コンテストでも何度も優勝し、バスケットボールで袖をまくれば、ほのかなシダーウッドの香りが漂った。
立ち居振る舞いのすべてに、名家で育った者らしい品があった。
奨学金で入学したごく普通の沙羅とは、まるで住む世界が違った。
全校の女子から憧れられていた礼次の視線は、いつも一人の少女だけを追っていた。
幼い頃から一緒に育った梨香だった。
礼次が図書館で梨香のためにノートをまとめる姿も、雨に濡れた梨香へ自分の上着を掛ける姿も、梨香が何げなく欲しいと言った限定盤のCDを探して街中を回る姿も、沙羅は見てきた。
高城家と瀬川家は昔から親しく、二人は幼い頃から婚約していたと、あとになって知った。
状況が一変したのは、高校を卒業した夏だった。
高城グループが一夜にして破綻したというニュースが、経済ニュースを埋め尽くした。
かつて高級車で学校行事に訪れていた高城雅弘(たかしろ まさひろ)会長は、本社ビルから身を投げた。
その翌日、梨香はフランスへ渡った。
残された礼次は莫大な負債を背負い、返済のために働き詰めとなった。疲れきり、荒んだ毎日を送っていた。
ある夜、沙羅はバーの裏路地で、意識を失うほど酔った礼次を見つけた。
高価なシャツはしわだらけで、目は血走り、捨てられた犬のようだった。
沙羅がしゃがんで身体を支えようとすると、礼次はその手首を強くつかんだ。
吐息には、酒と血の匂いが混じっていた。
「誰だ、お前」
「藤崎沙羅。同じ学校だったの。覚えてないと思うけど……」
礼次は本当に覚えていなかった。
それでも沙羅に連れられるまま、彼女の部屋へ来た。
その夜の礼次は自制を失っていた。
狭い部屋のベッドに沙羅を押し倒し、唇が痺れるほど激しく口づけた。
後日、沙羅は知った。
彼女が礼次を見つける少し前、梨香はSNSを更新していた。
エッフェル塔を背に、新しい恋人と口づけを交わす写真だった。
目を覚ました礼次は、沙羅に責任を取ると言った。
その後、礼次は沙羅の狭い部屋で暮らし始めた。二人は寄り添い、最も苦しい時期を一緒に乗り越えた。
けれど沙羅には分かっていた。
落ちぶれた名家の御曹司を自分のもとへ連れ帰っても、その心まで手に入れられたわけではない。
礼次は梨香を忘れていなかった。
夜中にスマホの写真を見つめる姿も、パリへ行く航空券を買うために何か月も食費を切り詰める姿も、沙羅の誕生日に梨香から連絡が届くなり家を飛び出す姿も見てきた。
それでも沙羅は諦められなかった。
夜遅くまで礼次の履歴書を書き直すのを手伝い、何社もの求人に応募し、債権者からの脅しにも一緒に耐えた。
最も苦しかった頃には、母が残した唯一の形見のバングルを密かに売り、礼次に面接用のスーツを買った。
やがて礼次は、沙羅がコーヒーに角砂糖を二つ入れることを覚えた。
残業中には食事を取るようメッセージを送り、沙羅が眠ってしまえば、そっと上着を掛けてくれるようになった。
凍りついていた礼次の心を、ようやく温められたのだと沙羅は思った。
礼次も再起を果たし、再び財界の若き寵児となった。
すべてがよい方向へ進み始めた頃、梨香が帰国した。
二人の関係は、たちまち振り出しに戻った。
礼次は深夜に車を飛ばして空港へ迎えに行き、過去のことを不問にして、帰国祝いまで開いた。
梨香の結婚を知ると、迷うことなく式へ乗り込んだ。
7年間、沙羅は持てるものをすべて差し出した。
それでも梨香の「帰ってきた」という一言にはかなわなかった。
もう疲れた。
これ以上、愛し続けることもできなかった。
沙羅は立ち上がり、荷物を片づけ始めた。
一つずつ、ごみ袋へ捨てていった。
ちょうど収集車が来た。
作業員が袋を車に積み込むのを見ながら、この7年間抱き続けた叶わぬ思いまで捨てるような気がした。
「何を捨てた?」
突然玄関が開き、背後から礼次の声が聞こえた。
沙羅は振り返らず、静かに答えた。
「家の中を整理して、いらない物を捨てただけ」
その一言に、礼次の表情が変わった。
沙羅を押しのけるようにして部屋へ入り、声を荒らげた。
「俺の物に触るなって言っただろう!」
礼次は棚や引き出しを次々と開け、次第に険しい顔になっていった。
書斎を隅々まで探しても見つからなかったらしく、そのまま外へ飛び出した。
すれ違いざま、礼次の肩が沙羅にぶつかった。
よろめいた沙羅は額をドア枠へ打ちつけ、血が流れた。
礼次が本当に大切な物をなくしたのではないかと心配になり、傷の手当てもせずにあとを追った。
そこで、生涯忘れられないほど滑稽な光景を目にした。
重度の潔癖症だった礼次が、ごみの山に膝をつき、必死に中を探っていた。
焦る姿を見て申し訳なくなった沙羅は、慌てて説明した。
「私が捨てた物は、もう収集車に運ばれたわ。探すなら処理場へ行かないと。捨てたのは全部私の物だけど、片づけているときに、間違えてあなたの物も入れたのかもしれない。ごめんなさい」
礼次はそこでようやく、沙羅の傷に気づいた。
一瞬動きを止め、額に触れようと手を伸ばしたが、途中で引っ込めた。
「さっきは急いでいて、気づかなかった」
二人で車に乗ったあと、沙羅は我慢できずに尋ねた。
「何をなくしたの?そんなに大切な物?」
礼次はハンドルを強く握った。
しばらくして、以前から定期的に手入れに出していた、深緑色の宝石をあしらったペンダントだと答えた。
沙羅の胸は大きく揺さぶられ、目に涙が浮かんだ。
それは礼次と梨香が、婚約の証として交換した品だった。
あれほど必死に探していた理由が、ようやく分かった。
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