君と夜通し見るはずだった花火第3話
この話は約1774字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
文字越しでも、蓮也がかなり興奮しているのが伝わってくる。
【紗弥、待っていて。必ず迎えに行く】
【……うん】
私は地面に落ちた傘を踏み越えて、そのまま振り返らずに立ち去った。
……
ほんの小さな傷だったのに、医者には数日入院して様子を見るようにと言われた。
病室はちょうど前の患者が退院の支度をしているところで、私は廊下の椅子で待つしかなかった。
一日じゅう気を張っていたせいだろう。
椅子に腰を下ろした途端、そのまま眠ってしまった。
目を覚まして最初に目に入ったのは、修司の心配そうな眼差しだった。
一瞬だけ――昔に戻ったのかと思った。
子どものころの修司は、私が眠っていると心配で仕方なかったらしくて、よく鼻先に手をかざして、ちゃんと息をしているか確かめてくれていた。
けれど。
手の包帯に触れた瞬間、脳裏によみがえったのは――修司にブーケを投げつけられたときのことだった。
胸の奥に沈んでいた苦しさと嫌悪が、一気に込み上げてくる。
思わず、吐き気がこみ上げた。
修司の顔がぴくりと強張り、その視線が険しくなる。
「紗弥……俺のことが、そんなに気持ち悪いのか?」
私は答えなかった。
そのまま視線を逸らして、ゆっくりと病室の中へ入っていった。
修司は三人部屋をひと目見て、その狭さに眉をひそめた。
なぜか胸の奥がざわついたようだった。
それを誤魔化すように、彼はその場で特別室を手配した。
けれどその直後、彼はこう言った。
「来週、ダンス協会のパリ交流の枠があるだろ。あれは春菜に回してやれ。
お前は大人しく、新婚旅行の準備でもしていればいい。
あいつはこれまでずっと尽くしてきたんだ。それくらい叶えてやってもいいだろ」
埋め合わせと引き換え。
そんなやり取りで、私たちの関係はかろうじて保たれていた。
特別室の中を見回しながら、私はひどく皮肉な気持ちになった。
それでも振り返って、ただ「分かった」と答えた。
もし修司が――結婚式当日でさえ春菜が私の代わりを務めると知ったら、きっと喜ぶのだろう。
修司は、あまりにあっさり頷いた私に、少し戸惑ったように見えた。
これまでの私は、泣いてでも譲ろうとしなかったのに。
彼は私の顔をまっすぐ見つめて、念を押すようにもう一度訊いた。
「……本当にいいのか?」
「うん」
私は静かに頷いた。
修司はどこか落ち着かない様子で、取り繕うように言った。
「花火、好きだっただろ。今夜、用意させようか?」
「いい。近所迷惑になるから」
返事を待たずに、私は疲れたから休むとだけ告げた。
大きな手のひらがそっと私の額に触れる。
本当に眠ったのを確かめたあと――
修司はこらえきれないように春菜へ電話をかけた。
「分かったって。今すぐ戻る。誕生日、一緒に祝ってやるから」
そして続ける。
「今夜、夕凪市の花火は全部お前のためだ」
掛け布団を握りしめていた指先から、少しずつ力が抜けていく。
涙だけが、音もなくこぼれ落ちた。
――一生、花火は私としか見ないって言ったくせに。
誓いにだって、終わりはあるらしい。
もう私のことを愛していないのかと、何度問い詰めただろう。
そのたびに彼は「落ち着け」と言うだけで、まるでおかしいのは私のほうだと言わんばかりだった。
本当は――
たったひと言、返してくれればそれでよかったのに。
それさえ、修司はくれなかった。
でも今は――
もう、これから先もずっと、彼の答えなんていらない。
退院の手続きをしていたその日、修司から一本の電話がかかってきた。
「紗弥……力を貸してくれ」
声が震えていた。
何十年も一緒に過ごしてきた人を見捨てることなんて、私にはできなかった。
けれど――
彼のもとへ駆けつけた途端、私は強引に車へ押し込まれた。
「紗弥、春菜が父親に連れ去られた。あの男は金を要求してる」
そして、ためらいもなく続ける。
「一度だけでいい。春菜の代わりになってくれないか」
あまりにも勝手すぎて、言葉も出なかった。
「……私に何の関係があるの。今すぐ降ろして」
修司は声を荒げた。
「あいつはこれまでずっと命がけでお前を守ってきたんだぞ!それでも何とも思わないのか?
それに春菜の居場所を父親に漏らしたのは、お前だって聞いた。紗弥、お前いつからそんなことをするようになった」
――人づてに聞いた。
たったそれだけで、彼は私を疑うのだ。
「……本気で、私がやったと思ってるの?」
修司は迷いもなく言った。
「お前以外に誰がいる」
縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)
第4話は公式アプリで
当サイトでの試し読みはここまでです。アプリをインストールし、下のアプリ用コードを入力すると、この作品の第4話からそのまま読み進められます。
R35747- 下のボタンから公式アプリをインストールします(無料)。
- アプリを開き、「コードを入力」にこのコードを入れると、この作品が本棚に入ります。
作品ページへ戻る 当サイトに掲載しているのは試し読みの章だけです。